五感を開き、勘というセンサーを働かせることで、私たちは自然と一体となれるのである。”願い”というものは、その色合いを濃くするほどに人の心を蝕み、人を苦しめるのだと思う

■わが遺言 ~勝負の鬼が辿りついた50の境地~ -ポプラ社-

五感を開き、勘というセンサーを働かせることで、私たちは自然と一体となれるのである。”願い”というものは、その色合いを濃くするほどに人の心を蝕み、人を苦しめるのだと思う

私の個人的見解を述べるとすれば、
「虫の知らせ」は存在する。

ただ、日常の中で”五感”
という感覚をあまり使わず、
“情報”だけに頼って生きている現代の人々の中で
「虫の知らせ」を認識できる人は少数だろう。

私から見ると今の人たちは
「考えすぎ」である。

いつもいつもこんなに
「考えて」ばかりいたら、
虫の知らせを察するための”勘”の入る余地がない。


by. 桜井章一氏

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「獲物はどこにいるか」
「危険はどこに潜んでいるか」。

“勘”は、そんな命にかかわる大事なことを人間に教えてくれていた。

“勘”の鋭い人間が生き残り、
鈍い人間は子孫を残せない。

そんな時代を生き抜いたDNAが私たちの中にも残っているはずなのに、
それをうまく使いこなせている人は現代社会において滅多にいない。


by. 桜井章一氏

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水面に浮かぶウキが「ピクン、ピンク」
と魚の気配を釣り人に教えてくれるように、
私たちの中にもいろんなことを知らせてくれる。

現代人はそのセンサーを閉じてしまっているだけなのだ。

自然界の中で生きていくには知識だけでは無理だし、
経験だけあってもしょうがない。

五感を開き、
勘というセンサーを働かせることで、
私たちは自然と一体となれるのである。


by. 桜井章一氏

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考えてばかりの生活からちょっと離れ、
自然の中で遊びながら”勘”
を働かせる余裕を少しずつ入れてみてはどうだろうか?

そういったことを続けることで、
あなたにもちょっとずつ「虫の知らせ」
を察する感覚が開いていくはずである。

身も蓋もない答えだが、
私はドラゴンボールなどいらない。

なぜなら、私は願わないから。


by. 桜井章一氏

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私は昔から「期待に潜む病理」
という言葉を道場生たちに伝えている。

人は期待をするから苦しくなる。

期待が大きければ大きいほど、
期待が叶わなかった時のショックは計り知れないダメージとなってその人を襲う。

期待とは”願い”である。


by. 桜井章一氏

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だから、私は昔からできる限り
「期待しない」「願わない」
という姿勢でやってきた。

そんな風にして生きてきたから、
周囲の人たちが起こす失敗や、
ダメな部分を目の当たりにしても平常心でいることができた。

ただ、私はその”願い”を大きくしないように、
腹八分の感覚を大切にしてきた。

「たくさんはいりません。ちょっとあれば十分です」
この感覚を保ち続けたからこそ、
私の心は期待から生じる病理に蝕まれることがなかった。


by. 桜井章一氏

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多分、私の”願い”は他の人の願いに比べ、
ちょっとだけ”薄い”のだろう。

“願い”というものは、
その色合いを濃くするほどに人の心を蝕み、
人を苦しめるのだと思う。

先述したが、世の中で「いい」とされること、
有意義とされることが本当にいいことなのか、
私は甚だ疑問に感じる。

病を治す薬にしても、
その効能はいいことばかりでなく、
体に害を与える副作用を多少なりとも持っている。


by. 桜井章一氏

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少量を飲む分には病を治す力を持つ薬も、
大量に飲めば人を死にいたらしめる。

世の中で「いい」とされることは、
“薬”にとてもよく似ている。

人は「いい」とされることを捨てきれない。

「もっと、もっと」と薬を欲しがり、
私から見るとほとんどの人が
“薬漬け”になってしまっている。


by. 桜井章一氏

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しかし、この社会を俯瞰して眺めると、
「いい」とされることに実は無駄なもの、
いらないものがたくさんあることに気づく。

「愛は地球を救う」と言ったりするが、
「愛」はまやかしであり、
社会を悪い方向へ導くために都合よく使われてきた、
我々に悪影響を多分に及ぼしてきた言葉である。

「愛」だの「平和」だのと声高に叫んでも、
世の中の苦しみ、
悲しみは一向に減っていかないのがその証拠ではないだろうか。

私は昔から世間の価値観には背を向けて生きてきた。


by. 桜井章一氏

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でも、そのお陰で他の人たちにはあまり見えていない
“社会の本当の姿”に気づくことができた。

便利でないものは無駄でしかない。

人間は何よりも効率性、
利便性を重要視し、
自然界の流れとはかけ離れた独自の道を突き進んでいる。

人間がやっているさまざまな仕事を、
いずれコンピュータやロボットが代行する時代が来るに違いない。


by. 桜井章一氏

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そうやって人間は精神も体もコンピュータに管理され、
五感と呼ばれる本来持っていた感覚、
感性をどんどんと閉じていくのだろう。

人間が人間でなくなる日……。

このままいけば、
そんな日が必ずやってくる。

無駄なものを排除してきた人間が、
コンピュータによっていつか
“無駄なもの”として排除されるのだ。


by. 桜井章一氏

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悪い気持ちを持っていないヤツはいない。

我々の日常の消費活動にしても
“買う”という行為自体が何かの悪事に加担していることは十分に考えられる。

人間は、生きているだけで自然界や他の人に迷惑をかけている。

「動植物を食べる」
という意味ではこれは食物連鎖のひとつであるからしょうがないとしても、
文明を発展させてきた中で人間は自然界にはなかったものを次々と生み出し、
生命にとって有害な物質を世界中で撒き散らしている。


by. 桜井章一氏

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ある麻雀雑誌で私が連載しているコラムのタイトル
「我れ悪党なり」という言葉は、
そんな人間の悪しき部分を表してもいる。

毎日何気なく飲んでいるコーヒーにしても、
その流通の底辺には発展途上国のコーヒー豆の産地で低賃金で搾取されている人たちの姿がある。

自動車は便利だが、
それが出す排気ガスによって大気は汚染され、
おびただしい数の人が日々交通事故で亡くなっている。

メーカーが開発した薬品は病気を治してくれるが、
一方で副作用によって寿命を縮めたり、
死んでしまう人も数限りなくいる。


by. 桜井章一氏

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われわれが生活のなかで使っているビニール袋やプラスチック製品は、
環境ホルモンという有害物質となって地球に残り続ける。

このように商業資本主義社会における消費行為は、
必ずどこかで悪しきものにつながっているのだ。

しかし、私たちはそういった現実があることをしっかりと認識し、
そこから目を背けてはいけないと思う。

精神的な暴力の最たるものは
「言葉の暴力」である。


by. 桜井章一氏

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