■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
多くの人がリスクを避けよう避けようとするが、逃げていたら学ぶことはできない。そうではなくて悪いことも受けとめること。いいことは一度疑ってみる必要がある
それゆえに感性や直観を使って生きてきた。
だから、わざとリスクを取るというのではなく、
生活すべて、行動すべてに対して感性を磨いてきた。
つまり、その出来事がリスクであるかないかで物事を判断してこなかった。
経験を重ねるたびに、
頭に詰め込む情報が増え、
考える選択肢が増える。
by. 桜井章一氏
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それゆえに不安になったり悩んだりする。
悩めば物事の歩みは遅くなるからなんの問題解決もされないままリスクはリスクのまま残されていく。
かつて起きていたリスクも、
現在起こっているリスクも、
生きていれば当たり前というように思えるのだ。
人間は必ずリスクを背負って生きているのだということに気づくだけでも違ってくる。
by. 桜井章一氏
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それを知っていれば、
どんな問題が起きようと悩むことはない。
むしろ、その場でリスクに対処しようというのではなく、
普段の生活の中からそれに対応できる感性を身につけたほうがよい。
環境の変化で淋しさを取り除いても、
また独りになると淋しさの沼に入る繰り返しをしてしまう。
私はリスクも学びという面白さに変えてしまう。
by. 桜井章一氏
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自分でわざとリスクのある状態に置いて何かこなしてくという、
そこにこそ学びがあると思う。
リスクとは学べる場なのだ。
なぜならば、リスクを考えて、
普段から心の準備や用意をするようになるからだ。
多くの人がリスクを避けよう避けようとするが、
逃げていたら学ぶことはできない。
by. 桜井章一氏
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そういうリスクに対して向かっていく考え方にポジティブシンキングというものがある。
ポジティブシンキングだと、
都合の悪いことは考えないようなニュアンスがあるからだ。
そうではなくて悪いことも受けとめること。
ふつうなら倒れるような悪いことに対しても、
やってみようかという楽しみ方として考えている。
by. 桜井章一氏
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どんなに悪い状況でも、
そのリスクから逃げないで楽しんでしまえれば、
逆に学びの場になる。
自らリスクに飛び込み学んだことは、
いつしか感謝に変わるはずだ。
クイズ番組が流行るのは答えを求めないと安心できないという世間の不安が根底にあるということだ。
答えが最初からある問題を解くだけのために小・中・高・大と、
いったい何年間学校へ通ってきたのか。
by. 桜井章一氏
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多くの人がその間、
決められたものを追っかけて生きてきただけだ。
しかし、社会に出てそれが何の役にも立たないことはわかっているはずだ。
世の中、確証されたものなんてほとんどない。
そのないものを求めすぎている。
確証なんて実際に人間がつくったもので、
もともとあるわけなどない。
by. 桜井章一氏
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確証がないことを前提にしておけば、
別に何が起きたってどうってことはない。
生きているといろいろな不安が降りかかってきて、
上からも下からも突き上げられるような感覚がするだろう。
しかし、考えてみればそんなものは当たり前のことで、
確証がない世界だからこそいろいろなことが起こるのだと気づいていれば、
不安になることなどないはずだ。
ただ長い間、
答えのある世界に生きてきて、
本当は答えがないということを忘れてしまっている。
by. 桜井章一氏
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ただ困難と思われる出来事が急に降りかかったように思っているだけなのだ。
良いと思うことでも囚われたらおかしなほうにいってしまうことがある。
私はそれを「いいこと病」といっている。
ヒトラーも善の一歩から道を進めた。
むしろ私は、
いいことを純粋に突き詰めた結果が、
人から見れば狂気に走らせただけなのではないかと思っている。
by. 桜井章一氏
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人はいいことに囚われると、
己の都合や主義、
思想で異なったものを抹殺してしまう。
こうした正しいという思い込みの囚われは、
自然に対しても同じだろう。
たとえば、土は人間も必要とすれば、
虫たちも必要としている事実は排除されてしまう。
互いが共有し合って土が成り立つのに、
虫を殺すことが自然を支配するうえでは正しい選択なのだと思っている。
by. 桜井章一氏
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一方で、自然と共有することこそが人類にとって必要だと、
変な自然主義者が生まれる。
いずれにせよ、いいことに囚われた結果、
ほかが見えなくなるという状態は、
私にすればふつうではないと感じる。
また、いいことだと信じてきたものがそうではないと裏切られた時、
囚われていればいるほど反動が大きいのも事実だ。
いいことは一度疑ってみる必要がある。
by. 桜井章一氏
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それは世間では常識といわれているものなのかもしれない。
世の中には、
いいことも悪いこともあるととらえていれば、
少なくとも自分を見失うことはない。
あなたは善意ややさしさというものを大切にしているかもしれない。
しかし、善意ややさしさは大切だという発想を続けていると、
それは病気になる。
by. 桜井章一氏
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心の病になるのだ。
多くの人が、
いいことをすべてやっていればOKだと勘違いしている。
しかし、世の中いいことをすれば結構というわけではない。
今は誰もが不安になっている社会で、
こうした心の隙間に善意と称して入り込んでくる。
by. 桜井章一氏
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その結果、
まわりの人を余計に不安に陥れているということに気づいていない。
善意ややさしさとは別に、
頑張るとか熱心とかいうのも同様に危なっかしい。
真剣だとか一生懸命だとかいうのも危なっかしい。
私が感じる危険とは、
そうした心の偏りである。
by. 桜井章一氏
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