■人は八割方悪である -竹書房-
雨が降ったら濡れればいい、風が吹いたら飛ばされればいい、自然に生まれた状況から逃げずに
ただ目標や夢や希望ではなく、
俺たちが何をやってきたかをひとつひとつ探り出してみると、
それはすべてが「感性の道」に通ずるものだった。
やっている時にはやっている者にさえわからないことでも、
愛と意志をもってすれば、
その道は感性につながることがわかりました。
by. 桜井章一氏
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俺の言う「土に還る」という精神も、
感性を呼び戻そうという意味だったのかもしれない。
知識人とか理性のある人は、
捨てるということがとても嫌いな人たちだ。
いいも悪いもかまわず我が身に蓄えるのが現代人というものなのだろう。
そして知識ばかりに頼る人はものごとに否定的になる。
by. 桜井章一氏
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一歩ずつでも前に進むのが麻雀というゲームの本質なのに、
一歩も歩を進めることなくそこにとどまるか逃げるかだけである。
またこの世の常として、
考えすぎることで頭が変になったり、
病に陥ってしまっている人がたくさんいる。
by. 桜井章一氏
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考えるということは、
困った時や嫌な時つまらない時、
あるいは危機に陥った時に起こる悪い要素のはずである。
人間、嬉しい時や楽しい時には考え込んだりすることなく、
そのものを感じ取っているはずなのに、
麻雀を打つとわざわざ考える方に入り込んでいってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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もちろん嫌なことや困ったことは必ず起きてしまうものだが、
自らそれが起こる方に身を置いてしまうのはおかしなことだ。
だからこそ雀鬼流では極力考えることを捨て、
感じられる方へ勇気を持って進めと教えてきたのです。
雨が降ったら傘をさし、
強風が吹けば何かの陰に潜めばいいというのは、
理性や合理から生まれるテクニックである。
雀鬼流では、
雨が降ったら濡れればいい、
風が吹いたら飛ばされればいい、
自然に生まれた状況から逃げずに、
雨が降ったら相手に気持ちよく振り込み、
天気になったら和了ればいいと打つ。
by. 桜井章一氏
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野球だってなんだって、
やらなければミスはないかもしれない。
難しいボールをすっ飛んで捕りにいけば、
エラーが起こる可能性は高くなるが、
それは捕りに行かない者の無失策よりずっと見事に決まっているし、
人に凄味を感じさせ感動を与えるものである。
またそうする者は、
エラーやミスの中から何かを学び取っていけるのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀を瞬時に打つということは、
考えを極力排することで、
考え込む麻雀の病や破滅的な方向を避け、
平常に戻ることにもなる。
人は自分を救いたいと思う。
救いたい気持ちから罪を犯すこともある。
by. 桜井章一氏
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麻雀だって和了りたい気持ち、
振り込みたくないという気持ちの中に罪があるような気がする。
だが人は欲望をかなえるため、
我が身を救いたいがために、
打ち筋の奥底に人としての罪を残している。
by. 桜井章一氏
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また救われたいがために人は考える。
考えて考えて、
なんとか自分だけは助かろう、
救われようと思い尽くす。
それが次第に弱気となり、
迷いとなり、
病となり、
狂に行き着く。
先は決まっているのに人は考えることをやめられない。
それが人間に与えられた弱さなのだろう。
by. 桜井章一氏
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感じるままに生きることに正当性があるのに。
運というのも考えることで外してしまうことが多い。
感性を育み感じる力を強くして、
感じたことを瞬間的に決定できる時の方が、
歴然と運には恵まれる。
俺の麻雀など、
ほとんど考える部分は入り込まない。
感じたままに打ち切ってきた。
by. 桜井章一氏
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考えることが利になるとか、
考えることがすべてであると教えられてきた現代人には、
わかっていてもできない部分かもしれないが、
せめてこの文章を読んでくださった若い読書の方々は、
麻雀だけでも極力考えることを捨て、
感じる力で打ち切って欲しい。
考えるのは互いがまずい時、
危ない時。
それを自ら呼び込んでいるようでは、
自分から敗け組に身を投じているようなものなんだということに、
早く気づいてほしい。
by. 桜井章一氏
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考える時代がこの先も進めば、
人間の社会は確実に病み、
狂の道へ進むしかないのです。
人間性をこれ以上悪化さえないためにも、
それぞれの人が、
生きとし生けるものが自然から与えられた感性というものを、
もう一度取り戻したいものです。
by. 桜井章一氏
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日常生活に甘さを残すと後塵を拝することになる。
すべての生きざまに早さとトロさがあるものだ。
彼らの今までの生きざまにあった、
考えなければ何かが進まない、
できないという、
邪魔な知性と甘さを俺は感じ取る。
by. 桜井章一氏
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雀鬼流では感性を取り戻すために、
ツモって切るまでの動作を一瞬で行うことを求める。
また「瞬間は愛なり」とも教えてきた。
感じることが愛であり、
感性を取り戻すことが愛を知ることにも通じてくる。
by. 桜井章一氏
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