■わが遺言 ~勝負の鬼が辿りついた50の境地~ -ポプラ社-
私にとっては、命をなくすことより、いわゆる五感とされる感覚が衰えていくことのほうが辛い。「人の弱みに付け込む商売は汚い」。でも、私は科学の力など信じてはいない
だから私は家族にも、
道場生たちにも、
残しておきたい言葉、
いわゆる遺言のようなものも別にない。
あえて言うとすれば、
最期の瞬間は大人はいらないから孫である子どもたちにまわりにいてほしい。
葬式などもする必要はない。
私には理想の死に方なども別にない。
ただ、植村さんのように大自然の中で死ねたら最高だろう。
by. 桜井章一氏
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私にとっては、
命をなくすことより、
いわゆる五感とされる感覚が衰えていくことのほうが辛い。
私は今まで、自分のこの”感覚”
があったお陰で生きてくることができたし、
さまざまな困難から救われてきた。
感覚が衰え、なくなったら、
それはもはや本当の自分ではない。
「人の弱みに付け込む商売は汚い」
by. 桜井章一氏
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医者、政治家、
その他にも人の弱みに付け込んだ商売はいろいろとあるだろうが、
表ではいい顔をしてウラでは相当汚いことをしている。
人間なんて冷たいもの。
「去り際にその人の人間性が表れる」
などと言ったりするが、
私の死後、周囲の人たちの対応を視ればその人間の本性が分かる。
表面ではどんなにいい言葉、
いい外見で取り繕っても、
中をのぞけば所詮人間なんてその程度のもの。
by. 桜井章一氏
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ちなみに、年老いた事によって次々と襲いかかってくる病に関して、
私はそれらを”敵”とはみなしていない。
世間では「病と戦う」とか
「ガンに負けない」などと病を
“敵”とみなすような風潮
(あえてそうすることで気持ちを鼓舞しているのだろう)があるが、
私にとっての病はあえていえば
“巡りあわせ”であろうか。
でも「病と戦おう」という気持ちが起きない。
私にとって病とは
「生きていれば必ず巡ってくるもの」
という程度の認識である。
by. 桜井章一氏
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病という異物が身体に入り込み、
入院すれば点滴や薬という異物をさらに体に取り込まなければならない。
そうは言っても」「病とうまく付き合っていこう」
などという気もまったくない。
私にとって違和感は違和感であり、
自分にとって嫌なものである。
私はそんなものと仲良くなりたくはない。
by. 桜井章一氏
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ただ、巡ってきてしまったものを、
あるがままに受け止める。
今の私にできることはそれだけなのだ。
医者や政治家など、
人の弱みに付け込む職業の人間たちは権力を求める。
そしてこの社会は権力のある人間のところに利権が集まるように仕組まれている。
by. 桜井章一氏
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私から見れば
「たかだか医者風情で何を威張り腐っているのか」
と思う。
“赤ひげ”とは山本周五郎の小説や黒澤明監督の映画で描かれた、
貧しい庶民に尽くした江戸時代の名医のことである。
患者への対応、
そしてテキパキと無駄なく動く先生の姿を見て、
私は「金にも権力にもまみれず、患者のために働くこういう先生がまだいるんだな」
と感じた。
「先生が言うんじゃしょうがない」と、
男と男の約束ではないが、
私は先生の薦める病院へ入院したのである。
by. 桜井章一氏
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「母親のあの思い出の味」とか、
「妻の作ったあの料理」
などというものも私の中にはまったくない。
私はレモンやイチゴなど、
酸味のある食べ物が苦手なのだが、
最後の晩餐にそんな嫌いなものが出てきたとしても私は驚かない。
いや、むしろ
「最後の最後に、こいつらが出てきたか。
やっぱり俺の人生って面白いな」
と感じるに違いない。
最後の晩餐に嫌いなものが出てきても、
私は生きていることに感謝しつつ、
大地の恵みをありがたくいただくはずである。
by. 桜井章一氏
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人生を振り返ると、
周りにはいつも私を楽しませてくれる仲間たちがいた。
とにかく何かしら”楽しみ”
を見つけるために私は自然の中に入っていくと思う。
海、山、川といった自然とそこに息づく生き物たちの世界が私は大好きだ。
自然好きの私の意識がなぜ宇宙に向いて行かないのか?
by. 桜井章一氏
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簡単に言えば、
私は「人類の進歩」というものにずっと疑いを抱いてきたからかもしれない。
宇宙に近づくことが最先端の科学力を持つことの証だった。
でも、私は科学の力など信じてはいない。
そんなものに頼るから、
人間はもともと動物として持っていた感覚を閉ざしてしまったのだ。
by. 桜井章一氏
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私は地球の恵みの中で、
自然界の一員として生きていたい。
だから生身の体では生きていけない宇宙空間などに興味はまったくない。
そんな私であるから、
“未来”というものに関してもあまり興味がない。
騒動の渦中に飛び込み、
その場を丸く治めることに生き甲斐を感じる性質であるから、
過去の世界に飛ぶにしても平穏無事な時代より争乱の時代に飛び込んでいくことだろう。
by. 桜井章一氏
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つまり、私にとっての宇宙は、
文明や科学技術の象徴であり、
私の大好きな自然界の対極にある存在なのだ。
その証拠に宇宙空間では生物は生きていくことができない。
正三角形に近い角度で並ぶ3つの星。
でもなぜか、私はその三角形に引き付けられる。
宇宙などにまったく興味のなかった私がなぜ、
こうもその三角形に引き付けられるのか。
by. 桜井章一氏
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薄く膜が張ったような夜空でしか見えない星座。
社会の底辺、
社会の片隅に位置する”雀荘”
のオヤジとして生きてきた私には、
澄み渡った一面の星空より、
うっすらとやや濁ったような星空こそ相応しい。
淡く光る三角形が、
最近では自分の分身のようにも感じる。
もしかしたら、
私が見ている三角形は私にしか見えない星座なのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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そして、そんな星座に巡り合えたのには、
きっと意味がある。
果たして、あなたには、
あなただけの”夜空の三角形”
が見えるだろうか?
星座が発見できなくたって一向に構いやしない。
「夜空を見上げる」、
その行為にこそ意味があるのだから。
by. 桜井章一氏
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