■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
本当は、いいことだけなんでもできる、悪いことはまったくできない、という人間になれればいい。世の中の人がだれも認めなくても、真実はある。価値はある
子どもたちが小学校を終えるまでは、
私は子どもの奴隷。
そして、中学からは立場逆転して私がトップに立つ。
しかし、それも二十歳になるまでの間だけで、
二十歳になってからは対等の関係。
これが私の考えです。
by. 桜井章一氏
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小学校までは十分に甘えさせてあげて、
中学からは徐々にけじめというものを、
上下の差というものをつけていきまs.
中学の終わり頃には、
依存心をなくしながら、
今度は、だんだんと愛情を与える立場に変わってもらわなくてはなりません。
十分に愛情を与えてもらってきた子は欲求不満に陥っていないので、
案外簡単に甘えから自らを解放し、
自立できるようになるものなのです。
私の子どもたちは、
「小学校の頃、お父さんに、山に、川に、海に、遊園地に連れいってもらったけど、それがいま忘れられない」
と話してくれます。
by. 桜井章一氏
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自分が子どものときに求めていたものを子どもたちが求めるのであれば、
やらせてあげればいいのです。
親の立場、親の領分から、
ものを言うようになります。
私は子どもたちに対して、堂々と言えます。
「お父さんは小学校のときは一回も勉強したことなんかないぞ。
国語の試験で、二〇問出ると、できたの一問だけだったんだよ」
「お父さん小さい頃ね、万引きしてね……」
と平気で言えてしまう。
「お父さん、その話しもっとしてよ」
と子どもたちから言われます。
「だけど、お父さんすばしっこいからね、見つからないんだよ」
「で、それからどうしたの」
「でもね、小学校三年生のときに、もうやめようと決めたんだ。
そう決めたときからお父さんピタッと止めたぞ。
学校の先生が家へね、何回も来たんだから」
「あっ、そう」
なんて言いながら、
子どもたちははうれしくてしょうがないのですね。
by. 桜井章一氏
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大人なんて不良品なのです。
大人になればなるほど、
間違った方向へいく人も出てきます。
そのくせ、子どもは未完成品だ、
半人前だ、などと思ってしまっている。
そうではなく、子どもは子どもで、
一人前の子どもなのです。
by. 桜井章一氏
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子どもは、十分に悪いことをやってしまったと自覚していて、
相談に来ている。
そういうときは、私は絶対に怒りません。
しかし、本人が悪いことをやったと気づいているときには、
それ以上追討ちをかける必要はありません。
言いにくいことを言ってくる、
その勇気を認めてあげるのです。
by. 桜井章一氏
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言いにくいことを言えるということは
信頼しているということなのです。
よほどの信頼がなければ言えないものです。
人には言えないようなことを、
打ち明けられたときには、
「あ、これだけ俺のことを信頼してくれてるんだな。
それならば……」
ところ、
「本当のことを言いなさい。
お父さん、絶対怒らない」
などと約束しておきながら、
子どもが本当のことを打ち明けると、
「なんでそんなことをやったんだ。
訳を言ってみろ、訳を」
などと言って、怒る親がいます。
by. 桜井章一氏
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こんな卑怯なことをやっていると、
子ども信用を失うだけ。
親のほうから約束を破るわけですし、
親子の信頼関係が音をたてて崩れていくだけです。
by. 桜井章一氏
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なんでもできるというような子に育てないほうがいい。
人間、権力を握ってしまうと、
なんでもできると思い込みがちです。
つまり、いいことも悪いことも、
両方を含めてなんでもできるになってしまい、
だから悪いこともしてしまう。
できることがあり、
できないことがあって、
人間らしいのです。
by. 桜井章一氏
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なんでもできるの「なんでも」の中には、
いいことと悪いことの両方が入っているということです。
本当の意味での優等生ならいい。
本当は、いいことだけなんでもできる、
悪いことはまったくできない、
という人間になれればいい。
だから、世の中で「できる奴」という場合、
この世の中でうまく立ちまわれる人、すなわち、
悪いことをこなせる人のことを指している。
by. 桜井章一氏
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世の中の人が認めてくれなければ。
それは真実ではない、価値がない、などというふうに……。
そんなこと、とんでもないことです。
世の中の人がだれも認めなくても、
真実はある。
価値はある。
by. 桜井章一氏
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逆に言えば、
いまの世の中の人が認めていることのほうに、
不真実が多いのかもしれません。
利益のためなら、
文化だって自然だって、
平気で壊していくのが、
権力の構図なのですから。
by. 桜井章一氏
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男の子にしろ女の子にしろ、
お母さんのお腹の中で、
まず生きるという生に対する「執着心」を持ちます。
これは本能です。
つぎに、生まれてからは
「依存心」を持つようになる。
現在では、だいたい中学生頃までは、
親に依存して生活しています。
by. 桜井章一氏
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この依存性は人間の本能の一つだと思います。
そして、依存もまた、
生きることへの執着から起きてくるもの。
赤ん坊は自ら動けないわけですから、
一方的に親に依存するしかありません。
ところが、親もまた、
生まれてきた子どもに期待をかけるという依存心を持ってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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親として教育していく十分な自身がない。
だから、私などよりもはるかに偉大な自然という教師にまかせたらいいのではないか、
と考えたのです。
本来、親というものは、
中学生頃までは子どもの依存心をケアーしていればいいのです。
本能のままの甘えというものを、
十分満たしてあげればいい。
これは、甘やかしたしつけとは違います。
by. 桜井章一氏
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