■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
本当は、世間のそうした誘惑に負けない子に育てなければいけないのに、逆になっている。心の強い人たちには、決していじめなんて起きないのです
子どものほうでは、
親があまりにも口うるさくいうから、
顔色をうかがうようになっている。
そこで魂を売ってしまっている。
生に対する執着も、依存心も、
本能のままに生じてきたもの、
天から与えられたものです。
それを変に脚色してはいけません。
by. 桜井章一氏
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天から与えられたままの形の依存心を持って大人になっていけばいいのに、
親の勝手な作為や思惑が入り込んできて、
グジャグジャの依存心にしてしまう。
大人になっても大人になりきれないということになってしまう。
あるいは、子どもの依存心を、
ものを与えることでごまかそうとしてしまっている。
親は、より安定した生活が欲しくて、
子どもにエリートコースを歩んで欲しくて、
子どもをコントロールしようとします。
by. 桜井章一氏
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子どものためといいながら、
自分の欲望を満たすためでもあるのです。
子どもの、こうしたい、
ああなりたいという意志を、
親の思惑でゆがめてしまっている。
幼い子どもに親が依存しようとするから、
子どもに最初から荷物を背負わせることになる。
子どもの頃に依存心や執着心を満足させてあげていれば、
その子が大人になって自立できる頃には、
今度は満足を与える側になります。
by. 桜井章一氏
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子どもの頃に親から十分愛情を与えてもらっていないと、
大人になっても満たされなかった愛情を本能のままに求めてしまうようになります。
しつけ、しつけといって、
「甘えてはいけないよ」
と言われて育ってきた子は、
愛情不足になってしまっています。
自然の、本能のままの依存心を満足させる部分を七〇パーセント。
残りの三〇パーセントで、
私の経験などを教えています。
by. 桜井章一氏
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世間のように、教育しよう、
教育しようなどとはしていません。
世間でいう甘えは甘やかしであって、
子どもの開き直りに負けてしまっているのです。
私は子ども達がグズって開き直ってきたら、
「開き直ったらいけないよ。甘えるんだったら堂々と甘えなさい」
と教えます。
グズってまで甘えてきて、
ダダをこねて「買って、買って」
と言ってきたら、
「買わないよ!」と言う。
by. 桜井章一氏
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でも、「堂々と甘えるのなら買いましょう」
と言います。
つまり、そこの見極めが大切なのです。
私がいいたいことは、
ただ単に甘やかしてしまうのではなく、
これはグズっているとか、
これは駆け引きであるとか、
そういうことを見極めながら、
素直な甘え、本能のままの自然な甘えには、
十分応えてあげるべきだということです。
子どもの甘えを見極めるためには、
親はつねに子どもを観察していなければなりません。
by. 桜井章一氏
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ごまかしや嘘や駆け引きを見抜かなければならないのです。
そのためには、親として一歩下がって離れて見ることも必要ですし、
あるときは、子どもの世界にどっぷりと浸って遊んであげることも必要になってきます。
ですから、子ども心を忘れてはいけませんし、
一歩下がるときには、
大人の感覚で見なくてはならないのです。
剣術と同じで、
ぶつかるときは相手の懐にしっかり飛び込まないと切れない。
by. 桜井章一氏
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離れていては、切れないのです。
心の中に悪臭が充満している大人たちが、
子どもたちをしつけ、
指導しようとしていること自体が間違いです。
他人の悪臭には、
臭い臭いと騒ぎ立てるのに、
自分の放つ悪臭には麻痺してしまって、
気づいていない。
「数」だけを追求する、
損得を価値観としてしまったいまの学校教育や、
私たち親、
そんな大人たちに囲まれて育ってきた子どもたちにとっての救いの道は、
大人によって吹き込まれた悪臭を思いきって外へとさらけ出すか、
心の内部に隠し込むかの二通りしかないのです。
by. 桜井章一氏
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これ(いじめ)は決して子どもたちの問題ではなく、
すべての大人たちの問題なのです。
実際、いまの世の中で上に立っている人は、
政治家にしても大会社の経営者にしても、
他人を出し抜いて上へ上へと昇っていった人たちであり、
それが成功者とされています。
大人のつくる世間には、
欲望が渦巻き、
たくさんのいじめがはびこっている。
大人が、社会に、上司に、会社に、ライバルに、
平気でいじめられている。
by. 桜井章一氏
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しかし、大人たちは、
世間とはそういうものだと現実に妥協して、
これは仕方ないことだとしてしまっている。
世間に生きる自分の父や母が、
いじめる側かいじめられる側かを見て育っている子どもたちに、
大人社会の風習が伝染するのは当然のこと。
いじめ問題を家庭や学校や子どもの世界に持ち込んでいるのは、
大人なのです。
大人たちが、子どもたちの心の中にまで、
自分たちが放つ心の悪臭を吹き込んでいるのです。
by. 桜井章一氏
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誘惑に弱い子どもたちに育ててしまっています。
本当は、世間のそうした誘惑に負けない子に育てなければいけないのに、
逆になっている。
大人たちは一様に、
いじめられない側にいくための努力をするだけです。
テレビに出てくる見識者、
知識人と呼ばれる人たちは、
「私たちは懸命に、いじめられないための努力をし、知識をつけてきたのよ。
あなたたちは、能がないからいじめられるのよ」
と言わんばかりです。
by. 桜井章一氏
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彼らこそ、権力にかさを着る、
権力に巣食う「いじめっこ」
そのものです。
この人たちこそ、
世間に悪い価値観を垂れ流している、
張本人です。
心の中に、醜く臭い、
目には見えない悪臭が充満している大人たちが、
その事実に気づかぬままに子どもたちをしつけ、
指導しようとしていること自体が間違いなのです。
結果として、いじめを本当になくそうとするのではなく、
努力して頑張っていじめる側にまわる。
by. 桜井章一氏
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そういう構図です。
それは真の努力ではありません。
いじめの原因について、
あれこれ能書きを並べ立てるまえに、
大人たちが、もっと自分たちの心の問題に注目し、
心のゆがみを改めなければ、
問題の本質は見えてきません。
心の強い人たちには、
決していじめなんて起きないのです。
雀鬼会には、できるだけ組織化しない、
内部でのグループ化をしないという鉄則があります。
by. 桜井章一氏
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現実、集団でこうして会を結成しているのですが、
私はそれを否定しているわけです。
組織化されてなぜいけないかというと、
組織化されてくることで、
各人に保身の気持ちが働いたり、
指導が間違った方向へいってしまうことがあるからです。
そのそれぞれの心でものごとを解釈してしまいますから、
そのぶん間違えた方向へ進んでしまう可能性、
あるいは間違った指導方法になることもあり、
それが私には見えるのです。
手筋部分のことではなく、
指導方法のことです。
by. 桜井章一氏
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