■我れ、悪党なり ~20年間無敗の雀鬼、日々を語る。~ -竹書房-
その損なわれた部分を修復し再生し復活することが雀力だといえるのだ。だが犯罪行為は処罰できても、その動機の根底にある思想に処罰を加えることはできないはずだ
再生することで修正力が生まれ、
復活する。
一見、海と山は別物のように感じられるが、
弱った海を再生させるためには山の木が豊かであることが必要な要素だったのだ。
麻雀の強い者には確実に再生能力や修正力があり、
復活してくるものである。
運に与えられた配牌のよさやツモや手順の進みのよさという優良な資源も、
さほど長くはもたない。
by. 桜井章一氏
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麻雀に限らず、
俺にだってこりゃ危ない、
マズい、ピンチだという状態が、
いろいろな場面で生まれる。
そんなとき俺の脳裏には、
危ねえという思いと同時に、
こんなことが起きるのは当たり前なんだという考えも浮かんでいる。
ただ、こんなことも起きるもんよというのは、
なにも悪い状況ばかりでなくよい状況でも起こる気持ちなのです。
それがバランス感覚なのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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俺の得意分野の麻雀だって、
確かなことはわからない。
その損なわれた部分を修復し再生し復活することが雀力だといえるのだ。
人間は必ず、
心身に脆い部分を抱え持っている。
そして身体の回復は目に見えてわかるが、
心の状態は見えにくい。
by. 桜井章一氏

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それほど大きなショックでなくとも、
多かれ少なかれ生きることの中で、
人々はそういう体験をする。
麻雀でも、
振り込みという現象は和了という現象と相対して生まれる。
トラウマになるほどではないにしろ、
人は多少のショックを受けると、
三〇分くらいは元に戻すことが困難になる。
ということは、
ほとんどの人が一度のショックで三〇分も立ち直れず、
メンタルの回復をできぬまま卓上の闘いをしていることになる。
by. 桜井章一氏
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心のバランスがとれずに不安定なままで麻雀を打っている。
これ(「揺れない心」)も、
だれしも持つ脆い部分が引き起こす不安な状態から、
少しでも早くバランス感覚を取り戻すための心構えである。
麻雀は「摩耗する心」
との闘いでもあるのです。
俺は道場で雀鬼会の選手たちに対し、
いつも正しく「的を射る」
ということを指導している。
by. 桜井章一氏
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麻雀というゲームは、
自分を含めた卓上の四人の方向性を見極めていくゲームである。
他の三者の方向もしっかりととらえていなければ、
麻雀を打てるとはいえないものなのである。
上の選手が自分より下の選手を見れば、
配牌からの構想や手順の選択など、
諸々の方向性における誤りを容易に見て取ることができるものだ。
それをミスという。
by. 桜井章一氏
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ただし、的の位置すらわかっていない者が放った矢が的を外したからといって、
それはミスとはいえない。
そして麻雀でも上級者ともなれば、
もちろん的の位置をきちんとはかり、
方向を定めてから矢を放つ。
ただ、この場合(矢が的を外す)はミスではなく
「心と精神の微妙なズレ」
が生じた結果である。
麻雀というのはけっして頭だけで打つゲームではなく、
身体も頭脳も精神も心も使って打つものである。
by. 桜井章一氏
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だから麻雀では肉体的な疲労が打牌に影響を及ぼす場合もあれば、
精神的な事故や故障が関係して、
思考のズレが生じて的を外してしまうこともある。
もっとも、そんなときでも自分の悪い要素をつかむことができれば、
不調や微妙なズレを感じ取ることはできるのだが、
なかにはなんだかわからないけれど、
とにかく調子が悪いという状態になることもある。
とはいえ逆に不自然に調子がよすぎる場合、
普通の人はそれもまたズレによって生じたものだとは、
なかなか思わないようである。
脳から発信するものが一〇〇であったとしよう。
by. 桜井章一氏
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ところが他の要素が作用して、
それが六〇になったり一二〇になったりすることがある。
それがズレなのです。
極論だが、
役満が出れば和了った者も振り込んだ者も興奮の極致に浸る。
そんなとき、
意識して身体の力を抜こうとしても、
リラックスしようとしても、
その興奮は三〇分ほどは続き、
元には戻らない。
by. 桜井章一氏
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つまりどちらも平常心とバランスを失った状態のまま打ち続けることになる。
俺が麻雀を打つ時は、
いつもその微妙なズレの感覚を「かげり」
という形で感じ取ってきた。
ただしこれは決して人が引き起こしたミスではなく、
その領域の外にあるものである。
俺は、イチローのすごさは「微妙なズレ」
の自覚と修正力にあると思っている。
by. 桜井章一氏
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柔軟運動をすることによって身体に流れを作り出すストレッチこそ彼にとっての基本動作であり、
それを大切にすることで、
ズレが生じたときに心身を元に戻す能力を早めに発揮することができている。
俺も麻雀を打とうとするときは、
まず牌を手にして柔らかく柔らかく扱うことから始める。
麻雀を打っていて、
なんだかわからないけど調子が変だなあという時も、
俺はまず自分を基本動作だけに戻している。
そうすることで、
和了りたいという気持ちは消え去り、
危ない状態もいつのまにかなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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ただ基本動作を正確に繰り返していると自然に自分を取り戻し、
少し前まで感じていた「なんか変だ」
という状態から脱出できているのである。
もし麻雀にマナーというものがあるのだとしたら、
それは間違いなく基本動作のことだと、
俺は思っている。
一つくらい、
捨てることにこだわってもいいだろうと思い続けてきた。
その役も何度となく俺の手牌に顔を見せたが、
常にチンイツという小さい役に戻すことで、
俺は自分の掟を守り通してきた。
by. 桜井章一氏
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手牌 一筒、一筒、一筒、二筒、四筒、五筒、五筒、六筒、七筒、八筒、九筒、九筒、九筒
ロン 三筒
仕方がない、
手牌から 二筒 と 四筒 を離して
「一万二〇〇〇点」と言おうとした瞬間、
後ろから「九連ですね」と声がかかった。
あーあ、俺の中でまた一つのことが終わった――
そんな寂しさが残った。
多田のおかげで、
俺が大切に守り続けてきた掟が破れてしまったのだ。
by. 桜井章一氏
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自由も平等も正義も平和も、
闘争して勝ち取るしかないとでも言いたいのだろうか。
今回のテロ事件もそうだが、
世の中で起きる犯罪にはすべて動機がある。
そこに誤った手段を取り入れることで犯罪が生まれるのだ。
だが犯罪行為は処罰できても、
その動機の根底にある思想に処罰を加えることはできないはずだ。
我々の日常生活でも、
思想とまではいわなくても、
考え方や意見の違いで気分を害したり、
争いごとが起きたりするのは普通である。
by. 桜井章一氏
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