■未知の力を開く! ~気鋭の精神科医が「雀鬼流」を診断する~ -ゴマブックス-
「どうせダメだよ」という思考に囚われた子どもは、「自分はここまでしかできない」という壁を勝手に設定してしまいます。焦らずに子どもを待つことができるか、我慢できるか、ちゃんと付き合ってやれるか
でも、身体や行動のほうが比較にならないほど雄弁だと信じているし、
私にとって言葉は現実を掘ったり埋めたりするものとしては全然間に合っていない。
人間はほかの動物と違って未熟な状態で産まれてくるが、
その未熟さは実は死ぬまで続くと私は思っている。
そのことが、人間という生き物を自然からハミ出させているのだと思う。
だから、自然から見れば、
人間の未熟とはきっと”病”のようなものに違いない。
by. 桜井章一氏
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言葉とはそもそもそんな未熟さを埋めるために生み出されたものではないだろうか。
だとすれば、言葉に依存することは、
“未熟さからくる病”
を無意識のうちに言い立てることになる。
そう、言葉は、
人間が宿命的にかかってしまった治しがたい最大の病なのだと思う。
言葉は非情な曲者なのだ。
by. 桜井章一氏
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たとえ素晴らしい言葉でも、
自分の存在を世界に刻み、
何ほどかの痕跡を残してやろうという動機が根にあれば、
どこか卑せんさがそこには見え隠れしないだろうか。
難しいことだが、
風が吹けばあっという間に跡形もなく消えてしまう砂漠の砂に彫られてような言葉、
そんな言葉をしゃべり、
書くことができれば理想だと思う。
たとえば、今の社会の豊かさの中にいることも、
おのずとまた病を深めることになる。
by. 桜井章一氏
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■「頑張らない」から上手くいく -講談社-
人というのは挫折や失敗を経験すると、
次の一歩がなかなか踏み出せなくなる時があります。
「どうせダメだよ」という思考に囚われた子どもは、
「自分はここまでしかできない」
という壁を勝手に設定してしまいます。
元々持っている力を考えればまだまだやれるのに、
勝手に壁を作ってしまっては伸びるものも伸びません。
ただそこで、壁を作ってしまった子に
「頑張れ、頑張れ」
と声援を送るだけではその子の成長は望めません。
by. 桜井章一氏
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自信をなくしている子に
「もっとできるんだよ」
ということを気づかせてやるには、
あえて低い壁を設定し、
それをひとつずつクリアしていくようにもっていくのもひとつの手です。
「お前はもうちょっと行けるから登山靴を履いて山に登ってこい」
というのは無茶というもので、
それが失敗したら元も子もありませんし、
その失敗が思わぬ事故につながることも考えられます。
最初はハイキングだけで満足していた子どもも、
そういったことを繰り返していけば、
やがて登山靴を履いて山に登りたいと思うようになります。
親や指導者は子どもがそうなる時まで、
じっくり腰を据えて待てばいいのです。
by. 桜井章一氏
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でも、待つということは我慢でもあります。
焦らずに子どもを待つことができるか、
我慢できるか、
ちゃんと付き合ってやれるか。
そういった資質が親や指導者には求められているのです。
人の数だけ個性があり、
考え方もあるように、
物事それぞれにふさわしい対応、
対処というものがあります。
by. 桜井章一氏
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そこに明確な答えなどありません。
人間は悩み、苦しみながらその都度最善の対応、
対処の方法を選択していくべきなのです。
親や教師、指導者が子どもたちとともに日々変化し、
成長していくことが一番大切なのだと思います。
根気のなさや飽きっぽさがそうさせているのであれば、
その子には根気強く物事を続けていくことの大切さ、
尊さを教えてあげればいいと思います。
by. 桜井章一氏
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たまに自分自身の力で勝負をしなければならない時などに思い通りにならないことがある。
するとその途端に興味がなくなり、
やる気も失ってしまうのです。
心が折れてしまって再び挑戦しようという気持ちも起きなくなる。
人生は思い通りになることもあれば、
ならないこともあります。
by. 桜井章一氏
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人生を長いスパンで捉えれば、
思い通りにならないことのほうが圧倒的に多いともいえます。
親というのは子どもの歩む道に階段を作りたがるものです。
自分の歩んできた階段と似たようなものだったり、
あるいはより高みを目指すための階段だったり。
しかし、人生は階段を上ることもあれば下りることもある。
by. 桜井章一氏
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場合によっては何段も下りて、
また一から始めなければならない時もあるでしょう。
ということは、
階段を下りるということは負けでもなければ、
逃げることでもない。
階段を下りるということをマイナスと捉える必要はまったくないのです。
私は「人生は思い通りにいかないから楽しい」
と思って生きてきました。
by. 桜井章一氏
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多くの人は人生を歩んでいく上で目の前に障害が現れるとそれをネガティブに捉えるのでしょうが、
私にとっては心をワクワクさせてくれるポジティブな対象です。
「おっ、またきやがったな」と思い、
その障害をどうやって克服するか、
そこに楽しみを感じながら生きてきました。
わざと階段を下っていくこともしばしばやりました。
行き詰まったら別の道を探せばいい。
探すのに疲れたらちょっと休んで気分転換することも必要です。
子どもたちに教えてあげなければならないのは、
「階段を上る」という一方通行的な観念ではなく、
「階段は上ったり下りたりするもの」
という柔軟な思考です。
by. 桜井章一氏
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柔軟な思考があれば物事を途中で投げ出したり、
諦めたりすることも少なくなっていくはずです。
心が簡単に折れてしまうこともなくなっていくはずです。
家庭が「個」を教える場所であるとするならば、
学校は集団の中で「公」を教える場所であると言えます。
「公」というのはとても色彩が豊かです。
by. 桜井章一氏
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学問を教えることももちろん大切ですが、
そんな豊かな彩りを子どもたちに認識させながら、
「道は一本じゃないんだよ」
と教えてやるのも教師の大切な役目なのではないでしょうか。
トラブルを解決してくれる人というのは信用できるし、
当てになる存在です。
トラブルを解決する力というのは、
「学問ができる」「仕事ができる」
といった能力とは別の力です。
トラブルに対処する力、
処理能力を高めるには、
そのトラブルがどういった種類、
性質なのかを、
絵画を鑑賞するがごとく、
全体的かつ多角的に、
しかも瞬時にその状態を捉えていかなければなりません。
by. 桜井章一氏
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一対一のトラブルなら少なくともふたつの見方をしなければなりませんし、
トラブルに関わる人数が増えればそれだけいろんな見方をする必要がでてくるのです。
とかく現代は物事を「複雑にする」
傾向がありますから、
トラブルを解決するには複雑に絡み合った紐を解きほぐし、
シンプルにつなぎ直す力がなければならないのです。
トラブル処理能力は現場でこそ磨かれていきます。
それがさまざまな壁を突破していく力になる。
だからこそ私は
「トラブル人間になれ」
と道場生たちに言っているのです。
by. 桜井章一氏
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