■我れ、悪党なり ~20年間無敗の雀鬼、日々を語る。~ -竹書房-
雀鬼流では、雨が降ったら濡れればいい、風が吹いたら飛ばされればいい、自然に生まれた状況から逃げずに、雨が降ったら相手に気持ちよく振り込み、天気になったら和了ればいいと打つ
知識や情報をできる限り捨て、
感性を持って打ち、
麻雀に素直さ勇気を入れ、
瞬間的思考や動作を取り入れた雀鬼流。
人は勝つことに喜びを求めて精魂を込め努力する。
なのに次第に勝つ喜びより、
勝ってしまう自分の姿に虚しさや嘘偽りを感じ取るようになってしまい、
苦悩していたのだ。
俺はすべての勝負に勝とうと思って打ってきたが、
それは大きな間違いだったのだ。
by. 桜井章一氏
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勝負には勝つべき勝負と勝ってはいけない勝負があることに気づいたのです。
この場合(ずる賢い奴が四人集まって麻雀を打ったら)の勝負は、
ずる賢さの競い合いとなるのである。
そんな争いなら、
勝者より敗者の方が人間としては正しいということになるのではないか。
「負けるが勝ち」
とはそういうことなのだ。
by. 桜井章一氏
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俺たちは長い間培ってきた理性を捨て、
感性を取り戻すことで本当の人間らしさをも取り戻そうと雀鬼流をやってきた。
一打一打を一秒で打つ。
考えることを捨て、
感じられるように打つ。
そこには考えて打つより正確で強い麻雀があった。
by. 桜井章一氏

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今思えばそれは、
文明や進歩の名のもとに機械化されてしまった人間を取り戻すために、
理性や合理性を捨てようとしている若い者たちに対する涙だったのかもしれない。
今の世の中では、
人間らしくない人たちがはばかり、
でかいツラをして生きているし、
その絶対数も多い。
みなさんも感じておられるように、
この社会はどんどん間違った方向に進んでいるような気がする。
そんな中で善だ悪だといっても、
それは立場の違いに左右されるものでしかない。
by. 桜井章一氏
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立場が変われば善悪まで変わってしまうのだ。
そういったことを含め、
ずべてを取り戻すためには、
人が持っている――
いや持っていた、
感性を取り戻すほかないのではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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ただ目標や夢や希望ではなく、
俺たちが何をやってきたかをひとつひとつ探り出してみると、
それはすべてが「感性の道」
に通ずるものだった。
やっている時にはやっている者にさえわからないことでも、
愛と意志をもってすれば、
その道は感性の道につながることがわかりました。
人間がこの世に発生してからの時間を一日とすれば、
きょうびの人間がどっぷり浸りきってしまった理性や合理化や文明や知識の歴史はわずか二〇秒あまり。
あとの時間は、
動物たちは今でも持ち合わせている感性の時間だったそうだ。
by. 桜井章一氏
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俺の言う「土に還る」
という精神も、
感性を呼び戻そうという意味だったのかもしれない。
知識人とか理性のある人は、
捨てるということがとても嫌いな人たちだ。
俺が身をもって知る限り、
麻雀とは知識や情報頼りで打ち切れるほど甘っちょろいものではない。
考えるということは、
困った時やいやな時やつまらない時、
あるいは危機に陥った時に起こる悪い要素のはずである。
by. 桜井章一氏
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人間、嬉しい時や楽しい時には考え込んだりすることなく、
そのものを感じ取っているはずなのに、
麻雀を打つとわざわざ考える方に入り込んでいってしまうのだ。
もちろん嫌なことや困ったことは必ず起きてしまうものだが、
自らそれが起こる方に身を置いてしまうのはおかしなことだ。
だからこそ雀鬼流では極力考えることを捨て、
感じられる方へ勇気を持って進めと教えてきたのです。
雀鬼流では、
雨が降ったら濡れればいい、
風が吹いたら飛ばされればいい、
自然に生まれた状況から逃げずに、
雨が降ったら相手に気持ちよく振り込み、
天気になったら和了ればいいと打つ。
by. 桜井章一氏
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難しいボールをすっ飛んで捕りにいけば、
エラーが起きる可能性は高くなるが、
それは捕りに行かない者の無失策よりずっと見事に決まっているし、
人に凄味を感じさせ感動を与えるものである。
またそうする者は、
エラーやミスの中から何かを学び取っていけるのである。
そういう子たち(心に病理を抱えている)も、
何でも考えさせすぎるこの世の習わしの被害者であろう。
そうすること(瞬間の思考や動作)で考えすぎることをやめ、
精神的には楽になり、
病を少しずつ治すことができているようです。
by. 桜井章一氏
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俺の足がどうしたことか、
桟橋の先端に向かって進み始めてしまった。
桟橋の入り口ですら脅威なのに、
俺の身体はもっと危険な桟橋の先へ向かって歩き出す。
弟子たちには声もかけずに一人で危険と思われる方へ進んで行く。
俺のすぐ隣の壁を過ぎたかと思うと、
数秒前まで俺たちが立っていた地点に高波となって襲いかかっていた。
by. 桜井章一氏
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俺は瞬間、危ない、
後ろの者がやられたと振り返る。
なんと全員が俺のすぐ後ろにいて、
恐怖に体を震わせている。
高波は数秒前まで我々が立っていた場所を襲い、
普通に考えれば安全なはずの、
坂道の上に置いていた我々の荷物を一気に飲み込んで荒れた海に引きずり込んでしまっていた。
これも、俺が最も大切にしている
「感じるということ」「感性」が、
俺と弟子たちを救ってくれたのだろう。
by. 桜井章一氏
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明くる日、
我々が桟橋を訪れた前日に、
旅行者の男女がその場所で波に飲まれて亡くなったと聞き、
さらに何かの運命を感じずにはいられなかった。
人は自分を救いたいと思う。
救いたい気持ちから罪を犯すこともある。
麻雀だって和了りたい気持ち、
振り込みたくないという気持ちの中に罪があるような気がする。
だが人は欲望をかなえるために、
我が身を救いたいがために、
打ち筋の奥底に人としての罪を残している。
by. 桜井章一氏
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また救われたいがために人は考える。
考えて考えて、
なんとか自分だけは助かろう、
救われようと思い尽くす。
それが次第に弱気となり、
迷いとなり、
病となり、
狂に行き着く。
先は決まっているのに人は考えることをやめられない。
by. 桜井章一氏
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それが人間に与えられた弱さなのだろう。
感じるままに生きることに正当性があるのに。
ちょうどいいからとその便(大韓航空機撃墜事件)を選んでいれば、
俺と家族は大惨事に巻き込まれていたのだが、
どういうわけだが俺はその便を外して、
空港で数時間待たなければいけない別の便を選んでいた。
土産も充分買ったし、
気持ちの上では少しでも早く帰路につきたかったはずなのに、
俺は年寄りと子ども連れで疲れ切った神経のまま、
空港で数時間ゴロゴロしていた。
その時も考えることを捨て、
感じるままにしたことで、
自然に運がよい方向に俺たちを導いてくれたようだ。
by. 桜井章一氏
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