■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-
わが道を生きるとは、我を見捨てず、我を人任せにせず、自分の内面を心を思いを大切にし、我を知る
物事の本質を追求していくことによって生まれる真の知識、
すなわち「超知」を手にすることは決して難しくはない。
その可能性はすべての人間の内奥に存在している。
「超知」こそが人びとに自信を与え、
生の次元を高めてくれるものなのである。
by. 桜井章一氏
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世間にあわせ、
順応して生きることが社会的にまっとうな自立している人間の条件と教えられてきたのだ。
それを批判はしない。
しかし、私には、
自分に素直に生きることができず、
世間という魔物の下敷きになっていきている姿にしか見えないのだ。
そういう道を歩む人をかいまみても、
けっして真の一人歩きに見えることはない。
by. 桜井章一氏
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世間にあわせることは、
言葉を変えれば世間に管理されることであり、
安全な位置を獲得するが、
自分の道を犠牲にすることになる。
自分の思うがままに、
自分に素直に生きられない。
それでも人として生きなければならない。
そこに欲求不満が残る。
by. 桜井章一氏
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一方、世間にあわせようとせず、
世間に背を向けて歩む人たちは、
単なる変わりものとして、
うさんくさい人として、
片づけられてしまう。
ならまだしも、
ときには世間を敵にまわしてしまうことになる。
これは大敵だ。
世間に背を向ければ、
不安な日々を送るのは必定。
by. 桜井章一氏
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どっちに転んでも、
欲求不満ないし不安から解放されることはない。
外面的なことに身を任せるのではなく、
自分という内面に身を任せるなら、
自分という存在に確信を持つことができるはずなのだ。
換言すれば、
外面的なことだけに関心の目を奪われていては、
いつまでたっても主体性を確立することなどできない。
by. 桜井章一氏
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自分に確信が持てる人は、
世間をしっかりと見極めることができる。
そうなることで、
自分を見失うこともなく、
世間に自分を身売りすることもなく、
生きていけるのである。
人が自由を求めるのなら、
管理されるほうを選んで、
自分を不愉快な人間にしてはいけないのだ。
by. 桜井章一氏
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わが道を生きるとは、
われを見捨てず、
われを人任せにせず、
自分の内面を心を思いを大切にし、
われを知ることにある。
楽しい人生というのは、
そんなところにあるのではないだろうか。
自分の内面が豊かになり、
楽しければ、
この世もきっと楽しいものになることだろう。
by. 桜井章一氏
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人は、地から始めて、
まるで凧のように一歩でも天に近づきたいと願います。
しかし、私はもはやこれっぽっちも天に近づきたいとは思わない。
いったんは天高く昇った凧も、
いつかは大地に帰ってきます。
普通、ちょっと勝ち出すと、
みんな天に昇っていこうとします。
by. 桜井章一氏
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しかしそれは、
調子にのって冷静さを失うことに通じます。
私は基礎のところへ戻ったし、
そのほうが安堵できた。
飛翔を終えた凧のように土に帰ってくる自分を褒めました。
「土に還る」というのは、
基本に還る、初心に立ち戻る、
普通になるということです。
by. 桜井章一氏
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多くの人たちが、
その初心の気持ちを忘れてしまう。
人間、「土に還る」という精神がないと、
いつもふんぞりかえって、
いばりの発想に落ち込み、
そこには平等・博愛・国民(大衆)尊重の気持ちのかけらもなくなってしまうのです。
残るのは差別だけだ。
by. 桜井章一氏
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また、上昇しているということは、
落ちることがあるということです。
それも高ければ高いほど、
そこから落ちたときのダメージは大変なものがあるのです。
であるから、高い位置の人には、
心に恐怖心があり、防衛本能がつのるのです。
自ら低いところに下りていれば落ちる心配はありません。
by. 桜井章一氏
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私は、ごく自然に、
「土に還る」生き方をしています。
二五円しかポケットにない者たちと、
肩ふれあって生きているのです。
熱心と真剣とは同義語ではない。
「熱心」はただの入り口で、
「真剣」は人の生き方にかかわってくる。
by. 桜井章一氏
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真剣になるには、たとえば、
冷静と勇気とかいうような相反することを同時に行う「合一の精神」が必要です。
それが雀鬼会の真髄です。
「もし君らが真剣に麻雀を打ち、そのうえ勝ちたいなら、決して低いレベルの人に流れを渡すな。
自分よりレベルが高いと思われる人に流れを任せろ」と。
by. 桜井章一氏
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卓上の流れは、
航行する一艘の舟に似ています。
舵を取る者によって、
流れは良いほうにも悪いほうにも転びます。
質の悪いほうに流れていってしまうと、
たとえ一人がどんなに正統派で打とうと、
淀んだところへ行き着くことになります。
逆に、もっとも質の良い人に合わせて、
良い流れを作っていけば、
それぞれの力が最大限に発揮される戦いになるのです。
by. 桜井章一氏
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