ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、そして「自分を売らないこと」

■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房-

ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、そして「自分を売らないこと」

世の中はお金や権力といった、
力や優れたテクニックを持っている人間が有利に生きられると思われています。

力というものは、
人間関係に如実に出てくるものです。

しかし、力があるからといって、
それを行使されたら誰でも嫌な気分になります。

何事も、
力は持っていてもそんなものは行使せずに、
力を抜いてやったほうがいい。


by. 桜井章一氏

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力やテクニックに頼らないで、
自然に動いたほうがいいのです。

私から見て、
「やるな」という動きをする人は、
決して力があったりテクニックが素晴らしいわけではありません。

ハッキリ言って、
力やテクニックで勝とうとする動きは醜いものです。

力や技術、知識に頼らず、
「自分の感覚」で挑んだほうが、
「いい動き」ができることに気がつきました。


by. 桜井章一氏

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逆に言うと、
力やテクニックを出して動いているときは、
あまりいい動きができないのです。

テクニックと引き換えに、
もっと大切なものを失ってしまうような気がするからです。

その大切なものとは「自分」。

テクニックを身につけることで、
かえって自分というものを素直に表現できなくなるような気がするのです。


by. 桜井章一氏

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自分が感じることや思うことを、
自然に出せばそれでいいのです。

この感覚が、
「ありのままに生きていられる」ということです。

ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、
そして「自分を売らないこと」。

テクニックや力に頼らず、
等身大の自分をさらけ出す生き方ことがマイナ-感覚なのです。


by. 桜井章一氏

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私は自分が分からないことを聞いたりすると、
「面白いなぁ」と思います。

しかし、それ以上でも以下でもありません。

分からないことをあえて詳しく分析したり、
分かろうとすることもない。

深くは考えずに「俺には分からないけど」
「へぇそうなんだ」と楽しんで終わりです。


by. 桜井章一氏

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■瞬間力 ~逆境を乗り切る方法~ -竹書房- 麻雀の動作というものは、まっすぐに動いていれば間違いは起こさない ...

深く考えていくと、
今度はそれにとらわれてしまったり、
こだわったりしてしまう可能性があります。

こだわって自分で調べると、
俺に教えてくれた人はAだと言ったのに、
Bであるという結果になるかもしれない。

そうなると楽しくありません。
ある意味、上っ面でまったくいいのです。

単純に分からないことを「面白いなぁ」と楽しむ。


by. 桜井章一氏

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みんな賢いフリをしようとするからしんどくなるし、
人生に嘘が多くなるのです。

そもそも人生の多くは、
曖昧さの中に答えがあるものです。

数学のように明確に一つの答えが出るものに対してなら、
「分かる」「分からない」ということを言い切ることができるかもしれませんが、
恋愛や、人間関係、ものの善悪……
そういったものの多くは「分かる」も「分からない」もない。

絶対的な答えなど、 
どこにもないのです。


by. 桜井章一氏

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それだったら「分からない」ことを認め、
「分からないけどね」という立場から、
相手の意見に譲歩したり、
理解し合ったほうがいい。

「分かっている」という立場に固執すると、
「自分は分かっている。それはこういうことだ」とか
「そんなことは知っている。だからこうしなさい」と、
一方的な押し付けになってしまいます。

自分の意見を押し付けることによって、
相手をコントロールしようという発想になってくる。

そもそも方程式なんかで解けない複雑な世の中のことを、
「分かったふう」に語ることに無理があるのです。


by. 桜井章一氏

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■瞬間力 ~逆境を乗り切る方法~ -竹書房- 人間ずっと完璧な状態なんてことはない。大切なのはどこでどう修正するか ...

知識人や専門家、
メジャー人間の怖さとはそういうところにもあるのです。

「分からない」ことを楽しむ私の身の回りには、
不思議なことがよく起こります。

「不思議」というのは自分でもわけが分からない、
説明がつかない出来事や感覚のことです。

不思議は楽しいものです。


by. 桜井章一氏

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私自身、
なんでそんなものに遭遇するのか、
その理由は上手く説明できませんが、
おそらくは見えない「必然」といったものがあるのでしょう。

なんでも解明したり暴こうとするのではなく、
曖昧な余白を残しておく、

それも人生に余裕を持つ、
マイナー感覚の一つだと思います。

権力者やメジャー感覚に毒された人は、
未来のことをよく語りたがります。


by. 桜井章一氏

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地に足がついている未来の想像ならいいのですが、
私から見れば「未来」の先にあるのは「夢」ではなくて、
妄想が入った「欲」です。

「未来に夢を持とう」というアピールは、
「未来に欲を持とう」という経済原理から語られることが少なくないのです。

未来のことを多く語る人や、
先のことばかり語る社会というのは幸せでしょうか?

今が良ければ、
未来にばかり固執しないはずです。


by. 桜井章一氏

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そして未来のことばかり考えている人間というのは、
振り子の反動のように過去のことにも必要以上にとらわれている可能性がある。

生きていくことは、
辛いことの連続です。

未来に目が行きがちなときは、
過去におかしなとらわれ方をしていないか、
今を本当に大事にして生きているか、
そんなことを自分に問いかけてみるといいと思います。

私たちは一度この世に生まれ落ちたら、
嫌でも確証のない人生を生きて行かなくてはなりません。


by. 桜井章一氏

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そんな人生の中で、
ただ一つ確証されていることは「必ず死ぬ」ということ。

つまり、われわれは「死」という確証に向かって人生を送っているわけですが、
その間の人生はどうなるかまったく分からず、
何も確証されていない道を歩いていく、
ということです。

そもそもわれわれは、
自分自身が何者かという確証すらないのです。

人は自分にすら確証が持てない。
だから、別のものに確証を求めたがるのです。


by. 桜井章一氏

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「愛」や「お金」「宗教」「出世」「学問」など、
「他」に求める「確証という名の依存の種」は、
さまざまなところに転がっています。

しかし、そんなもので確証を得た気になっても、
それは一時の気休めに過ぎません。

科学ですらも、
そのとき正しいとされた唯一無二のものが、
時間の経過とともに変わっていってしまう。

最先端の技術も必ず時代遅れになる日が来るし、
あるいは「実は間違っていた」と言われる時代がやって来るかもしれないのです。


by. 桜井章一氏

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