■「人生を変えるシンプル思考」77 ~”20年間無敗の雀鬼”が明かす77の思考~ -宝島社-
見切りのセンスを磨くことは、すなわち生き方のセンスを磨くことにも直結するのである。トラブルを解決するには、トラブルをシンプルにしていくことが重要だ。安っぽい生き方とは、私は”心のケチ”だと思っている
「煮詰まってしまったなあ」と感じたら、
ともかく考えるのをまずやめる。
そして体を動かすことで別のスイッチを入れることだ。
ふだんあまりしない体の動かし方をすることで、
復活のヒントが閃いたり、
元の感覚が戻ってきたりするからだ。
心が煮詰まったり、
調子がおかしくなったと感じたら、
そこをさらに突きつめてはいけない。
by. 桜井章一氏
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さっと身を離し、
別の行動をする。
できるだけ早くスイッチを切り替えていままでとは違う回路をつくる。
それが不調を長引かせないコツである。
いい見切りができるかどうか、
麻雀ではそれが勝つ上で重要なポイントになる。
by. 桜井章一氏
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勝敗にこだわるあまり、
見切るチャンスを失い、
墓穴を掘ってしまうことがよくある。
いい見切りをするには、
どんなタイミングでするか、
そのタイミングが非常に大事なのだ。
天候の変化を読みにくい登山においては無理は命取りになる。
登山の最中、
天気が急変しこれ以上進むのは危ないと判断したら、
「勇気ある撤退」が必要だ。
by. 桜井章一氏

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悪い見切りには、
大きく二つのパターンがある。
一つは、劣勢にある状態からの挽回を早々にあきらめてしまうケース。
もう一つは、
反対に優勢な流れにあって慢心から
「この勝負はもらった」
とばかりに最終の局面の手前で見切ってしまうケースだ。
この二つがともにダメな理由は、
いずれも勝負を途中で投げているからである。
by. 桜井章一氏
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どんなに劣勢でも逆転できるチャンスは必ずあるものだし、
圧倒的に有利な状況でも土壇場でひっくり返されることもそれなりの確率である。
実際、私は相手が9、
こちらが1という圧倒的に不利な情勢から、
一気にそれをひっくり返すという逆転劇をよく勝負でやった。
生きていくことは見切りの連続といってもいい。
そのなかでどれだけ悪い見切りを避けて、
よい見切りができるか。
by. 桜井章一氏
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あるいは見切るべきチャンスを外すことなく、
正確にできるか。
見切りのセンスを磨くことは、
すなわち生き方のセンスを磨くことにも直結するのである。
トラブルを解決するには、
トラブルをシンプルにしていくことが重要だ。
シンプルにするには、
まず「どうしよう……」ではなく
「どうってことない」
と考えることである。
by. 桜井章一氏
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命さえ取られなければたいていのことは
「どうってことない」。
私自身、いままで大きなトラブルに出会ったときはいつも、
命だけはあるんだからまあいいやという感覚で対処してきた。
そんな命がかかった局面を思えば、
仕事の失敗や人間関係のトラブルなどほんとにどうということはない。
命があれば、
ぎりぎりの状態でもそこを抜け出す方法を考えられるし、
体も動かせる。
by. 桜井章一氏
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圧倒的に不利な状況でも踏ん張れば挽回していくことは可能だ。
渦中にいるときは
「どうってことない」
とはとても思えなくても、
過ぎれば「どうってことない」
と思える。
それはその危機自体がそもそも本質的には
「どうってことない」
ものだったからということにならないだろうか。
だから、「どうしよう……」
と感じているものは、
現実にはその5掛けとか、
もしかしたら3掛けくらいかもしれないと思うことだ。
by. 桜井章一氏
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「安っぽい生き方をしてるな」。
そう感じさせる人がたまにいる。
人によってそのとらえ方は微妙に違うかもしれないが、
安っぽい生き方とは、
私は”心のケチ”だと思っている。
しかし、思いやり、気遣い、気配り、優しさといった
“心”には限度がない。
心はお金と違って他人にいくら配っても、
分け与えても減るものではない。
by. 桜井章一氏
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いわゆるサービス精神がある人は、
周りの人に常に気持ちよく、
際限なく、
心配りができる人のことである。
人からはその歳でよくそこまでやりますねとあきれられたが、
私には道場生に身をもって何かを伝えたいという思いがある。
心をケチらない生き方は、
気持ちがいい。
心を人にあげることは、
きっと人と人の間で気持ちのいい循環を生んでいくのだろう。
by. 桜井章一氏
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ところで、「あいつケチだな」
といわれる人は、
よく観察するとお金だけをケチっているのではなく、
たいがい心もケチっているものだ。
こういう人は、
お金を人のために使うことで心を配ったり、
分け与えることをしない。
こういうタイプはその人にしかわからない妙なプライドに固執していることが多い。
プライドのバリアを絶えず張っていて、
そこに触れるような人がいるとすぐに問題を起こすのである。
by. 桜井章一氏
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プライドというといかにも高尚な響きがあるが、
多くのプライドは皆多かれ少なかれこのようなチンケな要素を持っていたりする。
しかし、生きにくくなったり、
生きやすくなったりするのは、
そのプライドをどう扱うかによって変わってくる。
自分を生きにくくさせるプライドは、
親からお前はこんなプライドを持っていきなさいといわれて刷り込ませているのもあれば、
きびしい環境で育ってそれに対抗するためにバリアのように膨らませてしまったものもある。
プライドなんていざとなったらゴミ箱に捨てられるぐらいのものと思っておいたほうが健全である。
by. 桜井章一氏
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矜持という言葉がある。
同じくプライドの意味だが、
自分の根っこにあってこれを守らなければ自分の存在はなくなるという響きがこの言葉にはある。
こういう矜持はどこか生きていく上で必要なものだ。
自分勝手でだらしない生き方をしているようなものには当然矜持など持ち得べくもない。
by. 桜井章一氏
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「あんな生き方をしてきたなら、
こういう矜持があって当然」。
そう思わせる人のプライドは本物である。
「われ悪党なり」。
私は自分のことをそう思っている。
しかし、「いい人」というのは善人というわけではない。
by. 桜井章一氏
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あくまで他人から見て
「いい人」なのである。
人から嫌われたくない、
よく思われたいという人が
「いい人」を演じているのだ。
他人からどう思われようが、
「私は私」、「俺は俺」
という軸がはっきりしなければその人の本当の人生を生きているとはいえないだろう。
by. 桜井章一氏
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