■究極の選択 -集英社-
今の社会の本流である「少しでも高く、少しでも大きく」という経済的思考から脱却し、「もっと低く、もっと小さく」というまったく正反対の仕事を探してみるといいかもしれない
ブラック企業で働き、
悩み苦しんでいる人がいたとするなら、
まずはそんなブラックなメンタルが自分の中にもあることを認識することから始めればいい。
ブラック企業を辞めたいが、
それほど悪くない給料を貰っていて生活のために辞められないというのであれば、
その生活を一度見直してみたらどうだろうか?
しかし、人が働きすぎによって死ぬ、
いわゆる”過労死”に至ってしまうのは、
体力的な問題よりも精神的な面での影響が大きいと私は思う。
だが、それはその人らしい生き方をせずに、
周りの評価や世間の価値観に力点を置きすぎたことにも大きな原因があると思う。
by. 桜井章一氏
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資本主義と呼ばれる経済社会では組織の下のほうにいる人間ほど、
「周りに迷惑をかけてはいけない」
「会社のためにしっかりやらないといけない」
と考え、
周囲に気を遣い、
神経をすり減らして生きている。
一方の上のほうの人間たちは傍若無人に振る舞い、
周囲に迷惑をかけてもまったくのお構いなし。
かつて、文明というものを手にする以前の人類は狩りをしたり、
植物を採取したりして命をつないでいた。
そのころの人類に
“仕事”という概念も、
“働く(労働)”という概念もなかったはずである。
by. 桜井章一氏
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彼らはただ、
生きるために生きていた。
だが、文明というものが生まれ、
人類は田畑を耕すようになり、
それまでの人類にはなかった”蓄える””貯める”という概念が発生した。
定住化、貯蓄、文明の利器の発達、
そういった諸々の条件が重なっていく中でさまざまな
“職業”が生まれ、
それまでの人類には無かった”仕事”、
そして”労働”という概念が生まれたのだ。
しかし、そこから長い時を経て、
“仕事”という概念、
さらには労働の対価である報酬(貨幣)などが登場し、
人々の生きる理由は「命をつなぐため」
だけでは無くなってしまった。
by. 桜井章一氏

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金欲、物欲、出世欲……。
現代社会には人間の本能からくる”欲”以外の、
さまざまな欲が渦巻いている。
これらの欲はすべて”仕事”
という概念が生まれた結果と言える。
そして過去から現在まで、
権力者たちは”労働力”
を確保するために
「努力することはいいことだ」
「努力してがんばれば願いごとはかない、成功する」
という価値観を社会に広め、
一般庶民を自分たちの考えに従わせてきた。
by. 桜井章一氏
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しかし、資本主義社会は権力者の意志や思いなどとは関係無く、
社会を支える価値観を空気のように自動的に広げていくシステムでもある。
すなわち、今や権力があろうとなかろうと、
この社会を動かす
「経済的な勝者になることが最善の生き方である」
という強い価値観に、
上にいる人間も下にいる人間も誰しも洗脳されてしまっているのだ。
だが、あなたが働いた分のほとんどの報酬は構造的に上に吸い取られている。
だから、多くの人が
「自分も権力を持てる人間になろう」
と上をめざして生きている。
by. 桜井章一氏
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だから多くの人たちがこの本流の流れに乗ろうと躍起になっている。
今の社会の流れは、
過去の権力者たちが下の人間を働かせるためにつくり出してきた、
ある意味まやかしに近いものである。
そして、その流れを支える「成功」や「幸福」
にまつわる価値観は無数の現代人の頭に深く刷り込まれている。
だが平成の今の世は、
インターネットなどの情報網の発達によって社会のさまざまなカラクリが白日の下にさらされ、
それがまやかしであることに多くの人が気づいてきている。
by. 桜井章一氏
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だから、今の時代に生きる人たちの多くが、
仕事に意味を見出せず、
やりがいを感じられないのは当然のことなのかもしれない。
人間にとっての”仕事”は、
やりがいなどを感じるものではなく、
ただ単に生きるため、
命をつなぐためだけのものであったはずだ。
やりがいや意味を求めてもそれがもし難しければ、
仕事は生活の糧を得るためのものと割り切ってプライベートで楽しむ人生を送ればいいと思う。
それでも「仕事にやりがいを感じたい」
という人がいるのであれば、
今の社会の本流である
「少しでも高く、少しでも大きく」
