仕事が嫌になる理由…そもそも不合理な人間に、合理性を求めるからだ!

■努力しない生き方 -集英社-

私は自分に引きつけて誇りというものをじっくり考えたことはないが、
そのようなものが何かあるとすれば、牌を打つ瞬間にそれはあるような気がする。

ただそれは打ち終わった後には消えてしまう。
そんな感覚である。

結局、プライドとか誇りというのはそこに何を盛り込むかで、
生き方が変わってくるものなのだ。


by. 桜井章一氏

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せかされる状況を招かないようにするには、
仕事を速く楽しくやるコツをつかむことだ。

それにはまずしかるべき準備をきちんとしておく。

さらに仕事そのものも努力して頑張るのではなく、
工夫をすることで楽しくする。

そうすることができれば仕事は実際、
速くなる。


by. 桜井章一氏

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Jリーグ発足時代からスター選手として脚光を浴びたサッカーの
三浦知良選手はとうに盛りを過ぎた今も現役を続けている。

彼が往年のスター選手時代と変わらぬプライドをいまだに持っていたら、
現役を続けることはできないだろう。

今の彼にとってはおそらくグラウンドで純粋にボールを追い続けることが
誇りなのだろう。こういう形の誇りはいいものだ。

三浦選手が地面のボールに視線を落とすように、
誇りはうつむき加減にもってこそいいものになるのかもしれない。


by. 桜井章一氏

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たしかに忘れるからまた新しいものがふと湧いてくるような気はする。

知識を増やすと逆に自分の中から新鮮なものは出てこなくなる、
あるいは本能的な感覚が鈍くなる、
そんなことをどこか肌で感じているのだ。

だから無闇に知識を増やす必要はないと思って、
入ってきた知識もすぐに抜けてしまったりするのかもしれない。


by. 桜井章一氏

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■運を支配する -幻冬舎新書- 人の生の感情というのは、 理性で都合よくコントロールできるものではない。 そこを無理に...

知識は思考の道具であり材料であるが、その道具や材料が多過ぎると、
思考の作業にムダが増え、生き方がブレてしまったりするのだ。

最低限の知識と、それにさまざまな体験や本能をベースにした感性さえあれば、
三六〇度回転するような柔軟な思考は可能だと思う。

それで十分ではないか。


by. 桜井章一氏

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私がゆったりと歩くのは、
ゆったりとした気持ちでいつもいたいからだ。

体は速く動いても気持ちまでせかされたくはない。

せかされた気持ちで物事をなすと往々にしてミスをするし、
たとえミスをしなくても質を伴わない結果になるものだ。

それに仕事や用事に自分が支配されているような感じになってきて
気分もあまりよくない。


by. 桜井章一氏

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実は仕事や用事を素早くすますという感覚は、
日常の中でゆったりと過ごしているときから地続きなのである。

ゆったりと外を歩いているときでも、
私は自分の体のあちこちのセンサーを無意識のうちに働かせている。

つまり気持ちはゆったりとしていても、
センサーはいつも鋭敏に開いている状態なのだ。


by. 桜井章一氏

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しかし気持ちがゆったりとしていないとセンサーはブレたり閉じたりする。

すなわち、ゆったりと歩くのは、
なるべく自分を自然な状態に置いておきたいという
本能的な欲求と言えるかもしれない。

感覚が立っているとちょっとした変化も鋭くキャッチできる。
そうやって常に周囲の変化の流れを敏感に感じていると、
自然と思考や体が素早く動くようになってくる。

そのことが仕事や用事をすます際にも生きてくるのである。


by. 桜井章一氏

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■精神力 ―強くなる迷い― -青春新書- むしろ悪めの、手のかかる女と一緒になったほうが、 チャンスなんだと考える。 ...

体の歪みを正すには体全体から見ていかなくてはいけない。
つまり、その部分だけを正そうとしても無理な力が働いてダメなのである。

欠点を意識してそこだけなんとかしようと思っても
直すことはむずかしい。

ダメな部分だけを対症療法のように正そうとしても
かならず無理がある。


by. 桜井章一氏

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欠点を正そうと思えば、それを正そうとする気持ち
そのものがまた余計な障害になってしまうのである。

問題の箇所から離れたところにあるツボを見つけて
押すような感覚が結果的に改善や修正へと導いてくれるのだ。


by. 桜井章一氏

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正そうと思うことは、
そこだけを取り出して正そうとしないことだ。

それとは直接関係のないようなところに
正すきっかけとなるツボが潜んでいたりする。

それをあわてずに見つけることである。


by. 桜井章一氏

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地球上で行動に意味を求めるのは人間だけである。
昆虫や魚や動物は意味を感じたり探ったりすることはしない。

彼らはひたすら本能で何かを感じ動くだけだ。

今のような頭でっかちの社会になってくると、
いつも自分の行動に合理的な意味づけをしないと
何もできない人が増えてくる。

「先に意味あり」でないと、
自分の存在に意義を見出すことができないのだ。


by. 桜井章一氏

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■精神力 ―強くなる迷い― -青春新書- 知識を多く追求したものには、 心の分野が欠けてしまっている人が多い。 心を正...

酔狂という言葉がある。

世間では無意味と思われるようなことにうつつを抜かしたり、
明らかに損なことを面白がってやったりする、そうした類の振る舞いを言う。

それゆえ酔狂には世間では権威があったり大きな意味あることとされているものを
無意味にしてしまうような爽快さがある。


by. 桜井章一氏

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意味を合理的に見つけないと動けない、
無駄なことはけっしてしないというような無粋さはそこにない。

酔狂なことをするには、
世間の意味をぱっと捨ててしまうような大胆さや
ユーモアのセンスがないとできないのだ。

何にでも合理的な意味を感じないと行動しない人には、
そんな酔狂な振舞いというのは想像もつかないことだろう。


by. 桜井章一氏

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つまり、人というのはもともと、
意味を持たない不合理な存在としてこの世に現れたのである。

だからどんなに合理的な意味をたくさん自分に持たせても、
根っ子にはそのような不合理なものを抱えているのが人という存在だ。

しかしそんな不合理なものを抱えているからこそ逆に、
人は伸びやかな精神を持てるのである。


by. 桜井章一氏

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