■究極の選択 -集英社-
私は「人生の選択」とは「人生の洗濯」だと思っている。私の選択の基準、それは、「おもしろいか、つまらないか」。「そうだ、学校で得たことはすべて捨てて生きよう」
何事にも一生懸命、
真面目に取り組む人は、
信念が強い。
だが、その信念も裏を返せば
“執着”になる。
執着が強い人は、
ものごとが変わることを嫌うから、
ちょっとした変化が許せず、
すぐに「裏切られた」「騙された」
という気持ちになる。
執着が強ければ強いほど、
結局自分が苦しむことになるのに、
執着心の強い人はそれがまったくわかっていない。
by. 桜井章一氏
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執着心を少しでも薄めたいと思ったら、
先述したように
「すべては変わりゆくもの」
と常に思うことだ。
「これは裏切りではない。
ただの変化だ」
と思えば、
すっと気持ちも楽になるのだ。
グローバル化する世界は、
表向きは可能性をどんどん広げていってくれるように感じるが、
現実の社会はネット世界が発信する膨大な情報の網や大量生産であふれるモノたちで人々をがんじがらめにし、
身動きできない状態にさせている。
無数の情報やモノがあふれるように目の前にあるのになぜ身動きできないかと言えば、
あまりにもそれらの数が多すぎてまともな判断ができなくなっているからだ。
by. 桜井章一氏
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現代人は何が得で何が損かという経済の物差しばかり使って生き方の選択をしているので、
ものごとの質をはかる感覚が鈍っているのだ。
質が十分に理解できないから、
自分らしい生き方をどうやってすればいいかわからないのである。
人生とは選択の連続である。
そんな「選択」
を毎日毎日繰り返すことによって人生は成り立っている。
by. 桜井章一氏

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私は「人生の選択」とは
「人生の洗濯」だと思っている。
本当は、「選択」したものを自分なりにきれいにその都度
「洗濯」していけば、
次に選ぶべき選択がおのずと鮮明にその姿を現してくれるものだ。
だが、いつの間にか世間の価値観や固定観念に汚された心は何をどう洗濯すればいいのかがわからず、
多くの人は選択とセットで必要な洗濯が疎かになってしまっている。
その結果、
損得勘定に則って汚いものを積極的に選択し、
さらにそれを後生大事に抱えていたりするから身の回りは汚いものだらけとなっている。
by. 桜井章一氏
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先にも触れた通り雀鬼会の麻雀は政治色と経済色をなるべく排し、
できるだけきれいな水を上手から流していこうとするものである。
損得勘定に則った選択や権力を使った選択など、
世間に横行する汚い選択はできる限りしないようにすれば、
人生の流れもきれいなものとなる。
そういった選択を続けていれば、
選択に「余裕」というものが生まれ、
「負けるが勝ち」ではないが
「損するが勝ち」
という選択があることにも気づけるだろう。
世間の人々は「得」
ばかりを求めているから余裕が無くなり、
間違った選択をし、
結局「損」をすることになっている。
by. 桜井章一氏
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だから時には
「今日はこの”損”を選んでみようか」
と自ら進んで損を選択することが大切なのだ。
そうすればきっと
「損するが勝ち」
の結果があることにも気づき、
それまでの間違った選択に積もった汚れを洗濯できるかもしれない。
人生にはいくつかの岐路がある。
その岐路でどんな選択をするかで、
運命は大きく変わってくる。
by. 桜井章一氏
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もし過去のある時点に戻れるというなら雀鬼会を始めたころの四〇代前半に戻りたい。
魑魅魍魎が蠢く裏社会から離れた私は、
結果がすべてではない、
「勝つことが正義」ではない戦い方があることを若い人たちに知ってほしいと切実に感じた。
それが代打ちの真剣勝負の場で私が叩きのめしてきた敗者たちへの、
せめてもの罪滅ぼしであり、
私が負った責任のような気もした。
朝から晩まで遊び続けていた子ども時代に戻ってみたい気もあるが、
やはり一番戻りたいのは雀鬼会を立ち上げたばかりの、
