■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
みんなで何かを一緒にやる、生きている仲間だと思っている。相手は自分に波長を合わせるものに対して、けっして敵意を抱かない。自分の考えを捨て、ただその人にゆだねればいい
それよりも私は、
「仲間」をつくることを大事にしてきた。
友人関係ではない。
みんなで何かを一緒にやる、
生きている仲間だと思っている。
友人ならどうしたって都合がいい。
by. 桜井章一氏
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しかし、仲間には都合の悪いやつも入ってくる。
こんなやつとは、
とてもじゃないが一対一でつき合えない。
ヘマしたり、ミスしたり、
手間暇のかかるやつがいっぱいいる。
すべて友人だったら大変だ。
by. 桜井章一氏
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しかし、仲間としてなら、
都合の悪い人間もみんなで手をつなぐから離れないし、
どうにかうまくいってしまう。
仲間と思っているから、
私のやっていることを一緒にしてくれているという感覚だ。
彼らもそれがわかっているから、
都合の悪い”仲間”がいても、
みなで何とかしようとする。
嫌な人間も仲間だという感覚でいっしょくたにつき合えば、
みんなで解決していくしかなくなる。
by. 桜井章一氏
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そして、その人が何か問題を起こしても楽しいと思えるし、
あなた自身も不愉快な気持ちにならなくてすむ。
とにかく仲間をつくるほうが、
人生は楽しくなる。
人が見落とすような小さな生物をパッと見つけて、
「ほら、あそこにメダカがいるよ」と、
子どもに教えたりする。
そういうことがすごく楽しい。
本当の楽しさを知っていたら、
いわゆる大人の楽しみなんてくだらないと思えてしまう。
私が海や山、
小川などで生物を見つけるのが楽しいのは、
そこに「つながっている」という感覚を感じることができるからだ。
by. 桜井章一氏
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自然を見ると、
すべてが循環しているということに気づかされる。
小川を見てもこれは海に通うじていて、
また海から山に帰っていくのだと。
川だけでとどまっているのではない。
必ず何かほかの部分とのつながりが見えてくる。
by. 桜井章一氏
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この「つながっている」という感覚を感じることが大事で、
多くの人がこうした感覚を忘れてしまった。
なぜつながっているという感覚が大事かといえば、
これが社会の中でのつながりに通じるからだ。
つながっているという感覚があれば、
もし知らない人が困っているのを見たら、
頭で考える前にすぐに動いてしまう。
そういう気持ちが自然と起こる。
それは善意とか好意とかやさしさではない。
by. 桜井章一氏
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つながっているという感覚があるから助けるだけで、
やさしさとは別の感覚が働く。
やさしさとはこういうものだという定義は、
たんなる固定観念にすぎず、
これに縛られている限りさっと動くなどできない。
感覚で動けば勝つとか負けるとかという判断とは別の部分で、
すでに体が動いている。
つながっているという連鎖の感覚を取り戻すこと。
これは自然の中に身を置くことで体に染みついていく。
by. 桜井章一氏
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なぜ最初、私が平然としていられたかといえば、
実は写真を撮る前に私は海の中でサメと遊んでいて、
サメの波長に合わせていたからである。
相手の波長に合わせれば、
サメでさえ仲間になれると思っている。
それは私が強いものに対する畏怖と親しみを持っているからだ。
畏怖の念を持つことは人間死ぬまで必要だと思っている。
by. 桜井章一氏
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もし自分が自然には勝てないということを常に意識して生きていたら、
己のまわりに起きる現象などちっぽけなものにすぎないと実感できるはずだ。
そして自分よりも強いものの存在に対して、
それに近づこうとする憧れを持ち続けることで、
自分に降りかかるリスクもたいしたことがないと思えるようになる。
しかし、それよりも大事なことは、
私の場合はサメであったが、
相手の波長に合わせるということである。
相手は自分に波長を合わせるものに対して、
けっして敵意を抱かない。
by. 桜井章一氏
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強いものであれ弱いものであれ相手が自分の波長を感じ取ったら、
言葉がなくても互いが通じていく。
たとえば、この人といい人間関係を築きたいと感じたとする。
その時、どうしたらこの人に気に入られるかとか、
どうすれば自分のことを意識してくれるかなど頭で考えないほうがいい。
それよりも相手の波長に合わせることだ。
by. 桜井章一氏
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その人に畏怖の念を持つ必要はないが、
自分の考えを捨て、
ただその人にゆだねればいい。
そうして波長を合わせることで、
相手は自然にあなたを受け入れている。
by. 桜井章一氏
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私は明るくて元気がある人たちの中にいられることが、
かなりありがたいことだと思っている。
多くの人は、
つき合う人は同年代がほとんどだと思うが、
私は同じ年代の人とつき合うのではなく、
自分よりも若い人たちとつき合うほうがいいと思っている。
とにかく若い人の中に溶け込むということだ。
そこには年齢というプライドが左右するはずだ。
しかし、プライドの高い大人を若い人たちはバカにする。
by. 桜井章一氏
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それは当たり前で、
金もない地位もない彼らに溶け込むには、
己のプライドを捨てなければ認めてくれるはずはない。
私は麻雀を通じて若者の中に溶け込んでいるが、
それは自分がバカになれるからだ。
尊敬され、畏れられる大人はしょせん若者の中に溶け込めない。
では、なぜ若い人たちの中に溶け込まなければならないのか。
by. 桜井章一氏
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それは、頭が固まらないからだ。
頭が固まってしまうということは、
私にとっては死んでいるのと同じことを意味する。
私はいつまでも若い人や子どもの中にいたい。
そのうち、彼らも大人たちの中に引きずり込まれてしまうだろうが、
それがきたら、
もうそこには私の姿はないような気がする。
by. 桜井章一氏
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私はいつまでも若い人や子どもの中にいたい。
そのうち、彼らも大人たちの中に引きずり込まれてしまうだろうが、
それがきたら、
もうそこには私の姿はないような気がする。
年を取れば取るほどやわらかく生きる。
そのためには、自分よりも若い人たちの中に溶け込むことだ。
そのためにはプライドを捨ててバカになれるか。
ここに本当の大人かどうかが試される。
by. 桜井章一氏
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