■手ぶらで生きる術 ~忘れ上手は生き方上手~ -竹書房-
軸は柔軟でないといけない。自分を肯定しかしない人間は、必ずどこかで帳尻を合わせている。否定することによって、初めて新しい展開が生まれてくることもあるのです
自分の軸を持つことは大切なことです。
軸とは体の中心に一本まっすぐに通っているようなイメージでとらえている人がいますが、
私の言う軸とは、
そういったものではありません。
イメージで言うと、
360度クルクル回転しながら回っている、
駒のような感覚のものなのです。
軸は柔軟でないといけない。
by. 桜井章一氏
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しかし軸を一方向でとらえている人は、
「信念」と軸を間違えているような人も多くいます。
しかし「これが軸である」
という思いだけは強いので、
極端なこともしてしまうのです。
一つの思想にとらわれると他の思想は絶対受けつけず、
争いになる。
そういう頑なな方向に行ってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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また一方向にしかものが見られない間違った軸感を持つと、
自分を否定する要素が見えてこないから、
肯定していく一方になります。
自分を肯定しかしない人間は、
必ずどこかで帳尻を合わせている。
100%完璧な人間はいませんから、
なにかしらのごまかしが必要なわけで、
そこから必ずウソというものが生まれます。
そうなるともうブレてしまって軸どころではありません。
by. 桜井章一氏

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しかし360度回って全体像を把握していると、
ときどき自分の中にも、
これは違うなというものが見えてくるはずです。
否定することによって、
初めて新しい展開が生まれてくることもあるのです。
だから、シーソーのバランスではありませんが、
その真ん中に立っていて、
それが回転しているイメージでいるといいでしょう。
そうすると360度世界を見渡せて、
いろんなものが多面的に見えてくる。
by. 桜井章一氏
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軸を回転させている間に、
いろんなことが自然と応用できるようになってくるのです。
そして回転軸の感覚でいると、
常に裏も表も見えている状態になる。
裏も表もあるのが人間の自然な姿です。
表も裏もあるといっても
「表側はきれいに繕って裏側は汚い」
ということではありません。
by. 桜井章一氏
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きれい汚いではなく、
裏面と表面があって立体的に生きているのが人間です。
その中で「どっちを見せてもいい」
といった考え方になったとき、
そこで初めて360度回転する軸の感覚になるのです。
ものごとには適温というものがあります。
適温でいるということは、
私がよく言うバランス感覚にも繋がることです。
by. 桜井章一氏
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しかし自信満々に言うようなタイプは、
私の経験から見ても絶対にすぐ終わる。
今は燃えるように熱くても、
熱しやすいやつは冷めやすいのです。
逆に多くを語らずに黙々とやっている子のほうが、
しっかりやることをやって続く場合があります。
熱血感の熱血というのは、
弱さの裏返しであるし脆さでもある。
by. 桜井章一氏
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潜在的に人は冷血より熱血の出現を求めているのです。
大事なのは適温を知り、
寒ければ服を着て、
暑ければ服を脱ぎ、
温度調節ができる感覚を持つことです。
そこが麻痺してしまうと、
おかしな人になってしまいます。
しかし、悩みを解決するために一人で悶々と悩んだところで、
絶対にいい答えは出ません。
by. 桜井章一氏
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だったらそんな悩みは早く捨ててしまったほうがいいのです。
迷いを持ってるということは、
それをもっと膨らませれば「病」になるし
「病」を膨らませると「狂」になります。
真面目に悩み込んでも、
先に待っているのは「狂」
なのですから、
そんなものは早く手放してしまうことです。
つまり早く断ち切ってそれ以上悩まないというのが一番の解決法なわけですから、
サイコロを振るのはそうしたものを素早く断ち切るにはもってこいの手段なのです。
by. 桜井章一氏
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迷っているときは、
たいがい50と50のせめぎ合いだったりします。
動けない現状は「悩み」
で止まったままの状態。
そこで自分というサイコロを振ってみることで、
悩みは過去のものとなり、
新しい未来の目が現れるのです。
私はいたずらものですから、
「探究心」というか、
「自分で体験して感じたい」
という気持ちがすごく強い。
by. 桜井章一氏
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自分で体験した上でそこからなにかを感じ取り、
それを学びとりたいのです。
それは誰か尊敬できるような人を観察して学ぶようなやり方ではなく、
自分が出会う人たちの中で、
いい人、悪い人、できる人、駄目な人、
優しい人、冷たい人……
さまざまな人たちを見て観察しながら、
そこから自分自身を調整していくやり方です。
自分より下の未熟な層の人間からも、
あるいは子どもからも学べるのです。
by. 桜井章一氏
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たとえば私は孫を見て、
自分の過去を見つめ直している。
自分の子どもの頃の感覚なんて忘れていることが多いですから、
孫を見ながら自分の観察のやり直しを行っているのです。
学ぼうと思ったら、
どこからでも学べる。
それを学びにできるかどうかは、
本人の感性の問題なのです。
by. 桜井章一氏
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敏感か鈍感かと問われたら敏感でしょうが、
不器用か器用かと問われたら、
私は自分がすごく不器用な存在である気があるのです。
第一、器用な人間はもっと世の中の流れに沿って、
すごく不器用な存在である気がするのです。
私は世の中の制度や既存の価値観に対して、
どうも違和感を感じることが多い。
それは不器用さゆえにいろんなことに気づいて引っかかってしまうからでしょう。
by. 桜井章一氏
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器用な人はうまく自分を納得させられるのでしょうが、
私はそのまま見過ごすことができない。
だから器用な人が考えないことを考えて、
始末をつけなくてはいけないことが多くなるのです。
そうすると要領よくやったりごまかさないでやらざるを得ないので、
ある種の感覚が発達して、
思考の仕方が変わったのかもしれません。
一つ言えることは、
不器用だからといって器用なふりをして生きなくてもいいということです。
by. 桜井章一氏
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器用じゃない人は世の中とぶつかることも多いでしょうが、
そのときはどうすればいいか自分なりの始末のつけ方を探せばいい。
少しずつ経験して探っていけば必ずやり方がみつかるはずです。
そして、それこそが生き様を作るということなのです。
by. 桜井章一氏
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