■雀鬼流の行動哲学 ~「狂」の時代を回避せよ~ -三五館-
考え方が強い人というのは、悩む必要がない。元へ戻すということはゼロということではないよ。真ん中へ立つということなんだ
便利な物というのは、
人間の楽発想から生まれている。
限りなく楽を追求するということは、
めんどくさいこと辛いことを嫌がり、
それらから逃げるという逃げ癖をつけることを意味する。
また、苦と楽は二つでワン・セットだ。
経済が伸びれば、
必ず副作用が起こるんです。
by. 桜井章一氏
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自然破壊や、ごみ問題だけではない、
経済優先ということで、
人々の思考だって汚染されて、
狂ってきているんです。
今の時代は、経営者だけではなくて、
みんなが悩んでる時代なんです。
ですが、その悩みというのは自分で作ってしまってることが多い。
私は今、ある雑誌で人生相談みたいなことをやっているからよく分かるんですが、
彼らは困ったことが起きるから悩んでいるのではなくて、
その人間が困った人間になってしまているから悩むんです。
by. 桜井章一氏
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だから、今の悩みを解決したって、
また他の悩みを作るんですよ。
悩みというのは、
考えすぎることから生じるんです。
人間というのは、
考えなければ一番いいんですよ。
瞬間動作で生きられれば、
それがいいのであって、
時間をかけるからおかしくなるわけです。
by. 桜井章一氏
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だいたいこの世界の八割方は、
考えたって答えの出ないものなんです。
人間には、多かれ少なかれ、
悩みや困ったことは、
あってもいいんです。
悩みには、
外的な悩みと内的な悩みというのがあるんですが、
外部から生じる外的な悩みならまだいい。
ですが、その人間の内部から生じる内的な悩みはもはや病気です。
by. 桜井章一氏
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弱い性格だから悩むんです。
考え方が強い人というのは、
悩む必要がない。
「生きている」ということは、
できるかぎり長い間、
人様に迷惑をかけないで、
自分の足で歩けること、
自分の手で食事がとれることを言うんだと思います。
壮年・老年の方というのは、
人生に開き直っているというよりも、
頑固といいますか、
いわゆる執着心の固まりになってしまっているよね。
by. 桜井章一氏
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時間をかけてますから、
どうしても凝り固まっているところがあります。
年を取るということは、
そういうことなんです。
頑固というのは動脈硬化みたいなものなんです。
自らの過去であれ、
知識であれ、
得たものに執着して、
自分を捨て切れず、
他人の非を認めても是は認められない、
善悪をしっかりと見極められない人、
つまり人様に迷惑をかける人になってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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要は、分業化というのは、
バカなんです。
専門バカを作ったって、
何にもならないってことに。
今の子たちを見てると、大抵、
全体ではなく部分だけで生きてる子たちばかりです。
部分的にしかやらない、
部分的なことしか考えない。
by. 桜井章一氏
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狂った状況ができた時というのは、
みんな、他のことが見えなくなって、
部分的なものしか見えない人間になってる。
それはどうしてかというと、
役割は充分に果たしているが一つの物事に執着しすぎている。
血管の中を流れている血液のように、
流れるような考え方を持っていないからです。
なぜならば自分の立場やイズムに執着しすぎるからです。
by. 桜井章一氏
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そうなるともう病気です。
一つのものに執着しすぎると、
他の物が見えなくなる。
それを哲学だったらこうだとか、
商売や事業だったらこうだとか、
あるいは育児や教育だったらこうだとか、
麻雀だったらこうだとか、
そんな一貫性のないぶつ切りの考え方になっているからいけない。
金太郎飴のように、
どこをとっても、
同じ考え方になっていないといけない。
by. 桜井章一氏
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畑を耕す時、
でこぼこにならないように、
平らに耕すようにしますが、
それと同じで、
人間というのは、
耕すように、
分業にしないように生きていかないと駄目なんです。
血液が、五体に身体全体に流れているような考え方が必要だということなんです。
宗教のことは分かるけれど、
農業がどうあるべきかは分からない、
医学は分かるけれど、
建築はどうあるべきかは分からない、
経済については分かるけれど、
子どものしつけのことは分からないなどというのは本物ではない。
指導者は、教えるというのではなく、
気づかせるということが大切なんです。
by. 桜井章一氏
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彼(編集者)は、
常識というものに逃げ込もうとしては、
そのたびにじたばたと苦しむんです。
で、みなさん、
常識という殻や鎧を壊せばいいと思ってるようですが、
常識を壊すというよりも、
そこから離れて、
もう一人の自分を作るほうがいいんです。
常識を外から見る、
外から非常識を見る、
というような目がないとね。
常識や非常識に溺れないで、
いかに自分の力で泳げるかということなんですよ。
by. 桜井章一氏
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まだ何もない時代だったり、
何かを始める走り出す前の者であれば、
あの言葉(ボーイズ・ビー・アンビシャス)は有効だったろうけれど、
走り出した人間にはよくないんです。
つまり、目的というものは、
私たちの真横に置くものであって、
決して前に持っていくものではない。
目的を先に置くから、
考えるわけですし、
悩みが起こってくるに決まっているんです。
目的を叶えることのできる人というのは、
宝くじに当たったようなものなんです。
by. 桜井章一氏
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不調のときは、
元へ戻らなければいけない。
行動を一回、土に戻してみる。
そうすれば簡単に物事が見えてくるんです。
何でも、最初の一歩というのはやさしいですからね。
上に立ったからって、
上の顔をすることはない。
by. 桜井章一氏
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元へ戻すということはゼロということではないよ。
真ん中へ立つということなんだ。
とにかく、一本道しかないときは、
まっすぐ行くだけですが、
二本あるときは、
どちらか一本を選んで入ってみて、
違うなと思ったら戻ってきて、
もう一本の道に入る勇気がなければいけない。
この場合の引き返すということは、
あきらめや途中で投げたということではなく、
見極めたということなのです。
by. 桜井章一氏
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