■体を整える ~ツキを呼ぶカラダづかい~ -講談社-
感覚を探るのは難しいが、違和感を覚える部分はいくらでもある
カラダというものは部分でなく、
全体で考えるべきだ。
部分だけに囚われてあれこれ努力したりするのではなく、
全体のバランスの中でこの部分をどうしようという発想をしないといけない。
そうしなければ、
必ずおかしなことになるものだ。
by. 桜井章一氏
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現代人は今ふうの生活習慣によって指を無意識に開く傾向にあるが、
(相撲の)立ち合いのときに手の指を開いてしまうと方向がブレたり、
力が拡散してしまう。
力を入れるべきときに、
指を開いてはいけないのだ。
指が開いていないと不自由に見えるが、
軽く閉じたほうが自由に力を操れるのである。
また指を開いてしまうことで前にも触れたようにカラダが硬くなってしまう。
by. 桜井章一氏
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指を開くか閉じるか、
たったそれだけのことで、
力の入り方や、
カラダの柔らかさに影響が出るのである。
これだけ練習をやったのだから、
これだけ成果が返ってきてほしい、
と願うのはかなり一方通行の思いである。
by. 桜井章一氏
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練習というのは目標を決めてやるものだから、
練習によってその目的に達するという見返りを求めるのは、
当たり前である。
だが、その思いが強すぎると、力みが入りすぎて、
練習はひたすら苦しいものになってしまう。
by. 桜井章一氏
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目的主義に陷ると、
「過程」というものがおろそかにされる。
結果さえ出せばいいという姿勢でやっている人は、
ところどころでそれなりの結果を出せるかもしれないが、
あまり、長続きはしない。
by. 桜井章一氏
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スポーツの練習に限らず、勉強もそうだが、
楽しみを感じながらやっている人とそうでない人を比べたとき、
伸びるのはどちらだろうか。
それはいうまでもない。
過程を軽く見る目的主義の人は力みすぎて、
楽しみながら伸びていくという機会を自ら奪っている。
そういう人はきびしく練習すれば結果はおのずと出ると思い込んでいる。
だが、きびしい練習をただきびしくやってはダメなのだ。
by. 桜井章一氏
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私は、自分のことを麻雀から愛された人間だと思っている。
それゆえに牌から、
人生の大事なことをたくさん教わることもできたと感じている。
代打ちとして真剣勝負をやっていたころ、
私には麻雀がうまくなりたいという思いが、
じつはあまりなかった。
勝てる麻雀を打とうというより、
納得感のある麻雀を打とうという気持ちのほうが強かった。
by. 桜井章一氏
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「ここをこうすればいいかな」とか、
「こうすれば、おもしろくなるな」といった感じで、
努力というより工夫することをあれこれやっていた気がする。
「技術を磨いてうまくなろう」とか「こういう記録を出してやろう」とか、
プロであれば「もっと金を稼いでやろう」、
「有名になりたい」といった結果ばかりに気持ちが走った目的意識の強い人は、
自分が願うだけの見返りはまず返ってこない。
by. 桜井章一氏
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技術というものは、
プロともなればあまり差がなくなってくる。
だが、感覚は先述したようにつかみようのないものだから、
見つけよう、探そうと求めても得られるものでない。
それゆえに、
目的も結果もないのが感覚の世界である。
「片想い」だの「両想い」だのといった話は、
けっして抽象的なレベルの話ではないのだ。
by. 桜井章一氏
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練習には、練習をたくさんしても相手に通用しないかもしれないという不安がある。
けれども感覚は、それを探っていくと練習するときとはまた違う種類の不安が出てくる。
感覚はいつも違う。
そうやって絶えず変化しているものだからこそ、
感覚はつかむことができない。
by. 桜井章一氏
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しかし、それを不安に思うこと自体は悪いことではない。
それこそが感覚を学んでいるということだからだ。
「いつも同じ感覚です」という人は、
単に「鈍感」ということだ。
大事なのはカラダが自然な状態にあることであり、
そこから生じる感覚である。
だから感覚を探るときは、思考を止め、
カラダをできるだけ自然な状態に置くことだ。
by. 桜井章一氏
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感覚を探るのは難しいが、
違和感を覚える部分はいくらでもある。
違和感を覚えるということは、
反対にいえばそうではない部分を探せる可能性があるということだ。
つまり、違和感をとっかかりにすれば、
反対に自然な感覚を探しやすくなるということがいえる。
by. 桜井章一氏
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人の動きには、横と縦の動きがある。
縦にどれだけ動くか、
あるいは横にどれだけ動くか、
それによってカラダの作りも変わってくる。
現代人が肥満傾向にあるのは、
縦よりも横の動きが圧倒的に多いからである。
by. 桜井章一氏
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植物をはじめ生命を持つものは、
太陽に向かって上へ成長し伸びていく。
縦の動きもそれなりにあればいいが、
横の動きばかりするのは不自然である。
肥満を解消するには縦の動きをなるべく日常で取り入れることだ。
by. 桜井章一氏
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