■我れ、悪党なり ~20年間無敗の雀鬼、日々を語る。~ -竹書房-
自分では強さを追ったつもりでも、俺は弱さや裏切りを求め続けていただけなのだ。麻雀とは経過の中に修正を加えていくゲームである。自分を裏切らず、約束を守る人間には強さが身についてくる
自分では強さを追ったつもりでも、
俺は弱さや裏切りを求め続けていただけなのだ。
そこに虚しさや苦しさが満ちてくるのは当たり前のことだったのだ。
もはや取り返しのつかないレベルにまで来てしまった、
自然や環境破壊の深刻な実情を見ていると、
それは建設という名の破壊というほかないのではないか。
だが実は、
能力のある人が弱い者を助ける手だてとなるためにあるのが、
政治や経済の真の本質なのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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今俺たちが目の当たりにしているのは、
支配者や権力者の欲望に乗っ取られた政治や経済の姿なのだ。
トップのそんな論理はすぐ下の方に蔓延する。
打っている人に悪意も自覚もないぶん、
その光景はよりおぞましい。
麻雀にこびりついた権力の嘘を、
ひとつひとつはがしていくうちに生まれてきたのが、
今俺が、
俺の回りに集まってきた子どもたちに指導をしている雀鬼流麻雀だ。
by. 桜井章一氏

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ただ、少しでも麻雀の本質に近づくための創意や工夫を重ね、
それを若い人々と共有していくこと。
それが俺にとって麻雀への恩返しであり、
新たな麻雀の道だと思っているだけである。
しかし法の網のスレスレをかい潜れるような目端の利いた人間でなければ、
成功や金儲けはおぼつかないということらしい。
だが、明文化された違反行為でなければ、
それこそどんなひどいことをやっても平気なのが、
世の多数派の人が打つ麻雀だ。
by. 桜井章一氏
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どんな打ち方してもいいし、
麻雀を打つ心構えや考え方など持ち出す人間は馬鹿者扱いとなるのがオチなのだ。
意地悪さや卑怯さを
「個性」といい、
ずるさや小手先の要領を
「テクニック」「戦術」
と称する。
むしろ基本を磨き、
無駄を省いてこそ、
本物の個性は出てくるものなのだ。
雀鬼流のペナルティーの原点は、
「人としてやって良いこと悪いことを考え、
よくないことはやめよう」
ということに尽きる。
by. 桜井章一氏
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麻雀とは経過の中に修正を加えていくゲームである。
結果から学ぶことももちろん大事だが、
打っている最中に、
しかもなるべく早く自分の状態に気づくことができれば、
よりよい麻雀を打つことができるものだ。
切り飛ばした方が逆目に出れば、
自分の勘がさえていないことが早くわかることになる。
当然立て直しにも早く着手できるのだ。
by. 桜井章一氏
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雀鬼流の選手にとっては、
ペナルティーをとられるからではなく、
自分を裏切りたくないから、
損得を捨てて切る牌を選択するのだ。
自分を裏切らず、
約束を守る人間には強さが身についてくる。
打つ人間が強くなれば麻雀自体も必ず強い麻雀になるものだ。
裏切り行為は思考や行動の弱さから発するものである。
by. 桜井章一氏
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弱さを出し心が揺れれば、
それは負けの始まりだ。
つまり、弱い人間でも結果として手元に点棒をため込むことはできるのだ。
「仕事だからしょうがない」と、
汚職を働き悪徳商法で弱者を苦しめる。
真の強者は自立した存在である。
by. 桜井章一氏
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そういう人はいかなるときも自分の感性と感情を捨てない。
世俗の勝者という奴は、
実は弱者に依存しなければ成り立たないものなのである。
麻雀にとっていちばん大切なものは流れである。
いい流れがあれば、
そこにはいい麻雀ができる。
by. 桜井章一氏
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なのに自分の勝手で水を汚し、
その汚水を友人に飲ませてほくそえんでいるのが多数派の麻雀なのである。
その醜さに気づいた者は、
その次には無駄な動作や心の揺れも流れを乱す元になることに気づくはずである。
雀鬼流では人様に迷惑をかけるペナルティーを起こすことを最も恥とする。
損と解っていてもやるべきことはやる。
by. 桜井章一氏
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自分を捨てずに生きざまを貫くのだ。
人としての強さと温かさを求め、
何よりもそれを実践するため、
心で気づき鍛錬を重ねる。
俺の指が牌をツモって切るふたつの動作は一体化されたものとなり、
上家に座る選手が牌を切ると同時に、
俺の打牌もすでに河に置かれている。
下家の多田も俺の動作の素早さ、
というよりもはや動作が消えた中、
いつのまにか俺が河に打ち据えた打牌を見落としてしまうような状態となり、
ただツモる動作を繰り返すのみ。
by. 桜井章一氏
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昔、俺が現役の頃、
かなりの打ち手と打ち合った時、
「あんたの麻雀はかげろうのようだ」
と指摘されたことがある。
「打っていると、
あんたの姿はぼんやりとした残影でしかなく、
存在が消えてしまったようだった」
と。
俺の打つスピードから見れば、
上家の選手の速さなど四〇~五〇kmぐらいのヘナチョコ球にしか写らない。
俺の打ち筋は確実に球を拾い、
確実に卓上に直球を投げていく。
by. 桜井章一氏
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俺の身体はいつしか前傾姿勢となり、
俺の視点は卓上の自らの捨て牌が並ぶ一点に置かれ、
自らの手牌や相手の捨て牌には少しも気を取られなくなっている。
そして俺の気持ちからは、
すべての弱気と迷いが消え去っていた。
そうなると不安とか恐怖といったものも消え、
闘う姿勢だけが残るから、強い。
俺の手牌はほとんどが三色型となって現れる。
by. 桜井章一氏
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相手の和了はたまたまという形で現れるだけだから、
たとえ相手が先行の打点をあげたとしても、
それはまったく眼中になく、
俺はすぐに追いつき、
並ぶことすらなく追い抜いてしまう。
下家の選手は俺の勢いに弾き飛ばされ、
上家の選手など、
戸惑いと迷いの中に埋没してしまう。
by. 桜井章一氏
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天運が濃く、
ツキに乗って手がつけられないなどという次元とはまったく別の、
地運のすさまじさを三人は感じ取り、
ひさしぶりにいいものを見せていただきました。
彼らの持つ技量を、
たとえわずか一歩でも前へ進める麻雀を打つ。
なぜならば盲牌をすることで力に頼り、
力が入りすぎてしまうからである。
力の強さというものは、
外に表すものではなく内に秘めるものなのです。
by. 桜井章一氏
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