■手ぶらで生きる術 ~忘れ上手は生き方上手~ -竹書房-
無の意識になれば、自然に体は動きます。本当に親が子どもを育てようと思ったら、「育てよう」と意識するのではなく、大人が自分自身を正しく磨いて、粋な大人の見本になることです
言い変えれば「持ちつ持たれつ」
でもいいかもしれない。
立場の違うもの同士、
お互いに感謝し合える関係を築くことが大切なのです。
しかし、精神(頭)と肉体とは連動し合っているものです。
精神がまいっていると肉体にも影響して具合が悪くなるし、
精神を使いすぎると体のほうが追いつかなくなってくる。
by. 桜井章一氏
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そこまでではなくても、
今の若者は、
肉体は動けるのに積極的に動きたくないという人がとても多い。
そうなってしまった原因は
「考えすぎ」にあります。
頭(精神)ばかり酷使すると、
体(行動)が追いつかなくなってくるのです。
ちょっと逆説的ですが、
精神の活動が極まったとき、
「精神が無意識になって体が自然に動いている」
という状態になることがあります。
by. 桜井章一氏
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あるいは、
考えることを止めて体そのもので対象や周囲を「感じる」とき、
精神は無になっている。
無の意識になれば、
自然に体は動きます。
それこそがまさに精神と肉体が一致している状態なのです。
by. 桜井章一氏

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親が子どもを「育てる」
といいますが、
それはおこがましい考えです。
人間は子どもであろうが、
自分で自分自身を育てて成長していくものなのです。
子どもが育とうとするのは
「本能」なのです。
「育つ」ということは体の成長だけではなくて、
「学ぶ」ということにも繋がっていく。
by. 桜井章一氏
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昔みたいにかっこいい粋な大人がたくさんいて、
それを見て学んで育っていくのならいいけれど、
今はなかなかそれが難しい。
親も未熟で、
考え方のなっていない大人たちのほうが多い世の中ですから。
子どもが子どもらしからぬ犯罪を犯すのは、
大人が持つストレスや精神の病理を早めに抱えてしまっているからです。
大人社会が殺伐とすれば、
子ども社会も殺伐とする。
by. 桜井章一氏
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子ども社会はそのまま大人社会の縮図なのです。
だから、本当に親が子どもを育てようと思ったら、
「育てよう」と意識するのではなく、
大人が自分自身を正しく磨いて、
粋な大人の見本になることです。
親が背中で教えていくことこそが教育なのです。
そういう日々の積み重ねが、
子どもを育てることになる。
by. 桜井章一氏
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そもそも私は、
この「育てる」という言葉自体が好きじゃない。
私には百年早い言葉だと思っています。
まあ手助けぐらいはやってきたかな、
という程度。
私には仲間はいますが、
友達はいません。
by. 桜井章一氏
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しかし、友達という感覚の人はいないのです。
友達というと、
なにか広がりを感じません。
きっとその「親友」
というものは、
自分にとっていろいろと都合がいい相手を選んでいるのでしょう。
そういう都合というものを抜き去った後に残るものが仲間です。
by. 桜井章一氏
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私にとって仲間とは、
ちょうど麻雀の牌ぐらいが限度かなと思っています。
その中で誰かメンバーが抜けても、
またどこかから新しく入るから136人くらいが循環している感覚でいい。
人に何かを教えるということは、
「焼け石に水を撒く」
ようなものです。
その瞬間は確かに、
「焼け石」にとっても、
水が「冷たい」という感覚があって、
しっかりと濡れます。
by. 桜井章一氏
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でも、外に出ると陽射しもあることでしょう。
すでに「焼けている石」は、
あっという間に乾いてしまう。
焼け石に何度水をかけてもすぐ乾燥します。
しかし「また乾くだろうな」
ということを知った上で、
水をかけてあげるのが「教え」
というものなのです。
by. 桜井章一氏
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そこで「きっといつかこの子も、
濡れたままの石になるだろう」
なんていうふうには考えない。
焼け石が水の冷たさを感じるのは瞬間だけなのですから期待してはいけない。
だから教える側、
水をかける側というのは半端じゃない苦労をします。
焼け石が瞬間的に水の冷たさを感じて
「ああ、こういう感覚もあるんだ」
と知ったり、
「水をかけられるのって気持ちいいなあ」
という感覚を知るだけで、
もうその子は「教わった」ことになる。
by. 桜井章一氏
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その後で乾いてしまっても、
そこには意味があるのです。
一度すっかり「濡れ石」になって巣立っていっても、
しばらくするとまた元の自分の方へ帰ってしまうのです。
「焼け石」を作っているのは、
若い時分に育った環境、
与えられた環境、
あるいはそのときに持ってしまった自分の感性だとか、
さまざまな要因があるでしょう。
長年堆積されて作られた地盤は、
よっぽどのことじゃないと変わらない。
by. 桜井章一氏
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一度は変わったように見えても、
重力のように引っ張られてしまって元に戻ってしまうのです。
でも今は逆に、
「乾く」ほうが本当の「焼け石」
だなと思うようになりました。
そして、だからこそ水をかけ続ける意味があるのだと思っている。
それでもその「焼け石」は、
水をかけられた瞬間「気持ちいいな~」
という顔をしている。
by. 桜井章一氏
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これが大切なのだと思っています。
重そうな荷物を持って歩いているおばあちゃんが前にいれば、
私は飛んでいって荷物を持つでしょう。
しかしこれは決してマナーだとか、
親切心だとか、
愛だとか、
そういうものではありません。
パッと見て辛そうにしているおばあちゃんは、
熱くなってる存在で、
私は「じゃあちょっと荷物を持ってあげようかな」
と水をかける。
by. 桜井章一氏
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それは習慣であって、
私にとって「善行」だとか、
そういう思いはありません。
優しさとか思いやりというのはそういうものであって、
自然に動いてしまうものです。
それを「いいことをした」
と思うのも違うし、
そう受け取るのも違うと思う。
陰に隠れているからこそ徳がある。
by. 桜井章一氏
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