■我れ、悪党なり ~20年間無敗の雀鬼、日々を語る。~ -竹書房-
信じる者は救われるというより、感じる力を強くすることで念がかなってしまう力のような気もした。運は決して複雑さの中にあるのではなく、シンプルな状態の中にある
感性を大切にする意識を育て、
感じることに信頼をおき、
感じる力を増し、
流れるままに身を任せる。
そうすることで現代人がどっぷりと浸り身に染みつかせてしまった文明が作り出した後天的な価値観を、
自然の中に生きとし生けるもの本来の姿に戻したり近づけたりすることができる。
人間は文明が生んだ余計なものを取り除くことで生きていることを実感し、
シンプルにナチュラルになれる。
しかしその力(文明から得た力ではない存在)は何も俺だけに備わっていた才能ではなく、
遠い昔の人類なら自然なものとして当たり前に持ち合わせていたはずだと思うのだ。
by. 桜井章一氏
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そういう領域を一度でも体験すると、
近代文明を作り上げた側からは妄想であり幻であり虚であるとされる世界の方にこそ、
人間としての真実が存在していることがわかる。
今道場で雀鬼会の選手たちが必死で行っている基本動作の鍛錬も、
彼らが現代社会で植えつけられた思考や行動や才能や力といったものを一度すべて破壊させ、
新たな思考や行動を再生する行為である。
そうすることで、
人間の持っていたまっとうな力を取り戻せるようになるのだ。
昔の人間には近代人とは違った力があったような気がする。
by. 桜井章一氏
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そしてその力を取り戻すことで人間が人間を取り戻さなければ、
現代の人間の力のあり方は滅亡する方向に進んでいくしかないように思えてならない。
感性を取り戻し、
それと一体化したときの麻雀は、
近代の知識や常識ではとてもとらえることができないエネルギーを生み、
その時の自分や回りの状態が絵のごとく鮮やかに見て取れる。
次の局の状態が、
あらかじめはっきりわかることもあった。
そういった「ゾーン」
(注 : トップアスリートが競技中に入る極限の状態。
周囲がスローモーションのように見えることなどがあるといわれる)
は長年の経験や技術から生まれるものではなく、
自然な力が作り出すものだ。
by. 桜井章一氏

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すべて考えるのではなく感じるままに身を任せたことで、
自分が念じることが現実となっていったのである。
信じる者は救われるというより、
感じる力を強くすることで念がかなってしまう力のような気もした。
俺の過去の体験では、
ここぞという大勝負のときは食事も睡眠の欲求も起こらず、
人と触れ合うことに気をつかって自分のエネルギーが消滅してしまうのを避けるために、
一人部屋にこもったり人のいない自然の中に入って過ごしたこともあった。
麻雀でそんな状態になった時など、
相手の第一打だけで最終形が瞬時に見えたり、
相手の切り出す牌やツモっていく牌がわかってしまうこともあった。
by. 桜井章一氏
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こんな状態を何度も何度も経験したが、
ゾーンを自分から作り出すこともあれば自然にゾーンに入り込んでいるときもあったし、
ゾーンの方から近づいてくることもあった気がする。
麻雀というゲームでは、
まず厳しさの中に身を置き、
それを素通りして厳しささえ感じなくなったとき、
意識や思考が通常とはまったく別のものとなって現れる。
考えることなく感じるままに打つことで五感が研ぎ澄まされ、
思考や行動が赤子のような柔らかさを取り戻した感覚になっている。
振り込みが破壊なら和了は再生だ。
by. 桜井章一氏
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破壊と再生を繰り返すことで、
強い麻雀が打てるようになるのです。
人類の一部が便利と利用という観念に侵され、
その病理にむしばまれ、
知識や情報に絶対的な価値が与えられた。
それを貪欲に脳裏におさめた挙げ句、
たしかに便利さは手に入れたが、
解決できそうもないほど大きな病理が人々の心に残ることになってしまった。
右を見ても左を見ても、
上を向いても下を眺めても、
いまの社会には何か変だという印象を受けるものばかり。
by. 桜井章一氏
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まともな方向性などまったく見出せない現状になってしまっている。
文明を求め過ぎたあまり、
この世には人間が人間として生きるために必要な以上のものがあり余っている。
人間らしさの限度を超えた過剰なものを手に入れることを能力といい、
それをよりたくさん手にすることができた者を権力者というらしい。