あのころである。
by. 桜井章一氏
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でも、大人になっても、
何もなくても、
仲間がいれば十分に楽しめることを雀鬼会が教えてくれた。
人生の道中に巡り合う
“選択”には、
すぐに答えの出る簡単な選択もあれば、
悩みに悩んで結論に達する重い選択もあるだろう。
よかれと思って選んだ道が間違っていたり、
後々災いとなったり、
あるいはあまり気乗りのしなかった選択が逆に功を奏し、
よい結果につながったり。
人生とは一筋縄ではいかぬ、
本当に不思議なものである。
by. 桜井章一氏
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幼いころから私の選択の基準は変わっていない。
私の選択の基準、それは、
「おもしろいか、つまらないか」。
それだけ。
だから、ちょっと厳しい道でもそっちのほうがおもしろそうならそっちを選んだ。
by. 桜井章一氏
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「こっちが得だから」とか
「こっちが楽だから」
といった基準でものごとを選んだことは正直、
ほとんどない。
そうやって幼いときから独自の基準でものごとを判断し、
人生の選択を行ってきたおかげで、
「この道じゃなかったかもな」
と思うことはあっても、
「あっちにすればよかった」
「こっちにすればよかった」
と自分の選択を後悔することなく、
今までやって来ることができた。
人が自分の選択を後悔するのは、
きっと「社会」というもの、
あるいは「世間の常識」
といったものに惑わされてしまっているからだと思う。
そんな選択は所詮他人がつくった価値観に依ったものなのだ。
by. 桜井章一氏
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本書の中で詳述したが、
「負けるが勝ち」
という言葉もあるように、
人生の選択には
「損するが勝ち」
ということが往々にしてある。
最初は「損」に感じるようなことをあえて選ぶことで、
結果として「得」が舞い込んでくるということが、
いくらでもあるのだ。
社会の流行や世間の常識に惑わされ、
自分は勝ちばかり欲していないか?
あるいは得ばかりを求め、
結局損をするようなことになっていないか?
by. 桜井章一氏
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“選択”の連続であるのが人生ならば、
その行き先を決めるのは他ならぬあなた自身なのだ。
それだけは、忘れないでほしい。
by. 桜井章一氏
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■手ぶらで生きる術 ~忘れ上手は生き方上手~ -竹書房-
私が一番好む、
暑い陽射しの下で冷やっこい海に潜って自然の姿の中に混ぜてもらうときは、
水着一丁でなにも持たない瞬間を楽しむ。
そこに棲む生命体も、
我々よりずーっと古い時代から、
なにも持たずに生命を連続させている。
世の中には、
持っていいことや知っていいことよりも、
持たなくていいこと、
知らなくていいことの方が多く、
持たないことで真の自由に近づける。
知ることの不幸もあれば、
知らないことの幸福もある。
by. 桜井章一氏
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だが、あるとき、
「そうだ、学校で得たことはすべて捨てて生きよう」
と思い立ち、
なるべく学問に頼らない生き方をしていこうという気持ちを持っただけで、
心身が軽くなった。
「考える」ことも、
「感じる」方向に変化させていくと、
今まで隠れていた違ったものが見えはじめた。
夢や希望といった重たい荷物は持たず、
そのときその場のちょこっとした目標にも決して力まず、
「まぁ、やるか」くらいの軽い感覚で成す。
見えない道を歩くということは、
他人が歩いた道をなぞるのではなく、
一人一人が自分自身の道を歩くことであり、
そうすれば嫌なものだらけの世の中も納得して生きていくことができる。
満足感を追うからきりがないのであって、
納得感を日々の指標に置いておけば、
「まぁ、こんなところでいっか」と、
自分の器量や等身大の感覚に素直に収まる。
by. 桜井章一氏
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