■運命を変える 本物の言葉 -ゴマブックス-
「流れ」というものは、
ひとつの方向にだけ進むものではなく、
いろんな方向へ刻々と変化するものです。
流される人というのは、
流行という人為的につくられたものに流されがちです。
その背後にあるのは、
それでガッポリと得をする誰かの意思です。
流される人はその歯車のひとつにすぎません。
by. 桜井章一氏
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人為的につくられたものに流されているうちは、
きっと、大きな自然の流れの変化に気づくことはできないはずです。
人間というものは、
そもそも矛盾でできた粘土のようなものです。
矛盾というものは、
否定するのではなく、
ありのままに、
自然に受け入れるほうがいいと思います。
人間というものは、
ペラっとした平面でなく、
凹凸の立体なのです。
by. 桜井章一氏
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だから、矛盾が起きるのです。
背中とお腹のように、
常に裏と表があります。
背中だけでは生きられません。
お腹だけでも生きられません。
人間がもともと相反するもので成り立っている以上、
心のなかに相反する両方のものを抱えているのは、
自然なことなのです。
by. 桜井章一氏
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一見矛盾するような相反した考えを持つことでバランスを保っている、
というのも、それもまた人間なのです。
大自然のなかにも矛盾はあります。
天変地異によって、
本来弱者であるものより先に強者が滅びてしまうこともあれば、
生態系の崩壊で特定の種属が異常発生することもあります。
ただ、自然界に生きる動植物たちは、
そういうことを本能的にあたりまえのこととして受け止めています。
by. 桜井章一氏
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それを矛盾といっているのは、
人間だけです。
自然界では、
起こったことをあるがままに受け止めます。
人間の場合、
言葉や表現を使うから矛盾してくるのです。
「愛」とか「思いやり」とか
「やさしさ」といった、
キレイな言葉が邪魔をしているような気がします。
by. 桜井章一氏
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その点、身体はいつも正直です。
感じたことがそのままストレートに反映されます。
一方、言葉や心は、
飾ったり無理をしたりするので、
どこかウソっぽい気がします。
言葉にしたとたん、
自然の状態から離れたようなニュアンスになってしまいます。
かくいう私自身、
いつになったら真に正直な言葉を話せるのかわかりません。
by. 桜井章一氏
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決してウソをついているということではありません。
それでも、おそらく、
正直な言葉には死ぬまで到達できないと思うのです。
言葉というのは、難しいのです。
人を救う言葉があれば、
人を狂わせる言葉があります。
by. 桜井章一氏
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人を間違えた方向に導いてしまう言葉もあります。
だから、人の言葉をあまりに信じすぎてしまうのも、
考えものです。
どんなにエライ人の言葉でも、
その言葉を発した本人もまた、
大いに矛盾を抱えた人間なのですから。
by. 桜井章一氏
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一流のアスリートの背後には例外なく一流の指導者がいて、
選手が好結果を出せるようにサポートしています。
すぐれた指導者の定義づけを一様に語ることは難しいのですが、
少なくともバランス感覚のいい人だと思います。
選手に感情のコントロールを教えてあげられる人です。
選手が好不調の波であえいでいるときでも、
まるで均等を保つシーソのように、
しっかりバランスを保つ「身体構え」を選手に叩き込める人です。
by. 桜井章一氏
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よいことも悪いことも、
激しいことも静かなことも、
両極端を「清濁併せ呑む」
度量があるので、
選手がどちらかに大きく振られることを制御できるのです。
結局「清濁併せ呑む」ことで、
毒気にあてられた人が多すぎるのかもしれません。
かつてのお年寄りは、
どこかしら尊厳を漂わせていたものです。
ひとつ考えられるのは、
いまは、上に行けば行くほど、
歳を重ねれば重ねるほど、
欲が深くなっていくということです。
by. 桜井章一氏
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豊かな社会が生んだ弊害です。
リーダーとは、
個人の荷物を軽くして、
そのぶん、公の荷物をたくさん背負う人です。
必ずしも仕事の上で有能だとか、
専門知識に長けているとか、
そういう次元ではなく、
問題はその人の生き様です。
キャリア重視の世の中が、
社会をつまらないものにしてしまったのかもしれません。
by. 桜井章一氏
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地位や名誉に関係なく、
人間的な匂いを持っている人には尊さが感じられます。
「信ずる者は救われる」といいますが、
本当でしょうか。
「信ずる者は救われる」というのは、
もともとは、神の存在を信じることで正しい生き方ができるといった意味の言葉だと思うのですが、
現代では、信仰すればつらい人生から救われる、
悩みが消える、
というふうに解釈されているようです。
これは、何かにすがって生きたいという依存心に訴えます。
by. 桜井章一氏
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そのような解釈からみると、
自分が頼れる人間であれば、
つまり「自信」があれば、
信仰はいらないことになります。
あまりに「他信」の度合いが多すぎて、
他人に全面的に頼りきってしまえば、
その他人の意向にすべて左右されるようになって、
徐々に自分を失っていくでしょう。
宗教を全面的に信じて頼りきるということも、
また同じです。
私のように、
見えない道を歩いてきた人間は、
やはりすべてが我流です。
by. 桜井章一氏
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ただ、我流を通してきた人間が陥りやすいのが、
頑なに「我」を主張して、
譲らないというところです。
それはやはり、つまらないことです。
本来なら、自分のなかにひとりで道を確立してきたわけですから、
そのぶん自信もあって、
懐も深いはずです。
譲れる部分は譲ることが、
人間関係の基本です。
by. 桜井章一氏
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