■手ぶらで生きる術 ~忘れ上手は生き方上手~ -竹書房-
「与えられた状況の中で、やるべきことをやっていればいい」。言うなれば私は「経過論者」です。たった一つの基本動作ですが、そこに一つの悟りがある
世の中でよしとされている価値観……
「努力」や「愛情深さ」、
「優しさ」や「能力」とか、
そういったものが私にあるように思われたら
「いや、ありません」
と言いたくなる。
それは天邪鬼ではなくて、
自分で自分を土に戻してバランスをとっていくような、
そういう感覚なのです。
だいたい女の人は寄ると触るとどんどん強くなっていく。
by. 桜井章一氏
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それぞれ男の領域、
女の領域で生きていればいいのです。
それをマナーやしつけだというもので領域侵犯すること自体がおかしい。
何事も、「捨てちゃいけないもの」
というのがあるはずです。
学力は得られても、
そのために二度と戻らない時間や、友達、
そのときにしかできない遊びなど、
捨ててしまったものがいっぱいあるわけです。
by. 桜井章一氏
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なにを捨てて、
なにを捨てないか。
それは生き様であり、
生きる指針に関わってくる大事なことです。
私はそんなこと(悟った)を言われると
「そんな甘いもんじゃないよ」
と笑ってしまいます。
そして「簡単にそんな言葉を使わないでよ」
とも思う。
by. 桜井章一氏

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物事というのは、
なにかを追求しようとしてどんどん奥に入っていくと、
どんどん分からなくなっていくものです。
きっとある程度分かったつもりの部分を通り越したら、
その次はまた分からない部分に突入するという、
この繰り返しなのではないでしょうか。
私自身のことも理屈的にはなに一つ分からない。
しかし、ではその前の時期の
「分かった」が錯覚だったかというと、
そうではないと思うのです。
by. 桜井章一氏
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「分かった」という感覚は分量の問題でもある。
100のことを分かっているのと、
1000のことを分かっているのとでは、
同じ「分かった」でも、
全然違うものです。
まだまだ私は自分のことも麻雀のことも分かっていないのです。
しかしこの「まだ分からない」
というところがあるからこそ、
面白い。
by. 桜井章一氏
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分かったほうが面白い場合もあれば、
分からないほうが面白い場合もあるのです。
どっちがいいということではないのですが、
分からないほうが「次」がある。
雀鬼会でも「分かる」とか
「できた」ということより、
「与えられた状況の中で、
やるべきことをやっていればいい」
ということを教えているし、
また自分自身にもそう望んでいる。
言うなれば私は「経過論者」です。
経過を楽しんでいる。
by. 桜井章一氏
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「結果論者」は目標を決めて、
「できた」「やった」
という確証を求めているのです。
しかし私は、
結果なんて一つの経過だと思っている。
道は延々と続いていく。
その道において、
なにもかもが、
経過にすぎないのですから。
by. 桜井章一氏
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経過は「できた」
ということすらないものです。
一つの「できた」
ということすらないのだから、
悟りようもないと思うのです。
それは決して謙遜とかそういう類のものでなく、
「完成」を求めない、
「完成」すらにもとらわれないということです。
基本の一歩ですら、
本当に極めることは難しい
by. 桜井章一氏
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しかし雀鬼流道場(雀鬼会)を始めて20年、
いろんな人を見てきましたが、
私から見れば誰一人としてちゃんと牌を切れている人はいない。
「牌を切れるか」というのは、
言うなれば「一打を切る悟り」です。
たった一つの基本動作ですが、
そこに一つの悟りがある。
現役時代の対戦相手でも、
できている人は数えるほどしかいませんでしたし、
それも瞬間的なものでしょう。
by. 桜井章一氏
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なにかがおかしいな、
と思うときは途端に切れなくなるものなのです。
基本の一歩ですら、
極めるのは至難の業なのです。
「なんとなく」というと、
感覚だけのあやふやなものであまり良くないものだと思われがちですが、
私はこの「なんとなく」
を大事にしています。
「なにげなく」という言葉でもいいかもしれませんが、
ともかくアバウトでいるという感覚が私にとってはとても大事なことなのです。
by. 桜井章一氏
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その感覚を意識的に持って
「だいたいこのくらい」とか
「約このくらい」
といったスタンスでいること。
なぜなら、なにもかもハッキリさせると
「絶対感」になってしまうからです。
「絶対感」を持つことは一番ヤバイことで、
怖いことなのです。
しかし相手の打ち方を見て、
私には相手がなにを持っているかが見える。
by. 桜井章一氏
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もちろん視覚的な意味ではなくて
「多分こういう状態だろう」
ということが感覚で分かるということです。
これは、ある意味では妄想的かもしれません。
しかし実際にその妄想はたいがい当たっているのです。
一つ確実に言えることは、
そういう「分かる」という感覚は、
この「なんとなく」の感覚で物事を見ないとつかめないということです。
by. 桜井章一氏
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絶対にこうだ、
という「絶対感」で進んでいくと、
気がつくと足をすくわれていた、
ということも起こりかねません。
カッと目を見開いて一つの事柄を凝視するのではなく、
なんとなくボーッと全体像を見ながら、
360度立体的な感覚で把握しているほうが、
物事というものは理解できるのです。
それが「分かる」感覚をつかむことに繋がるのです。
明確な「目標」や「将来の夢」
を持たない人は駄目なやつだと思われたりするので、
「なにが自分に合っているのか」
「この先どういう方向に進まなくてはいけないのか」
をハッキリさせておかないと不安だという人がすごく多くなっているように感じます。
by. 桜井章一氏
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だけどそういう人こそ、
焦らずにこの「なんとなく」
という感覚で日々を過ごして、
目標を見つけていけばいいと思います。
私が麻雀出会ったのは、
いわゆる一つの「運命」
だったのでしょう。
たまたま出会ってしまった麻雀が自分に合っていただけのことです。
合っていたからこれだけ長い間付き合っている。
by. 桜井章一氏
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「たまたま」であり、
「偶然が重なった結果」
として今の私がいるわけです。
「なんとなく」は、
自然を見ると理解しやすいのかもしれません。
木が育つには、
水だけでは駄目です。
水も必要だけど太陽も風も土も必要になる。
by. 桜井章一氏
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そんないろんな要素が必要であるという360度の感覚で見ていくと、
中心にある大事なものがすっと浮かび上がってくる。
それが「なんとなく」
の感覚なのです。
by. 桜井章一氏
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