心が捨てる気持ちになったときに、人は恐怖心を克服でき、無心になれる。そこに愛情も思いやりも入ってくる

■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-

心が捨てる気持ちになったときに、人は恐怖心を克服でき、無心になれる。そこに愛情も思いやりも入ってくる

(男女間の分からない部分)このズレについてわかったふりをしてしまうことは、
いい子を演じる子どもと同じことになる。

女が必要以上に男の気持ちになろうわかろうとすると、
女をごまかさなければならなくなる。

また、男をごまかさなければならなくなる。
結局、どこかで無理がくる。

嘘をついていることになる。


by. 桜井章一氏

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麻雀を打つときにも男と女には違いがあります。

女が麻雀を打つと、
たいがいは置かれて立場や思いをその頭部に表してしまう。

男のほうは、
どちらかといえば身体全体でそれを表現する。

一般論ですが、
男はサッカーや野球といった空間的なゲームを好みますが、
女は言葉の豊富なメロ・ドラマに魅きつけられる。


by. 桜井章一氏

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愛が一生続くなどと思うこと自体、
おかしい。

男と女の愛などというものは、
だいたいもっても四年。

愛情にカゲリがみえてきた時期に愛着心を持ってれば、
そこで踏みとどまることができる。

「愛」に執着の「着」というものがつくのです。


by. 桜井章一氏

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辞書によれば、「愛着」には、
「愛情のために思いきれないこと」という意味があります。

その思いきれない部分で、
情が深いとか、
恩義があるとかがくっついてきて、
関係が長持ちする場合もあり、
愛着すらも途切れてしまうと、
関係がなくなってしまう。

ですから、
愛にすがっているわけではなく、
「愛着心」にすがって、
男と女が一緒に生活しているというのが現実です。

二人をくっつけているのは、
愛から派生した恩だとか義理だとかいうものであって、
真の愛ではない。


by. 桜井章一氏

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「必要」という言葉を言い換えるなら、
「要求」ということです。

愛というのは、
一方的に与えるだけですから、
必要や要求とは正反対のものであるはずです。

大事なことは、
必要であるかないかではなく、
まず愛があるかどうかです。

愛がさきです。

必要を考えているから、
必要ではなくなってきたら愛も冷めてしまう。


by. 桜井章一氏

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■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ- 力んでいる状態がなぜ嘘っぽいのかといえば、 それは"素の自分"では...

人は、愛を得たいために、
愛を与えているにすぎない。

人は、往々にして、
何かを得たいがために、
思いやりを発揮する。

くれるだろうなと思う人にしかあげないし、
努力も辛抱も絶対しない。

ですが、
そんなの真の思いやりでも、
真の愛でもない。

対価のないものには、
価値がない、
という判断になっている。


by. 桜井章一氏

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若い人たちの結婚もそうです。
心のどこかに依存心がある。

依存する気持ちがあって結婚したところが、
じつは精神的にも経済的にも依存できるような男性も女性もいないんですよ。

それで、愛がさめてしまう。

協力という言葉には、
これだけのことをやってあげたんだから、
君もそれに応えてよ、
というのが本音としてある。


by. 桜井章一氏

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ですから、
「協力して、幸せになろうね」などというのは、
とんでもない。

幸せはあげるだけ、
それでいい。

男であれば、
相手にただただ与えるだけであるべきです。

女房がやろうがやるまいが関係なく、
自分がやってればいい。


by. 桜井章一氏

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■群れない生き方 -ソフトバンク文庫- 現代人の"群れる"という行動は、 生命と直結したところから生まれる本能的なものではなく、 いず...

いいことは他人のせいにして感謝、
悪いことは自分のせいにして反省材料にしなければ、
自己教育にはならない。

だれのせいでもなく、
自分のせい。

勝負に負けて、
愚痴をこぼしたって、
しょせん自分の非力のせいです。

愛と欲求不満と情緒不安定とをごっちゃにしてしまってる人が男女とも多い。


by. 桜井章一氏

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執着心や依存心というのは、
「さあ、お前だったらどうする?」と、
生まれもって人間に与えられた永遠のテーマです。

欲望も含めて、
それらに呑まれないで、
それらからちょっと離れて外から眺めることができなければいけない。

私にいわせれば、
失うことを恐れない者こそが、
真に男の中の男ということなのです。


by. 桜井章一氏

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人間という生きものは、
「得ること」にのみ価値を置き、
仕事や学問に取り組んでしまう。

その結果、
「失うこと」を恐れ、
いつもおびえながら生きてしまうことになるのです。

得たものや、
手中にあるものを失いたくないという気持ちは損得勘定です。

人はいつの頃からか、
「得ること」ばかりに心を囚われ、
「失うこと」に対して過敏な恐れを示すようになってしまった。


by. 桜井章一氏

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■群れない生き方 -ソフトバンク文庫- 高尚な価値観を持った大人たちは、遊び心を忘れてしまう。 遊び心がないから仕事を楽しめない。 ...

この世に生を、
命を得ても、
いつかは失う。

「得ること」と「失うこと」とは抱き合わせになっている。

別々に分けて考えることのできないもの、
二つで一つ。

これが自然界の摂理です。


by. 桜井章一氏

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人生、得ることだけではありません。
子どもたちは得ることだけを価値観として育ってしまう。

企業に入ってからも、
得ること、
増やすことばかりを、
頭に植えつけられる。

進歩だとか、
繁栄だとかの、
美しい理由づけがあり、
正当化されて、
教え込まれている。

そういうわけで、
なにごとにつけ捨てることがとても怖くなっている。


by. 桜井章一氏

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ですが、ご承知のように、
人間一番強いのは、
捨て身のときです。

ということは、
捨てどころ、
というのがあるのです。

心が捨てる気持ちになったときに、
失うものは何もないという状態になったときに、
人は恐怖心を克服でき、
無心になれる。

どれだけ捨てられるかというときに、
そこに愛情も思いやりも入ってくる。

捨てたくないとい思ってる者に、
思いやりなどあるわけがない。

通常、人は、愛情だとか、
何かを得たいがために、
相手に優しくしたり、
思いやりを発揮している。


by. 桜井章一氏

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