雀鬼流 無敵の勝負論一覧

書籍/本『雀鬼流 無敵の勝負論 -青春出版社-』についての豆知識予備校

基本動作を身につけるために必要なのは素直と勇気だと私は思っている。本当の無敵とは、いやだという意識を消したり、自分のいやなことに取り組んだり、人がいやがっていることを引き受けたりできる人間だ

雀鬼・桜井章一氏が説く**「本当の無敵」とは、敵をも味方にする力。自分の嫌なことや人が嫌がることを引き受け、乗り越える勇気を持つこと。基本動作に必要な素直と勇気を根幹に、常識に縛られず、行動に意味**を見出す生き方を提唱する。

そのためには気づいたことをすぐに実行する。早さは強さでもあるのだ。気づきがチャンスであるということに気づけば、人は気づきを大切にするようになる

雀鬼・桜井章一氏の「気づきと早さ」論。途方もない夢ではなく、身近な「気づき」こそがチャンスである。気づいたことをすぐに実行することが大切であり、**「早さは強さ」**であると説く。立ち止まらず早く動くことで不安や迷いをなくし、瞬間を大切にすることで勝負の本質に近づける。

勝負においては、状態のいい時に落とし穴がある。強者は威張るのではなく堂々としている。私は柔軟性からでてくる言動を大切にしているのである

雀鬼・桜井章一氏の「強者の心構え」論。強者は好調時に潜む落とし穴を警戒し、謙虚さと堂々とした態度を保つ。変えられない宿命と変えられる運命を分別し、反復練習で基本を徹底することが真の強さにつながる。また、柔軟性を大切にし、固定観念から脱皮した生き方を提唱する。

自然は自由そのものである。自然の摂理に従って生きていれば、自然と天運にも恵まれることになるのだ。学ぶべきものは常に自然の中にあった

雀鬼・桜井章一氏の**「自然と自由」論。日常を大切にし、自然の摂理に従って生きることが天運を呼ぶ。強い約束は和合・共鳴の証であり、仕事も遊びも「楽しく」**行うことが心身の調和と強さにつながると説く。

感情も感覚も失わず、素直さと勇気を持ち続けることで、人は厳しい状況に対抗していくことができるのである。だが真の強者は経過を大切にする

雀鬼・桜井章一氏の「信頼と安定」論。人を裏切らない信頼こそ社会の安定の元。行動は**「準備・実行・後始末」**が円につながる。特に後始末にこそ本当の学びがある。自分との約束を守り、信念を持って安定している者が真の強さを得る。

私自身、信頼を大切にして生きてきたという自負はある。人を裏切ったり誤魔化したりしたつもりはない。私は、勝つぞといえば勝ってきたし、やるぞと思えばやってきた

雀鬼・桜井章一氏の「信頼と安定」論。人を裏切らない信頼こそ社会の安定の元。行動は**「準備・実行・後始末」**が円につながる。特に後始末にこそ本当の学びがある。自分との約束を守り、信念を持って安定している者が真の強さを得る。

困難に立ち向かうのは根性や努力ともまた違う。それが強さの本質、勝負の本質なのである。瞬間瞬間を大切に、一つ一つ目標に近づいていくのである

雀鬼・桜井章一氏の「困難と強さ」論。困難は敵ではなく、**「味方」であり、強さ・勝負の本質である。困難から意味を見出し、修正することが大切。目標達成のために、「根性や努力」ではなく、麻雀の「準備・実行・後始末」**のように、瞬間瞬間を大切に一歩ずつ進むことだと説く。

根を大切にしようという感覚の現れが基本動作に通じているのである。だらしない人間は間に合わない。そして、間に合うことが強さに変わっていくのである

雀鬼・桜井章一氏の「基本と強さ」論。強さとは結果ではなく、**「間に合うこと」**である。**根(基本動作)**を大切にし、「だらしなさ」を排除せよ。真の強者になるためには、麻雀だけでなく人生全体で「準備・実行・後始末」を徹底し、瞬間の行動に誠実さを込めることだと説く。

私にとっては人生はすべからく勝負である。勝負と人生は共通のものなのだ。強さは私の目標だが、そんな私にとって自然は神のような存在だ

雀鬼・桜井章一氏の「勝負と人生」論。人生は常に緊迫した勝負であり、目指す真の強さは**「自然」にあり。麻雀の本質は、アガリ(得る)だけでなく振り込み(与える)とのバランス**にある。所有欲を律し、バランスを保って生きることが、偽りのない真の強さにつながる。

勝った負けたではなく、人間がどう変わっていくかが肝心なのだ。自分自身がしっかり生きるということが生き甲斐そのものではないのか。意味を求めて仕事をやり、人づきあいをしていればいいのだ

雀鬼・桜井章一氏の「生き甲斐と人間改革」論。勝敗ではなく**「人間がどう変わっていくか」**が肝心だと説く。真の生き甲斐とは、意味を求めて仕事や人付き合いをすること。感性を磨くには、情報社会の「進歩」に囚われず「戻る感覚」を大切にし、納得感・責任感・使命感をもって生きるべきだと語る。