という経済的思考から脱却し、
「もっと低く、もっと小さく」
というまったく正反対の仕事を探してみるといいかもしれない。
by. 桜井章一氏
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でもそうではなくて、
街の商店街のお店とか、
あるいは従業員が二、三人しかいないような小さな町工場、
あるいは腕一本で勝負している職人さん、
そんな仕事をしてみれば、
大企業と違って自分の裁量でさまざまなことが決められ、
動かすことができる喜びややりがいがあるかもしれない。
彼らはお客さんが必要とするものを売ったり、
つくったりしているだけ。
大きな企業のように
「たくさんつくって、たくさん売る」
のは儲かるかもしれないが、
それではお客さんの取引相手と真の信頼関係は築けない。
損得勘定を抜きにしたこのような商売は現代社会では見向きもされないのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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でも、私はそういった仕事にこそ本当のやりがいがあるのだと思う。
洗脳のとば口で逡巡している人には、
その裏のシステム、
策略といったものを説明するなどして説得することはできる。
だが、洗脳が進行してしまい、
誤った考え方にどっぷりと浸かってしまっている人をそこから引きずり出すことは容易ではない。
なぜ、人は洗脳されてしまうのか?
by. 桜井章一氏
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それは誰の中にも
「よい人でありたい」
という”善人病”、
正しいことをしたいという
“正しい病”、
そして「自分をもっともっとよくしたい」
という”よくなりたい病”
があるからとも言える。
こういった人たちは、
よくなりたい病にかかっているから、
その「よくなりたい」という思いを突かれ、
もっと行き過ぎた方向に洗脳されてしまう可能性があるのだ。
「がんばって働くことはいいこと」
「上をめざして努力することはいいこと」
「会社のために尽くすのは立派なこと」、
そんな固定観念に取り付かれているのだ。
周りの人が
「あの人はやめておいたほうがいいよ」
と言っても、
恋愛にどっぷり浸かってしまっている人は聞く耳を持ってくれない。
by. 桜井章一氏
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洗脳状態にある人は、
それを止められそうになると、
反発と怒りから一層洗脳されているものにのめり込むことがある。
だから私たちが洗脳を解こうと説得する際には、
その度合いをより深めてしまわないように注意する必要がある。
相手の警戒心が強いときは、
あまり強く説得しないほうがいいだろう。
私のように
「何かを指導する立場にある人」は、
指導している人たちを”洗脳”
しないように気をつけなければいけない。
by. 桜井章一氏
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私は「いいところ」
ばかりを道場生たちに見せたりせず、
ことあるごとに、
自分のダメなところを見せたり、
バカを言ったりした、
調整するようにしている。
読者のみなさんが
「私に救われた」
と思うのは大きな勘違いである。
救ったのは私ではなく、
本を読んだ読者自身であり、
私はその手助けをちょっとしただけに過ぎない。
洗脳されないように。
そして洗脳しないように。
by. 桜井章一氏
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その両方のとば口に現代人はいつも立っている。
ちょっとした弾みでその中へ無意識に入ってしまう危険は常にあるのだ。
日本人は自分の個性、
考え方より、
周囲との協調を重んじるところがある。
これは日本独特の”和”
として誇るべき文化なのかもしれないが、
それがあまりにも行き過ぎると、
企業ぐるみの不祥事を起こしたり、
先の大戦のように国が誤った方向に進んだりすることにもなりかねない。
by. 桜井章一氏
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自分という存在を確認し、
そこに”軸”をしっかりと持つ。
軸さえしっかりしていれば、
どんな流れに巻き込まれても自分という存在を見失うことはない。
あの軸(コマの軸)が少しでもズレていればコマはうまく回ることができないのと同じように、
人の”軸”もしっかりしていなければ存在が揺れやすくなり、
安定した自立を保つことができない。
つまり、自分という存在を社会の中でしっかりと確立したのであれば、
まずはその基盤となる”軸”をしっかりと持つべきなのだ。
by. 桜井章一氏
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