■超絶 ~真の強者になるための麻雀戦術論 心を揺らすな~ -竹書房-
内容ある闘いとは、相手の動きに合わせて一打一打を刻み、意義を知りながら打ち進めていくことなのです。そこには、言い訳や身勝手さ、点棒欲などの介入する余地はないのです
内容ある闘いとは、
相手の動きに合わせて一打一打を刻み、
意義を知りながら打ち進めていくことなのです。
そこには、言い訳や身勝手さ、
点棒欲などの介入する余地はないのです。
13巡目、伊藤は山田の 二索 を見逃す。
この局片山は、
相手の仕事を抑え込み、
苦しめることがベストであったはずだ。
by. 桜井章一氏
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ならば8巡目に山田から切られた 南牌 は、
一鳴きしなければならない。
そうすれば上家の山田の動きはストップし、
佐々木も片山に対し、
マークせざるをえなくなってくる。
伊藤にしても親の連荘阻止を前面に出し、
佐々木、山田からの出和了りも辞さず、
という局面に追い込まれていたのです。
というところなんですが、
その裏で伊藤の6巡目の動きのミスと、
8巡目の片山、
南牌 に動かずのミスが、
勝負に大きな影響を及ぼしているのです。
by. 桜井章一氏
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麻雀とは、
振ったとか和了ったとかいう以前に、
こういった状況判断ミスや、
闘い方のセオリーに対する無知、
誤りが、
勝敗を左右する大きな要因の一つになってくるものなのです。
強者は、闘い方を肌で知っており、
動くべきところは動き、
止まるべきところは止まるということが、
体に染み込んでいるのです。
大仕事をこなし、
箱テンを脱出した伊藤には、
今日全体の闘いの中で、
ここぞという時の天運が感じ取れる。
その反面、
南3局で結果満貫を和了った山田には、
修羅場の1局に下り目と天運のなさが見てとれた。
by. 桜井章一氏
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南3局、西家の山田の配牌が、
三萬、三萬、七萬、八筒、九筒、二索、四索、西牌、西牌、北牌、北牌、發牌
これが14巡目には、
七萬、七萬、七萬、東牌、東牌、西牌、西牌、西牌、北牌、北牌
ポン 三萬、三萬、三萬
というツモリハネ満、
出満貫の手に化ける。
私も東場ならばこうしたはずだ。
あるいは、どうしても満貫の手が必要な局面であれば、
こう打つのは当然の行為ともいえよう。
by. 桜井章一氏
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だが状況は、
ラス前でチンマイ状態。
ここでの山田の最善の仕事は、
西牌 が出たら一鳴きして安い手を進めていき、
この局を静かに終了させることだったのです。
3巡目、
その自風の 西牌 を運よく暗刻にできたのだから、
残った 三萬、七萬、北牌 のトイツはどれが出ても叩き、
まずテンパイをとるべきだった。
ここまできたら、
浮きスレスレの山田は、
一方の仕事師・伊藤と考え、
行動を共にして、
1局を進めにゃいけない。
by. 桜井章一氏
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北牌 でポンテンをとり、
三萬 か 七萬 への引っつきを見た1300点で充分なのです。
仮に満貫を和了るにしても、
片山からの直撃がベストで、
この和了りは3番目くらいの状況始末となるのです。
前局の山田の和了りに勢いはあったが、
その勢いで片山をまくるか、
といった匂いは全く感じられない。
あそこで山田は足を、
目一杯使い込んだと私は見る。
by. 桜井章一氏
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そうすると、
山田以外の3人のいずれかの仕事で、
勝負は決するであろう。
佐々木としては、
勝ち組に入り込むため、
何としても1300を和了らなければならない。
また、片山は佐々木を浮かせず、
2コロのまま勝負を終了させる。
伊藤は親であるが、
点棒を増やすことなど考えず、
流すことのみに全力を尽くす。
by. 桜井章一氏
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当然、佐々木を浮かせるためのトスという大仕事が残ってはいるが…。
闘いの後には勝者と敗者が決まるのが常であるが、
私にいわせると4人が4人とも敗者のまま、
誰かが勝ってしまうのである。
麻雀は同じ人が打っても、
その日のセンスによって勝敗が大きく左右されてしまうものなのです。
六萬、七萬、七萬、八萬、九萬、五筒、六筒、五索、六索、七索、七索、七索、八索
と手牌が揃った。
そして6巡目、
片山は 六筒 をツモ切ってしまう。
by. 桜井章一氏
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ここは誰もが見る567の三色を基軸にし、
受け入れの広さと早さを併せ考えれば、
当然の 八索 打ちとなる。
これさえ切っておけば、
マンズ、ピンズ、ソーズの三つの色が動かせるのに、
片山は自分の自由自在の動きを止める一打を選んでしまう。
こういう手順のミスが、
先々己れの牌の流れの良否を決定する要因となるのです。
麻雀は和了ったから流れる、
振り込んだから止まるというものじゃありません。
by. 桜井章一氏
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たとえこの局に満貫を和了れたとしても、
流れが止まってしまい自由に己れの手が伸びなくなる、
そんな1打なのです。
東1局の片山の和了は、
不自然なドラ3丁使いの満貫。
これはよほどのバカヅキ状態か、
運の使い切りという和了りかのどちらかである。
いわゆる『スミイチ』の流れに入ってしまったのだろうか…。
by. 桜井章一氏
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むしろ今の状況は、
劣形、愚形の時のみ和了りを拾えるが、
ここぞという勝負手や好形の流れの時に苦労して和了を逃す…
そんな流れの澱みにいるとしか感じられない。
が、和了形には片山、
佐々木より山田、
伊藤の方が勝負強さや凌ぎの跡が残っている。
東3局は、ほぼ五分の配牌の中、
手牌も並行して進み、
勝負所が4者そろって終盤にやってきた。
こういう局面の時こそ、
そこで勝ち上がった者が、
闘いを制するのです。
by. 桜井章一氏
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こういった配牌、
ツモの良否に大差がない時こそ、
本当の勝負所が出てくるものなのです。
運のまま、
流れのままに楽に前へ進めることなく、
そこでは真の努力や工夫、力量、
経験といったものが大きく作用してくる。
本物の強者は、
目先の好形だけにとらわれず、
しっかりと勝負所を見極め、
そこで目一杯力を発揮するものなのです。
両者アタりであったが、
上家に座した伊藤に和了りをさらわれる形となる。
by. 桜井章一氏
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紙一重のツキの太さを感じた。
この先、
伊藤と山田の間で勝負づけがなされるであろうことを予感させる前哨戦、
なかなかの闘いであった。
by. 桜井章一氏
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雀鬼会には元々守りなんかないのだが、
ここまできたら己れから進んで苦しき闘いの場に身を置き、
最後の洗面器に顔を突っ込んでいかなければならない。
「麻雀というのは、
4人が洗面器に顔を突っ込んでいるようなもので、
苦しくなって顔を上げたものから落ちていく、
というたとえである。」
この局(南1局)以降、
山田か片山のいずれかが優勝争いから脱落していくのは確実である。
そして南2局。
最後の親のチャンス手を潰された山田が、
5200をしぶとくツモ和了り、
生き返ってきた。
敗者復活を果たした山田が生き残り、
片山はズーッと後ろに下がっていくことになる。
by. 桜井章一氏
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