■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
既製服とは自分らしさを失った生き方だ。子どもにとっての自分らしさとは「感性」というものにほかならない。もし子どもの感性を削ることがしつけなら、しつけなんていらない
子どもが成長して知恵がついてくることを、
親は賢くなったと喜ぶ。
しかし、子どもが持っている貴重な感性がどんどん削られていくことは、
実はとても残念なことだ。
人間は脳みそなど使わない時のほうが素晴らしい。
人は脳を使い出した瞬間から感性を失っていく。
私がいつも大事にしている古い感覚というのは、
そういう赤ん坊が持っているような原始的な感覚で、
生命の根源的なものだ。
by. 桜井章一氏
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一番下の孫は今、
言葉を二つしか知らない。
「じいじ」と「葉っぱ」の二つ。
しかし、「葉っぱ」というものに宿る感性は大事に取っておいてほしいと思う。
花というのは、
見かけのキレイさでいい悪いが選ばれてしまう。
by. 桜井章一氏
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しかし、葉っぱというのは雑草まで含まれているわけで、
葉っぱを見ていい悪いということはない。
花には見かけのキレイさの一方で、
女を口説くためとか、
自分の美意識を見せるためとか何か裏がある。
また、花というのはある意味で浪費の象徴だ。
桜の花は一週間で散ってしまうから格好いいというが、
結局は枯れてしまう一瞬のものを愛でているにすぎない。
by. 桜井章一氏
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花はもともとそんなあつかいではなかったと思う。
ケガした時にどの草がいいかとか、
毒草だってちょっと使えば薬になるとか、
この葉は食べられるか食べられないかとか、
生きるうえでは花より葉のほうがどれほど重要だったのか。
人間の根源はこんなところから始まっている。
だから、孫の葉っぱが好きだという感性はずっと大事に取っておいてほしいと思うのだ。
by. 桜井章一氏
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自分が「既製服を着た生き方」をして、
お決まりの生活をしていることが、
それほど楽しいかということだ。
私は今の人たちは、
案外豊かさとか楽しさを感じていないのではと思っている。
だったら、なぜ自分と同じ道を子どもにも歩かせようとするのか不思議でしかたがない。
既製服とは自分らしさを失った生き方だ。
by. 桜井章一氏
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そしてそれは、
子どもにとっての自分らしさとは「感性」というものにほかならない。
だから、もっと子どもの感性を大事にしてあげたほうがいいのではないかと感じている。
子どもというのは、
大人が忘れてしまった楽しさというものを覚えているもので、
それを成長の過程で大人がだんだんと削ってしまう。
この感性を削ることをしつけだとか教育だとかといっているのだ。
by. 桜井章一氏
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そして、子どもに「勉強しなさい」とか、
「これはしてはダメ」といって、
つまらない人間に矯正してしまう。
このつまらない人間の代表が、実は大人だ。
私はよく感性という言葉を口にするが、
子どもはもともといい大学に入って、
いい会社に就職して、
お金をたくさん稼いで、
他人よりもいい生活をするということを幸せだと思っていない。
それよりも自分は何が楽しいかということを第一に考えている。
by. 桜井章一氏
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しかし、大人は棒きれで遊ぶなんてバカだ、
危ない、そんなことよりも勉強して立派な大人になれ、
と子どもの感性を削っていく。
大人が考える立派な大人なんて私にいわせれば既製服を着た今の大人の姿だ。
あなたが今の生き方に楽しさを感じていないなら、
子どもに同じ生き方を強いることはおかしいと感じないだろうか。
もし子どもの感性を削ることがしつけなら、
しつけなんていらない。
by. 桜井章一氏
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子どもの感性を大事にして、
その感性を良い方向に導いてあげること。
大人ができることなんて、
それくらいしかない。
あなたが一日のうちで、
どれだけ他人から新しい発見をしているだろうか。
残念なことに、
大人になるともう発見なんてあまりできなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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なぜなら、誰もが装ったり、嘘をついたり、
それが知識であったり、立場であったり、
いろんな姿でごましているからだ。
そんなものからは何も発見はできない。
しかし、子どもというのは、
そういう大人が身につけている世間体のようなものは何もない。
すべて素でやっている。
by. 桜井章一氏
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その素の姿から、
あらゆるものの根源な考え方を私はいつも教えられている。
すべてを「感覚」で判断する子どもにとって、
いいも悪いもない。
それを親が「しつけ」という形で、
おかしな価値判断を植えつけてしまう。
私は子どもに対しては、
しつけなど偉そうなことをいうのではなく、
親が一緒に遊ぶような感覚で子どもとつき合えばいいといつもいっている。
by. 桜井章一氏
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実は子どもを変えるのでなく、
大人のほうが考え方を変えないと無理なのだ。
世間体を前提にした既成の価値観を大切にして、
それに向かって子どもが進むことを望んでいるのは、
親のほうだけだからだ。
しかし、こうした既成の価値観はあなたを腐らせていき、
子どもをも腐らせていく。
あなたが子どもと素直に遊んでみれば、
あなたが忘れていた発見があるはずだ。
by. 桜井章一氏
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子どもはあなたにいろいろなことを教えてくれるはずである。
私のいう子どもと遊ぶとは手段のことではない。
あなたがどれだけ本気で遊んでいるかということだ。
私が葉っぱを一〇〇個描いてあげても二〇〇個描いてあげても、
孫はまったく許してくれない。
by. 桜井章一氏
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だから、それこそ孫がいいというまで、
一〇〇〇でも二〇〇〇でも葉っぱを描き続ける。
私は子どもと遊ぶ時、
けっして手を抜かない。
私が本気で遊ぶのは、
子どもが持っている感覚、
いいかえれば生命に対して、
本気で向かい合わなければ恥だと思うからだ。
だから本気で遊ぶ。
by. 桜井章一氏
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