■手ぶらで生きる術 ~忘れ上手は生き方上手~ -竹書房-
生きていく過程の一つということで、目標は一つの道しるべにすぎないのです。自分が決めた「正否」なんていうものは、都合によって変わるあやふやなものなのです
しかし、決して勝つということが感動ではないと私は思う。
なぜかみなさんは
「勝つ=感動」
になっているのです。
勝ったってどうしようもないことはいっぱいあるのです。
それより、悪い状態のものがいい方に動いた時に
「感動」が起こるのです。
by. 桜井章一氏
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しかし「大」を選ばずに
「小」の方の人間を選んだ。
そこに自分の感性に感ずるものがあったわけです。
涙は単なる感情以上に、
「エネルギーのはしくれ」であったり
「なにかが生まれるところ」
であると言えるかもしれない。
生きている我々はそういう感情をしっかりとらえていかないといけないのです。
by. 桜井章一氏
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目標を持つことは大事ですが、
しかし達成されたからといって人生が終わるわけではない。
生きていく過程の一つということで、
目標は一つの道しるべにすぎないのです。
その間、なんの道しるべもなく歩くには長い道のりなわけで、
方向を見失わないためにも目標という存在が必要なのです。
ただ、一つの方向だけに歩いていくと人の頭は硬くなっていくものです。
by. 桜井章一氏

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それと同じで、
目標も西へ行ったり東へ行ったり、
自分を中心軸にして、
放射線状にたくさん持っていたほうがいい。
そして目標は自分の前に置くのではなく、
横に置くことが肝心です。
目標というと、
はるか先に置いて追いかけていく感覚でとらえる人も多いのですが、
目標を遠くに置きすぎると、
ただの「期待」で終わってしまう。
期待がいつしか、
「妄想」になってしまう。
by. 桜井章一氏
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それではせっかくの道しるべが、
逆に道に迷う原因になってしまいます。
だから目標はあまり遠くに持たず、
いつも両脇に置いているくらいの感覚がいいでしょう。
ふと自分の横を見ると目標がある、
それくらいの感覚がいいのです。
両脇に目標があれば、
いつも目標と一緒にいることになりますから、
常に目標の中で生きていることになります。
by. 桜井章一氏
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私の場合は先どころか、
目標を後ろに置きたくなることもあります。
後ろというのは自分が歩いてきた過去であり、
振り返ってみるということです。
そしてこのどんどん便利になっていく時代の中で、
あえてアナログに生きるということでもあります。
ときどき自分の来た道を振り返って確かめるということは大事なことですし、
あまりに世間のみなさんが「先へ、先へ」
となっているのを見ると、
あえて「私は後ろに行ってみようかな」
という気になってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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アナログなものが私を
「危ない、危ない」と、
呼び止めるのです。
それが「後ろへ来いよ、来いよ」
と言っているような気がするのです。
by. 桜井章一氏
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自分が持っている「価値観」は、
本当に自分で選んだものでしょうか?
一度そのことを疑ってみたほうがいい。
私たちは生まれたその瞬間から、
生まれ落ちた国や民族の中で決められた都合に沿って生きています。
全世界的に揺るぎないものは、
そう多くあるものではないのです。
by. 桜井章一氏
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つまり、我々は知らず知らずのうちに決められた価値観を植えつけられていて、
それに影響されて生きているということです。
ところが、いざ「正」
であるはずの勉強をやっても、
仕事を一生懸命やってお金を稼いでも、
自分を見失っていく人がいる。
どうしてそうなるかというと、
言うまでもありませんが、
その「正」は自分にとっての
「正」ではないからです。
それが分かるためには植えつけられた
「価値観」ではなく、
「自分の価値観」をしっかりと考えることがとても大事なのです。
by. 桜井章一氏
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世間が作り上げてきた
「正」とか「常識」という価値観に、
まず疑問を持ってみる。
歴史的に見ても、
その時代や背景を知れば、
宗教や政治などによって歪められた
「正」がいかに多いかが分かるはずです。
そうやって作られた価値観の裏側を知ると、
なにかに染まったりとらわれたりすることは危険なことだ、
ということが分かるでしょう。
しかし「自分の価値観」
が分かったところで、
その「正否」を間違えずに行動していくことは、
とても難しいことです。
by. 桜井章一氏
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たとえば「人から良く見られたい」
という思いをゼロにすることは難しいから、
本来「否」であることでも、
良く見られるのであれば
「正」としてしまうこともある。
同様に評価を受けるなら
「正」になったり、
需要があってお金が儲けられるなら
「正」になったりすることもあるでしょう。
自分が決めた「正否」なんていうものは、
都合によって変わるあやふやなものなのです。
しっかりと自分を知った上で、
それでも常に自分の「価値観」
なんてそんなもんだと疑っていく。
by. 桜井章一氏
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これで「間違いない!」
と思い込むのではなく
「自分の都合で言っていないかな?」
と問いかけることです。
すべてに万能な人間はいませんから、
誰にでも壁はある。
壁を自覚できないということは、
なんの進歩もないということです。
それに「壁にぶつかった」
ことを自覚して、
その壁がどんなものかをしっかり見極めることができたら、
もう壁となっているものは半分解決している。
by. 桜井章一氏
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つまり、壁はなにも「乗り越える」
感覚ばかりではなく、
「壁の上で遊ぶ」
という感覚があってもいいということです。
壁の上に乗っていると、
そこはもう壁ではありません。
壁ではなくて、
細く狭いですが「道」なのです。
また、壁の上に立っている間はバランスをとっているという見方もできる。
by. 桜井章一氏
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壁の上から見れば、
壁を間に挟んで内側と外側に
「裏」や「表」、
「善」や「悪」、
「真面目」や「不真面目」など、
さまざまな二つの要素が存在しているということに気づくでしょう。
それらの要素は入り混じって、
単純にどちらが良いとか悪いとかいうものではない。
しかし、どちらかに降りるということは、
「固定化」してしまうことでもあるのです。
真ん中にいるほうが安全な気がします。
by. 桜井章一氏
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シーソーの上でバランスをとっているような感覚はどんな場面でも大事なことですが、
それは壁の上を伝って歩いていくことにも通じます。
ともに大事なのはバランス感覚です。
また壁の上に乗っかって周りを見れば、
急いで壁を乗り越えたところで他の壁がまだまだ無数に存在していることに気づくでしょう。
そういう意味でも、
壁は急いで乗り越える感覚ではなく、
壁の上に乗って見渡し、
歩いてみるという感覚のほうが面白いと思います。
by. 桜井章一氏
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一方で壁は悪いものではなくて、
自分を守ってくれるものであるという考え方もできます。
壁があるから暴風や寒さが凌げることもある。
乗り越えた先にはもっと過酷な状況が待っていることもあるのです。
しかしそれでも壁の向こうへ行きたければ乗り越えていけばいいし、
もう少し力を蓄えようと思えば留まればいい。
by. 桜井章一氏
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