■超絶 ~真の強者になるための麻雀戦術論 心を揺らすな~ -竹書房-
麻雀は、決して楽しく勝てるものじゃなく、困難、辛さに立ち向かう者だけに、勝利の女神が微笑むものなのです。そこに至るまでの経過や内容が重視されます。後々、確実に本当の力となっていくからです
世の中には、
決して正しくない悪い工夫や努力もあるのにね。
片山も後がない局面なのだから、
7巡目のツモ 南牌、
打 四萬 といった安牌残しみたいな手を、
打つべきではない。
ここでは、目一杯戦い切らにゃならないんだから、
足を己れから止めてはダメなのです。
ここは 九筒 の出切りを見て、
七筒、八筒 を落としていくべきで、
この 二筒 切りには、
点棒維持の辛さから逃れたいという気持ちが見てとれる。
by. 桜井章一氏
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そして、場が死に場であるということを見落として、
デバサイの 二索 を振り込んでしまう。
もし私が伊藤なら、
この 二索 を見逃し、
己れのツモに賭けていく。
真の努力や地運が見当たらない、
あまりに楽なリーチだから、
出和了りを嫌い、
一つ上の困難を目指していく。
つまり、ツモ和了りに身を置いていくのです。
by. 桜井章一氏
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点棒上楽であっても、
さらにその上の苦に向かい、
辛さの中で戦っていく打ち筋なのです。
麻雀は、決して楽しく勝てるものじゃなく、
困難、辛さに立ち向かう者だけに、
勝利の女神が微笑むものなのです。
待ちは 四索 がドラの 一索、四索 待ちである。
2巡目に安目の 一索 が切ってあり、
フリテンになっているとはいえ、
一般の麻雀ならリーチといっても少しもおかしくないところだが、
自分勝手な振り込みや和了りが許されない雀鬼流では、
このリーチは最も大切な状況判断を欠いた、
してはいけないリーチなのです。
by. 桜井章一氏
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ここはリーチとはいかず、
ダマで 一索 を引くのがベストなのです。
もしドラの 四索 をツモったら、
和了らずに 西牌 のトイツ落としにいき、
マンズかピンズの待ちにして、
ソーズ一色の伊藤からの出を待つ。
これがベストなのです。
そこに至るまでの経過や内容が重視されます。
後々、確実に本当の力となっていくからです。
by. 桜井章一氏
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東家・山田 配牌
三萬、四萬、六萬、六萬、八萬、四筒、赤 五筒、五筒、一索、二索、三索、三索、四索、白牌
山田が、
「アンタ今日はメチャクチャだけど、こんな小学生でもこなせる型(問題)を出すからやってごらんなさい」
といわんばかりの配牌を手にする。
精神も頭脳も気力も必要とされない、
まるでたし算かひき算みたいな配牌で、
満貫は当たり前、
ハネ満からバイ満まで望める簡単型であります。
そんな問題を出された山田、
3巡目に 五索 を引いて、
三色目のイーシャンテン。
そして6巡目、
山田「おぬし、血迷うたか」
と思えるほどの狂乱の一打を打つ。
by. 桜井章一氏
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二索 をツモって、
三色目の 五索 を切っちゃうのです。
一索、二索、三索、三索、四索、五索 という三色型ができているのに 二索 をツモって 五索 を切ってしまうとは、
工夫、努力、思考において大間違いがある。
ということは、
麻雀を打つために(勝つために)必要な要素が、
全てマイナスに働いていると考えられる。
2+2=5 と答えを出しちゃった山田9巡目、
それでも 六筒 をツモってテンパるが、
今度は引き算の 5-2=2 としてしまう。
by. 桜井章一氏
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ここはリーチをかえれば満貫なのだから、
己れが1800点足らずの浮きに一番近い位置にいけるし、
その上親権の取りとなりよしとされるのに、
ダマを張ってしまう。
そして「タラレバ」じゃなく、
次巡のツモは 二萬 の一発ツモだった。
状況と己れのやるべき仕事さえ見落としていなければ、
ハネ満の引き和了りで、
4200点の浮きになっていたはずなのに。
あんな麻雀を打ち続けている3人なのに、
ともに少しずつ上に登ってきたということは、
一方の勝利者である伊藤にも、
ツモが自分の思った方向に来ない、
ギクシャクした流れとなっていると見える。
by. 桜井章一氏
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5巡目まで残せたはずの 一筒 と 九筒 をとっておけば、
