■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-
心を澄ませることが麻雀の勝利につながっていく。私と私以外の麻雀打ちとの違いは心が違うだけ
人間というのは、
大人も子どももそうですが、
とかく「数」を価値観の中心におきます。
しかし、「数」を追いかけることで、
自分たちを苦しめている。
それで、苦しんで負けるか、
苦しんだうえで、
嫌な気持ちの、
後味の悪い勝ち方をしてしまうかのどちらかなのです。
by. 桜井章一氏
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ですから、雀鬼会では、
「数」というものをできるかぎり取り払ってしまう。
結果ではなく、
いい仕事をしているかどうか、
内容で評価する。
たとえば、
ラスのやるべき仕事というのは、
こういうことです。
二人負けの状態であったなら、
負けている者同士が力を合わせて、
どちらか一人が浮いて助かるようにすることです。
運がないぶんその二人は、
トップを争っている者同士よりも、
真剣なのです。
by. 桜井章一氏
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抜きんでた力量を持った者が現れないまま、
どこの世界でも、
勝ったり負けたりを繰り返しています。
人は「知識」と「強さ」のどちらも欲しいはずなのに、
「知識」だけに甘んじて、
「強さ」の部分ではだれかに依存している。
だが、強さを捨てた人たちが、
優しさという鎧の下に身を隠しても、
そこには真の優しさなどなく、
甘さしか残らないのです。
by. 桜井章一氏
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人は真の強さを持っただれかが現れてくることを心のどこかで待ち望んでいます。
であるなら、
いつまでも優しさの鎧に身を包んでいないで自分が強い人になろうとしなければなりません。
真の優しさは、
強さの中からのみ生まれてくるんです。
そして、心の温かさは万能なのです。
by. 桜井章一氏
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この世の中に本当のところ、
安定などないのですよ。
「諸行無常」という言葉は、
どこかで耳にしたことはおありでしょう。
「万物はつねに生成変化して、
少しのあいだも止まることがない」
という意味の仏教の根本思想です。
by. 桜井章一氏
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不真面目に生きることも良くないですし、
真面目くさって生きることも良くないのです。
真面目すぎると、
面白くない人になってしまうんです。
その両方を否定するような、
バランスのとれた人間にならなければいけない。
真面目とユーモアがくっついてこそ、
ほんとうのあったかさが生まれるんです。
by. 桜井章一氏
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みんなと一緒になって馬鹿いったり、騒いだり、
ソフトボールやったりという私のそうした遊びの部分というのは、
土に還っていることです。
そうすることで、
理不尽なことは決して許せないといった真面目な側面とのバランスをとっているのです。
とにかく、この世に、
落ち着ける場所なんてありません。
世の中には、
意に染まぬことやトラブルはつきものです。
by. 桜井章一氏
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ですが、
人間いつかは死ななければならないわけですし、
歳を取ることへの不安、
死への不安から逃れることなんてできません。
それらを避けて、人間、
ただ安定を望んではいけない。
自然界に晴れの日ばかりが続かないように、
安定などというのは、
一生死ぬまでないのです。
勇気をもって不安定を受け入れ、
飛び込んでいく姿勢が大切です。
by. 桜井章一氏
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これから起こってくるであろう不安定なこと、
ストレスに対して強くなること、
ぶつかっていける人間になることが求められる。
安定を求める生き方を考える人は、
もうそこでだめ。
人はこう生きるべきだ、
という指針を教えることのできる人がいない。
安定を欲しがるのは、
早く歳をとっている証拠です。
歳をとったその先は
「死に体(相撲で、態勢がくずれて立ち直れる見込みのない状態)」
です。
by. 桜井章一氏
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目先の利に振り回されないで、
信念、思い入れの強さというものをしっかり持っていれば、
ここぞというときに信じられない力を発揮できる。
そういう経験のひとつ。
町田駅に降りたときです。
パッと目についたのが、
見すぼらしい格好をしたお年寄りの女性です。
小声で、駅員に何かしゃべってる。
どうやら、手に握り締めた千円札一〇枚を一万円札に両替して欲しいと頼みこんでいるようです。
駅員はといえば、事務的で、
「駄目だよ、ここでは」といっている。
by. 桜井章一氏
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「おばあちゃん、僕がかえてあげるよ」、
そういって、財布から一万円札を取り出そうとした。
ものはついでに
「ところでおばあちゃん、一万円札何に使うの」と聞いてみた。
「孫のご祝儀でね」という。
くちゃくちゃのお札の束です。
そのおばあちゃんが、
どういう生活をされているのかまではわかりませんが、
たぶん千円札を一生懸命に貯めてこられたのでしょう。
by. 桜井章一氏
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「それだったらおばあちゃん、一番きれいなお札を探さなくちゃね」
できるだけきれいなお札をと思い、
財布の中から探しだして、
渡した。
それで、私はその場を離れた。
おばあちゃんのくちゃくちゃの千円札の意味の大きさを感じとったことで、
私はとても気持ちが温かくなっていました。
人に親切にしたからではないんです。
by. 桜井章一氏
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その気持ちの良さを抱えたまま、
「牌の音」町田店へ生き、
卓を囲んだ。
そうしますと、
不思議なことに、
五巡目に役満(満貫の四倍の最高の和了り役)が聴牌したのです。
そして六巡目でツモってしまった。
〈これは、おばあちゃんの感謝の気持ちなんだな〉
そう思って、
和了らせていただいた。
役満が欲しいわけでもなく、
普通は意識的に和了らないのです。
by. 桜井章一氏
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自分の心を澄ませてさえいれば、
ふだんは見えないものや聞こえない音が、
見えてくるし聞こえてくる。
心を澄ますことでいい手がくる。
気持ちいい麻雀が打てる。
また、そういうおばあちゃんがいることを見逃さず、
忙しいからといってやりすごしたり、
「糞ババア、何やってるんだ」などというんではなく、
見落とさない目というのも大切です。
両替してあげたということだけではなしに、
千円札の意味というものを感じとることが、
見えないものを見るということにつながっていく。
by. 桜井章一氏
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別れ際におばあちゃんは振り向いておじぎをしてくれましたが、
その感謝の気持ちというものが役満になって私に帰ってきたのです。
心を澄ませることが麻雀の勝利につながっていく。
私と私以外の麻雀打ちとの違いは心が違うだけです。
もちろん、ものの見方もテクニックも違いますが、
最終的には心の問題です。
心が違いますから麻雀も違ってくるのです。
by. 桜井章一氏
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