風通しがいい人というのは、純粋な人、素直な人のことです。心の美しい人と言い換えてもいいでしょう。愛は育むものであって、外に求めるべきものではありません

■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-

風通しがいい人というのは、純粋な人、素直な人のことです。心の美しい人と言い換えてもいいでしょう。愛は育むものであって、外に求めるべきものではありません

私たちはマスコミや権力者の言いなりになるのではなく、
ものごとを自分の目で見極めることができ、
さらに内容がわからなくてはいけません。

いい点を取ればいいというのは、
世間の考え方を一緒であり、
権力者にコントロールされるのは目に見えています。

風通しがいい人というのは、
純粋な人、素直な人のことです。

心の美しい人と言い換えてもいいでしょう。


by. 桜井章一氏

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素質がある者を伸ばすのは、
つまらない。

たとえ素質がなくても、
頑張る人がいい。

本当にどうしようもなく見える奴、
あるいはハンディを背負った人間と、
どこまで付き合えるか。

これは勝負ですね。


by. 桜井章一氏

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むしろ、自分自身は一番の悪党だと思っています。

悪党だからこそ、
少しでもよくなろうという考えなのです。

私は悪党であって、
だからこそ善を求めようとしているにすぎないのです。

一つひとつ、自分の悪臭を、
悪いところを刈り取る。


by. 桜井章一氏

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そして、自分のことだけでなく、
周りの悪さをやっている人がいたら、
一緒になって刈り取ってあげるということが必要です。

愛は育むものであって、
外に求めるべきものではありません。

しかし、できあがった愛や幸せが外に存在していると思い込んでいる人がほとんどのように、
できあがった楽しみを外に追い求めている人がほとんどです。

おもしろいことや楽しみは外に求めるべきものではなく、
楽しみをつくる人間にならなければいけない。


by. 桜井章一氏

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ところが、石ころ一個では楽しめないし、
楽しませてあげられないから、
じゃあ車でも買いましょうと、
物に頼る感覚になってしまっている。

「つまんない人間になってしまっているのはなぜかを考えなければいけない。
楽しみをつくってあげられる人間、楽しい人間にならなければいけないよ」

女の子も、この男と一緒にいたらおもしろい、
楽しいと思うからこそ、
その男から離れないのです。

楽しみをつくるには、
準備、進行管理、後始末など、
しなければならないことがたくさんあります。


by. 桜井章一氏

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■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21- 「男の器」というものがあるなら、そこに何が入るのか。 ...

私はそうではなく、
晴れさせるんだとでもいいますか、
「私がここで寝ないで天気をずっと見ていないとダメだ」
と思うわけです。

だから、ひと晩中起きていた。
それから、スポンジで水を取り始めました。

冬だったので、水はとても冷たい。

私は自分が働いている姿をみんなに見せるのがイヤで、
いったん家に帰り、
集まる時間に合わせて再び家を出たのです。


by. 桜井章一氏

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結局、九時半頃には試合ができる状態になり、
私は集合したみんなの前で、
「この三人がグラウンドの水をかき出してくれたんだよ。
この子たちは偉かったよ」
と褒めて、トコトンきめるのです。

そういうことをやっていますから、
ご褒美として、
私は連続四試合を完投完封し、
打棒も火を噴くのです。

よく、「桜井会長、奇跡をつくるんですね」とか、
「スーパースターですね」とか言われますが、
そういうものは待っているものではなく、
それをつくるまための何かをやっているのです。

参加する程度の気持ちだけではダメです。


by. 桜井章一氏

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楽しみというのは、
参加するだけではなくて、
自分で他人のためにつくってあげなければいけない。

一番いいのが、
楽しみをつくる人なのです。

世間でいう、経済力があるかないかの視点から見るのではなく、
どれくらい人様の面倒を見られるか。

それが真の意味での甲斐性です。


by. 桜井章一氏

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■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21- もつれあった思考がほどけて整理されていく感覚だ。 物事...

面倒を見るということが、
人として一番大事なことだと思います。

政治家は国民の面倒を見なければいけない。

物書きであれば、読者に向かって
「もう少し教養を高めなさいよ」
と言うのではなく、
困っている人の面倒を見てあげられるようなことを書けばいい。

現代の日本人には、
他人の面倒を見る気持ちがなくなっています。


by. 桜井章一氏

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昔の江戸っ子気質は、
たしか面倒見のよさでした。

昔あった、「弱きを助け、強きを挫く」
という発想のほうが、健全だと思います。

差異を認めたくないから、
「平等」を強調するようになってしまう。

しかし、「平等」という言葉を美化しすぎ、
主張しすぎて、
「不平等」に目をつぶってしまうという結果を招き、
あげくの果てには、
あるがままのものを見るという、
見極める力を損なってしまっていることに気づいていない。


by. 桜井章一氏

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男と女、大きいと小さいという差があります。

男のほうが偉いとか、
大きいことはいいことだなどと、
どちらか一方に価値観を置いてしまうと、
真の差別観を生んでしまう。

どちらか一方にウェイトを置いて主観的に見るのではなく、
あって当然の個体差を認め、
あるがままを見ることで、
はじめて見極める力が身につくようになるのです。

言い換えれば、自然にある差や違いを認め、
「あるもの」が「ないもの」を埋めるという感覚を身につけてこそ、
ものごとの本質を見極める力がついてくるということ。


by. 桜井章一氏

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■精神力 ―強くなる迷い― -青春新書- 人というのはね、 とにかく「やるしかない」んだ。 悩んでいるヒマなどない。 ...

運のある人とない人がいるように、
個人差はあって当たり前ですが、
そこを埋める努力をしなければいけないということです。

むしろ、差があるからこそ愛も生まれ、
AさんではなくBさんが好きになったりもするのです。

選ぶということも、結婚も、
そこに差を見出しているのです。

差があることを素直に認めきれないと、
見極める力が損なわれてしまうのです。


by. 桜井章一氏

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嫉妬心や私欲が、
あるがままのものを見られなくしてしまう。

「信じる者は救われる」などという言葉がありますが、
私の場合、過去を振り返ってみると、
何ごとも疑ってかかることが多かった。

「信じる」とは、とてもいい言葉に聞こえますが、
疑ってみることから真実を見極めていくべきではないでしょうか。

信じることは楽です。
しかし、信じてしまうと考えなくなる。


by. 桜井章一氏

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私は、何ごとに対しても、
まず「怪しい」という気持ちを持つべきだと思っています。

一つのことを追究してしまうと、
一途になってしまう。

「信じる」ということは、
いいも悪いも関係なく信じてしまう恐れがあるのです。

信じることで、自分が自分ではなくなってしまう。

それは、自分を売っていることと、
なんら変わりありません。


by. 桜井章一氏

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