幸せの青い鳥は…感謝心と必要なものが、必要な時に、必要なだけある

■「一瞬の勝機」のつかみ方 ~生き方が勝ち方を決める~ -静山社-

「強い麻雀ではなく、きれいな麻雀を」というのは、
ただ結果を出せばいいのではなく、
そこに至るまでの過程に意味があるということでもあるのだ。

よい過程は、いずれよい結果を生む。
それはまぐれではなく、再現可能な、本物の結果である。


by. 桜井章一氏

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だが現実として、がんばっても結果のでないこともある。

よい過程は、長い目で見ればよい結果を生むはずだ。
生んでほしいと切に願う。

しかし、そうでない場合もある。
そういうときにこそ、私は評価してやりたいと思うのだ。


by. 桜井章一氏

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人間はみな人から評価されたい。
褒められたい。

がんばったけれど結果を出せなかった人を評価する、
それが「雀鬼会」である。


by. 桜井章一氏

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世の中は勝ち馬に乗る。
私は美しい馬に乗りたいのだ。


by. 桜井章一氏

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みな二〇〇本目はどうだったかと聞くけれど、
自分にとっては、それまでの一九九本を積み重ねていく感覚の方が楽しい、
というようなことを語っていた。

うちの道場生の一九九本を間近で見られる私は、
幸せである。


by. 桜井章一氏

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麻雀は、その人となりを映すものである。

あたたかさ、素直さ、人のために汗すること。

そういうことが何より大切だという、
世間一般とは違った価値観で成り立つ場所が、
ひとつくらいあっていいではないか。


by. 桜井章一氏

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人間には、見守られていることがとても大切である。

自分は見てもらっているんだと感じることで、
自信と行動が生まれる。


by. 桜井章一氏

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どうすればいいかは言わない。

おまえが問題を抱えていることを、
私はわかっているんだということを伝えてやる。

するとそれだけで、自分で気づいてハードルを乗り越え、
変わっていく子は多いのである。

そうしたすばらしい瞬間を見逃したくないから、
私は一人一人をちゃんと見ていたいのだ。


by. 桜井章一氏

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世間では「拡大」や「成長」をすばらしいことともてはやすが、
私にはそれがいいこととも必要なこととも思えない。

必要なものが、必要なときに、必要なだけあるのがちょうどいいのだ。
それ以上は、強欲であり、傲慢である。


by. 桜井章一氏

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人間には自分の身の丈に合ったサイズというものがある。

目の届く範囲、手の届く範囲、声の届く範囲、
そういう生き物としての身体感覚を大事にしていたいと思う。


by. 桜井章一氏

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思えば私もみんなから、与えるよりたくさんのものをもらい、
世話をかけている。

みんなからいろんなことを学ばせてもらっている。

若いころは、どこかに凄い人物がいるのではないか、
いつか人生の師みたいな人にめぐりあうのではないかと思って
探したこともあった。

だがそんな神様みたいな人はいなかった。


by. 桜井章一氏

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ところが自分の心のなかに感謝する心が芽生え、
いろんなことがありがたいと思えるようになったとき、
ふと気づいたのである。

学ぶべき「師」がたくさん身近にいたことに。

まるで「青い鳥」みたいに。


by. 桜井章一氏

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身を飾ることを覚えた人間は、
言葉も心も性格すらも、上手に飾って生きている。

強さもやさしさも、人間は装うことができる。

人から好かれたくて、同情されたくて、認められたくて、
さまざまな装いを身につけて生きている。

なかでも「勝ち」という鎧はとりわけ見栄えがよく、
人の目にわかりやすいから、すこぶる使い勝手がいい。


by. 桜井章一氏

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だが鎧は、しょせん鎧でしかない。

ひとたび鎧を脱がされたら、
むき身の貝のように頼りない存在であることが露見する。

ところが人生の勝負においては、
勝ちも負けもあるのが当たり前で、
勝敗は決して固定されたものではない。


by. 桜井章一氏

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ビジネスの世界でも、世の中が厳しくなればなおのこと、
まわりはどうでもいいから自分だけ勝ちたい、
安心できるところまで圧倒的に勝ちたいという風潮が強くなる。

だがそういう品のない勝ちは、
仮に一回や二回うまくいくことがあったとしても、
本当の強さとは異質のものであり、
不安を解消してくれるものではない。

それは不安という弱さの種から咲いた、
あだ花のようなもので、決して根を張ることはないのである。


by. 桜井章一氏

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