■群れない生き方 -ソフトバンク文庫-
文化も言葉も違う異国の人々と「みんな仲良く」やっていくのには
ちょっと無理がある。
それぞれの生まれ育った環境が違うのに、
それを同じ色にまとめるのは至難の業である。
by. 桜井章一氏
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「広がること、大きくなること」をいいことだと思っていない私は、
昔からこのグローバル化を怪しいものだと思って見ていた。
“独自”とは自分を持つことであり、
いいことにしろ、悪いことにしろ、
すべての責任を自分で負うということである。
by. 桜井章一氏
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独自の生き方をしていくには結局最後は”独断”で決めていくしかない。
私はこれまで自分の身に降りかかってきたトラブル、
問題などを誰かに相談したことがない。
私が独断でやってきたのは、性分でもあるだろうし、
独断でやった方がうまくいくことが多かったからということも関係していたと思う。
by. 桜井章一氏
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仲間とはひとつの”輪”である。
ちょっとくらい気が合わなくても手を繋ぎ、
輪となっていれば大して気にならない。
ひとりではとてもできないことでも、
仲間が集まれば可能となる。
by. 桜井章一氏
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「合わないな」と感じる人と付き合うのは確かに面倒だが、
そういった人たちと付き合うことでいろんなことを学べるのも事実である。
「この人とは合う」という判断は、
自分の都合が元となっている場合が多く、
「都合のいい人」ばかりと付き合っていてもそこから学べることは
さほどありはしない。
by. 桜井章一氏
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「都合のいい人」ばかりを選ぶのが現代人の”群れ”の特徴でもある。
しかし、それでは似た者同士だけが集まることになり、
そんな場には、刺激もなければ学びもない。
私は意識してそうしてきたわけではないが、
気付けば自分とは正反対のタイプとばかり付き合ってきたような気がする。
きっと若い頃から本能的に
「苦手なものと接すれば人として成長できる」
と思っていたのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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対象が嫌いなもの、苦手なものであっても、
私は一度そのすべてを体の中に通す。
自分では「スルーする感覚」と言っているのだが、
この感覚があるからこそ、合わないタイプ、
苦手なタイプとも付き合うことができる。
by. 桜井章一氏
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いったん自分の体に通し、そこで相手を味わう。
「この人とは波長が合うな」という人でも私はそれを自分の中に留めない。
合う、合わない関係なくスルーしてしまう。
そうすることで何ものにも囚われず、
相手を等身大で捉えることができるのだ。
by. 桜井章一氏
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自然は一秒たりとも同じ瞬間はない。
そんな変化の連続の中で私は感じる力、気付く力を磨いてきた。
私が「合う、合わない」を気にせず、
いろんなタイプの人と付き合えるのは自然を楽しむように、
人間の”変化”を楽しんでいるからだろう。
by. 桜井章一氏
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自分の都合ばかり考えず、
時には苦手なタイプと付き合うことも人生にはとても大切なことである。
人の成長を促してくれるのは「合う人」ではなく、
「合わない人」たちなのだ。
by. 桜井章一氏
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負の感情は底無しの泥沼のようなものである。
足を踏み入れた途端、体は泥の中に飲み込まれていく。
だから寂しさを感じさせる人の近くに行く時は、
その泥沼にはまってしまわないように気を付けなければいけない。
誰かが持っている寂しさを共有しようとすることは、
やさしさでもなければ、愛情や友情でもない。
by. 桜井章一氏
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寂しさに囚われてしまった人は自分の世界に
閉じこもってしまっている状態である。
泥沼の深みにはまってしまえば当然まわりは見えなくなる。
そんな状況だからまわりが分からないだけでなく、
自分そのものも分からなくなってしまったのだ。
by. 桜井章一氏
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だから私はそんな人が助けを求めてきたら、
先述したように自力で這い出すための「きっかけ」
という名のロープを投げててやる。
もちろん、その種類は言葉だったり、
態度だったり千差万別だ。
ただ、あきらめずに根気よく投げ続ける。
by. 桜井章一氏
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ロープを投げてもその人を引き上げるようなことはしない。
泥沼から這い出せるかどうかは本人の力にかかっている。
救世主などこの世にはいない。
結局のところ、自分を救えるのは自分だけなのだ。
by. 桜井章一氏
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長い間、この世で”よい”とされてきたもの、
当たり前、常識とされてきたものに人はあまり疑問を抱かない。
でも私は、世の中で当たり前とされるものほど
疑いの目を持って接してきた。
その証拠に、人間は長い歴史の中で同じような過ちを何度も何度も、
飽きることなく繰り返しているではないか。
by. 桜井章一氏
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