そこでチートイドラ 九索 単騎か、
佐々木のドラ 九索 の早切りを見て、
一索 単騎でもよかった。
その手順を外してしまった伊藤は、
ドラの 九索 に受けていれば 10巡目に佐々木から、
一索 でも同じく佐々木から11巡目に和了り切っている。
和了りを逃した上に、
放銃を免れた佐々木の必要牌である 一索 と 中牌 を引き持たされている。
これは、決して他の打ち手のナイスプレーが原因ではなく、
己れで引き起こした翳りなのです。
by. 桜井章一氏
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そしてこれは、
元の状態に戻すのが困難なのです。
そんな中片山は 七筒、七筒、八筒、九筒、九筒 の形にカン 八筒 を引き込んで即リーチと打って出る。
これは非常にいいリーチであった。
二萬、三萬、六萬、七萬、八萬、七筒、七筒、八筒、八筒、九筒、九筒、發牌、發牌
のテンパイを見て、中には、
一萬 が場に3枚切れていて薄いから、
ダマの5200点でいいのじゃないか、
あるいは、六萬 と 九萬 の入れ替えを待って、
チャンタを待つべきだなどと考える人もいようが、
ここは 一萬 がほぼ出切っているからこそ、
即リーチがいいのである。
by. 桜井章一氏
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このハネ満の振りよりも、
次局佐々木が片山に打った2900点の 六索 が悪過ぎる。
三萬、四萬、伍萬、六萬、七萬、八萬、五筒、六筒、二索、三索、六索、七索、七索 と、
前局ハネ満を振った後にしては、
手が進んできている。
ここはマンズの一通と和了り易さを狙っても 九萬 は残すべきだった。
構成の見落としと、
二索 を重ねようとの欲が見られる。
by. 桜井章一氏
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そして、10巡目に 中牌 で動いた(ポンした)片山に、
同順 四筒 を引いてテンパった佐々木、
欲深い 六索 で振り込んでしまった。
こういった振り込みは、
前局のハネ満振りと違って、
己れが犯した過失からの放銃で、
自分から負けにいった格好となり、
たとえ点数は低くとも悪い振りとされる。
8巡目に 六索 さえ離しておけば、
まだまだ五分の勝負ができていたはずだ。
こんな悪い振りの後は、
佐々木がもう一つダメージを受けるか、
片山が大きなプレゼントを手にするかのどちらかと思っていると、
案の定、
ダブ 東牌 ドラ2という軽い親満を片山に和了られてしまった。
by. 桜井章一氏
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最初のハネ満は、
天運よしと見た片山の思い切りのよさから生まれ、
次の親満は佐々木の引き起こした和了りなのである。
こうしてみると、
麻雀は和了りも振り込みも、
己れ一人で作り出すものじゃなく、
第三者のふとした油断や、
判断ミス、
手順ミスから起こってくるということが、
おわかりいただけると思う。
勝負には、
必ずチャンスとピンチがある。
そして何人たりともこの二つのものに、
遭遇しないわけにはいかない。
by. 桜井章一氏
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この3倍のピンチ(麻雀は敵が常に3人もいる)をハナから覚悟して、
戦いに挑まにゃならんのです。
しかし、この3倍のピンチが、
戦わねばならないゲームの中で、
人を「オリ」という行動へと走らせてしまうのです。
実は天から与えられたチャンスなど、
真のチャンスとはいえず、
あてにはできないのです。
そんなものはたまにしか来ないし、
すぐに立ち去ってしまいますから。
by. 桜井章一氏
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相手のリーチや攻撃の火の粉の下で、
リャンシャンテンをイーシャンテンに、
イーシャンテンをテンパイへと、
和了るためではなく一歩でも半歩でもスレスレまで進めていく。
この行為が真のチャンスを呼ぶのです。
無スジの 八萬、八索、八筒 とあったなら、
八索 と 八筒 まで行くぞと決め、
打っていく。
その上で 八萬 を残すのは、
ただオリるのとはわけが違う。
八索 と 八筒 を飛ばしていくには、
かなりの勇気や辛抱、
読みが必要となるのだ。
が、この 八索、八筒 切りだってただ単に手牌に溺れたり、
無謀や行き過ぎであったりしてはいけない。
あくまで、きたるべき真のチャンスの土台となる一打じゃなければならないのです。
by. 桜井章一氏
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