そしてその姿は人間らしさを失った結果でしかないことに、
だれも気づかない。
by. 桜井章一氏
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便利と利用という観念にとらわれず、
そこから生まれる楽発想を離れると、
厳しい現実が存在することがわかる。
その厳しさを自然なものとして生きることが、
この世に与えられた生命の根源というものだろう。
毎日の思考や行動を律して厳しさを受け入れると、
自然界に生きる動物に近づく感覚を得られる。
大昔の人々は、
数少ない大切なものを必要として生きていた。
by. 桜井章一氏
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その点では自然界の生き物と変わらない生き方をしていたのだが、
いつしか人間だけは余分なものを求めすぎるようになってしまった。
麻雀は、
手役とか点数計算の方法や打法など、
様々な「型」を持つゲームであるように思われがちだが、
それを複雑なものととらえると、
麻雀には多くの思考が必要とされ、
打つ者も思考に頼るようになる。
だが自分が最高の状態のとき、
物事がうまく進んでいて調子がいい状態のとき、
運を呼び込めているときは、
すべてはシンプルになっているものだ。
複雑なものは消えてなくなってしまっているはずである。
by. 桜井章一氏
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運は決して複雑さの中にあるのではなく、
シンプルな状態の中にある。
それをつかむために、
雀鬼会では「素直」と「勇気」
という心構えを教わる。
その中に運を導く道があるという感覚を身につけていくのである。
文明人が作り出した余分なものや複雑なもののとらえ方を捨て、
人間の中にあった潜在能力を引き出すことで、
人間は自然界の生き物に近づき、
近代人が失ってしまった生き物としての強さや力が感じ取れるようになるのです。
by. 桜井章一氏
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人間はどんな動物より弱い生き物としてこの世の中に存在しているのかもしれない。
それを進歩だ文明だというもので補ったりひた隠しにして生き延びようとするが、
そのぶん人間は弱さの方に突き進んでいる。
特に治安はすごい勢いで危ない方向へ流れている。
江戸時代には一度も起きない年もあった殺人事件が、
起きない日がないほど頻発している。
by. 桜井章一氏
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犯罪が急増するのに反比例して検挙率は二〇パーセント。
「傷は小さいときに癒せ」
は鉄則なのに、
小さい犯罪が軽視され放置されることで、
それが大きな犯罪の温床となっているのだ。
大河も山深い源泉の一滴から生まれるように、
犯罪にもその要因や源が必ずある。
しかしいまや日本社会全体の方向性が見失われ、
もはや犯罪王国になろうとしている。
by. 桜井章一氏
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犯罪が多発する裏には、
体制の諸問題が含まれているのだ。
人間の欲望が限りなく膨らみ、
「大」を求めて突き進み、
向上や効果や効率ばかりを優先したがゆえに、
きょうびの人は「小」
の大切さを忘れている。
今では犯罪は犯罪社会だけのものではなくなり、
一般社会との区別がつかないほど浸透している。
経済一辺倒でなりふり構わず突き進んだ日本という国は、
頼りにしていた経済すら傾き、
長期不況の波が襲い、
同時に教育や家庭や地域社会の崩壊がはっきりと姿を現した。
by. 桜井章一氏
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検挙率が二〇パーセントということは、
悪いことをしても五人に一人、
五回に一回しか捕まらない。
それも犯罪が立証されたうえでのこと、
実際にはその何倍もの犯行があると考えると、
悪事を一〇回重ねても捕まるのは一回以下。
それならば悪事は成り立つ。
人としての善悪という歯止めが失せ、
便利や利便の観念や効率主義が横行する限り、
これからも犯罪は起き、
日本国民全体に広まっていくことだろう。
by. 桜井章一氏
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人間が損得勘定で生きている以上、
犯罪はだれの身にも降りかかり、
だれもが起こすようになる。
犯罪は「得」の方へ変化してしまっているのだ。
今の人間は損得に敏捷に反応する能力を身につけ、
それを根っこに判断行動する。
不況の中では犯罪こそ安い買い物だと、
犯罪を取り締まる側・取り締まられる側の両方が感じているのもひとつの問題点である。
by. 桜井章一氏
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