■ 図解 雀鬼流「運に選ばれる」法則76 ―運とツキに好かれる人になる -宝島社-
運命は無理に変えようとしなくてもいい。私は人生をシンプルな「円」としてとらえている。すべてのものは流れ、巡り、つながっている
かつて裏麻雀の世界で生きてきた私は、
ギリギリの戦いを続けるなかで自分の感じる力を磨いてきた。
感じる力を育み、
自ら動く人にしか運もツキも巡ってはこない。
考えるのではなく、感じ、動くこと。
そこからすべてが始まるのである。
by. 桜井章一氏
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「運」は人間と同じように、
ひとつとして同じものは存在しない。
「天運」は”天からの恵み”ともいえるもので、
どんな人にも平等に訪れる。
つまり自然の摂理に則った運が「天運」なのである。
近年、大干ばつや大洪水といった異常気象が世界各地で起こっているが、
これは「天運」が非常に荒れていることを意味している。
by. 桜井章一氏
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こういう時は「人運」などの他の運も「天運」に荒らされてることがあるので、
注意が必要だ。
「地運」はその字の示す通り、その土地、
その場所の運を表す。
「人運」には自分でつくり出していく「自力運(自運)」と、
他の人から運をもらう「他力運」がある。
一方の「自力運」は、
その人の努力やがんばりによって訪れるものである。
by. 桜井章一氏
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「時運」とは時の巡り合わせであり、
人と人が巡り合うのもこの「時運」が大きく関係している。
「勝負は時の運」などと言ったりもするが、
「時運」をつかむにはそのタイミングを合わせることがとても大切である。
もちろん、タイミングを合わせるには流れを感じる力を育むとともに、
あらゆる物事にタイミングを合わせる、
つまり間に合わせるようにしていかなければならない。
短気な「運」もあれば呑気な「運」もある。
by. 桜井章一氏
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じっとしている「運」もあれば、
せわしなく動き回る落ち着きのない「運」もある。
また「運」は刻々と姿形、スケール、
動きの振幅などを変えていくものである。
さっきまで「おっ、ツイているぞ」と思っていても、
変化してく「運」に対応しなければ、
「運」についていけないばかりか、
置いてきぼりをくらうことになる。
さまざまな種類が存在する「運」を感じるためには、
まず己の感性を磨かねばならない。
by. 桜井章一氏
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「運のある人」と「運のない人」の違いは、
その気配を感じるか、感じないか。
それだけの差なのだ。
寄せる波、引く波、満潮、干潮。
刻々と変わるその様子を見ていると、
「この世に変わらないものはないんだよ」
と海が教えてくれているようだ。
by. 桜井章一氏
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運命を自ら変えようとする人は、
この世のあらゆる物事は流れているということが分かっていない。
寄せては引く波のように、
この世のすべてのものは変化し、
流れ、刻々とその表情を変えている。
「この世の中に永遠に同じものなど何もない」
ということが分かっていれば、
曇り空など気にせず、
やがて訪れるであろう晴天を待つことができる。
そしてそれができる人は、
自分の運命が「変わっていく」
ものであることもきっと分かるはずだ。
by. 桜井章一氏
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変化に対応するということは、
流れを感じることであり、
変わりゆく運命を感じることである。
運命は無理に変えようとしなくてもいい。
けれども変わりゆく運命を感じることができれば、
その流れをいい方向へ持っていくことはできる。
「変化を感じ取り流れをつかむ」。
まずはそこから始めてみてはどうだろうか。
by. 桜井章一氏
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そう考えると人生には苦悩が付きものであるといえるかもしれないが、
幸い私は今まで生きてきた中であまり深刻に悩んだことはない。
それは人生をシンプルに考えているからだ。
過去から現在、
果ては死へと続く直線で人生をとらえてしまうとその度ごとに遭遇する喜びや悲しみが個別のものとなる。
本来は喜びも悲しみも、
人生に巡ってくるものすべてに連動性があり、
つながっているものなのだ。
by. 桜井章一氏
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私は人生をシンプルな「円」としてとらえている。
喜びの反対側に悲しみがあり、
優しさの反対側に怒りがある。
辛いことの反対側には楽しいことがあり、
虚しいことの反対側には充実感がある。
そんな風に、
あらゆる物事は円の上で向かい合っている。
by. 桜井章一氏
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そして、そのそれぞれは決して個別の存在ではなく、
すべてがつながり、連動しているのである。
人生を「線」ではなく、
「円」でとらえれば、
苦しみも悲しみも、
楽しさも喜びも同一の線上にあることが理解できるはずだ。
すべてのものは流れ、巡り、
つながっている。
人生が循環しているものだと分かれば、
人生というものをもっと気楽にとらえていくことができるはずだ。
by. 桜井章一氏
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「ツキ」も円の上をグルグルと回っている。
「ツキ」が自分に近いところにある時もあれば、
一番遠くに位置してしまっている時もある。
「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があるが、
ツイている時こそ自分を戒めることも大切なのである。
このように「ツキ」を円でとらえる感覚を持っていれば、
「ツキ」が再び巡ってきた時にもそれを自分のものにすることができる。
by. 桜井章一氏
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その流れをきちんと理解していれば、
さほど意識しなくても「ツキ」の流れに乗ることができるのだ。
順風の時より、
逆風のツイていない時こそ、
それをどうにかしてやろうと工夫ができて楽しいし、
喜びを感じるのだ。
しかし、人間の真の力が試されるのは「ツイていない時」なのだ。
「ツキ」だけを求めるのではなく、
「ツイていない時」をどう生きるか。
by. 桜井章一氏
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人間の強さはそんなところから育まれていくのではないだろうか。
運は目に見えない。
よって、運を呼び込むには運を感じる力が必要となる。
運を頭で考えてとらえようとしているから運を感じられない。
運を自らのもとへ招くには、
その流れを体全体で感じるしかないのだ。
by. 桜井章一氏
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