■究極の選択 -集英社-
「多」と共生することはしなやかな強さを生み出す。「はかない命」に思いを馳せることのできる情緒を育むべきだと私は思う
差別意識が強い人は結局のところ自分に自信が無いゆえに不安が強く、
自己肯定感も低いのだろう。
生物というものは本来多様性に富んだものである。
人間の体だって目に見えない一〇〇兆個という数の細菌と共生しているからこそ、
生命のバランスを保てているのだ。
「多」と共生することはしなやかな強さを生み出す。
by. 桜井章一氏
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一方で「単一」をめざすことは純粋で一見強いようだが、
ひどく脆いものだ。
国というのはそれと同じで、
たとえば移民を排斥する動きが強まっているアメリカは明らかに国として硬直化現象を起こしている。
差別の問題も、
ひとりひとりの差を多様な個性として認め合うことがそれをなくす第一歩だが、
人間の頭は往々にして狭量で不自由であり、
こういう多様性なら認めるけど、
あんな多様性は認められないということがしばしば起こる。
もし、この道場生たちがふだん別の場所でお互いに会っていれば、
こいつはダメな奴だと思って相手にしなかったり、
邪険な態度をとったりするかもしれないが、
そんな意識をひっくり返す関係性の結び方というものが実はあるんだということを彼らは教えてくれる。
by. 桜井章一氏
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人を傷つけてはいけない。
ましてや命をとってはいけない。
そんな当たり前のことに理由はいらないし、
そもそもそういったことを疑問に思うこと自体が間違っていると思う。
「人を殺してはいけない」ことなど、
本來は自ら生きていく中で直感的に体のレベルでわかっていないといけないことだ。
人として「他人の命を傷つけてはいけない」
のは当然のことだが、
この当然のことにしてみても、
その枠をちょっと広げただけで解釈の仕方は変わってくる。
by. 桜井章一氏

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「一人を殺せば殺人者だが、
一〇〇万人を殺せば英雄」
という言葉があるように、
人類は過去、
幾多の争いの中で大量殺りくを繰り返してきた。
戦争となったとき、
敵を殺すのは”正義”である。
戦争は人を狂わせる。
そこには通常社会の倫理も道徳も通用しない。
「人を殺すための兵器を、最新の科学技術を用いてつくっている」
by. 桜井章一氏
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この事実を前にして、
「人を殺してはいけない」
という当たり前の倫理道徳観はまったく意味を成さない。
本当は、虫だって簡単に殺していいような命ではないと思う。
人は殺してはいけないのに、
虫は殺し放題。
よく病原菌を運んでくるから害虫だというイメージがあるが、
専門家によればこの清潔志向が強まった日本の社会において人間の健康に害を与えるような病原菌を彼ら(ハエやゴキブリ)は持っていないという。
by. 桜井章一氏
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その虫(ガガンボ)が飛ぶのを見ながら、
私は「この虫の寿命もきっと短いんだろうな」と、
虫の命のはかなさを思っていた。
すると、ガガンボが部屋のカーテンにまとわりついていた綿クズに脚を取られ、
飛べなくなってもがいている。
「綿クズひとつで失われる命もあるんだ」
私は命のはかなさを改めて思い知らされた。
虫のはかない命を思う。
by. 桜井章一氏
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これは道徳や倫理といったものではなく、
人としてそういう気持ちがすっと起こるかどうかの問題である。
人間だけが生き残っていけばいいという傲慢なやり方を続けていれば、
環境破壊などによる地球の温暖化、
人口増加による食料不足などが進行し、
そのうち人間自身がこの地球上で生きられなくなるのは間違いない。
「人を殺してはいけない」
などと当たり前のことを言う前に、
「はかない命」に思いを馳せることのできる情緒を育むべきだと私は思う。
情緒を育てれば「人を傷つける」
というような感情も発想もまず出てこない。
by. 桜井章一氏
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テレビや本などから情緒を学べることもあるかもしれないが、
本当の情緒は目の前の自然と触れ合うことから生まれ、
育まれていく。
たとえば、宵の口の空に浮かぶ月を見る。
三日月だったり、
満月だったり、
雲にちょっと隠れていたり。
そんな付きの表情の違いを楽しみながら
「わび・さび」を感じるのである。
by. 桜井章一氏
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道端に咲く、
雑草の花に気づく人は少ない。
しかし、風雨にさらされながら、
土もない、
アスファルトの隙間に芽吹くその小さな命に、
私ははかなさと、
自然の真の美しさを感じる。
雑草は誰かにつくられたものではなく、
自然の力によって生まれたものだ。
雑草は誰にも相手にされない、
弱く、小さな存在だ。
by. 桜井章一氏
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そんな情感を持っていれば、
命というものに対する繊細な感受性が育っていくと思う。
かつて、江戸時代にはかたき討ちが慣習として認められていたというが
(赤穂浪士の話などがその最たる例であろう)、
当時は上の立場にある人を敬う、
大切にするという儒教からくる教えが日本にも広まっていたこともあって、
「上の立場にある人」
が何か被害を受けたときに、
下の者たちが「かたき討ち」
の行動を起こしたケースがけっこう多かったのではないだろうか。
人を殺すとは、
命を相手から盗んでいることである。
だから、命を奪ったものはそれと引き換えに自分の命を差し出すべきではないか。
by. 桜井章一氏
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命を取るものは、
少なくともそのような覚悟があってしかるべきだし、
たとえ覚悟など無くても自分の命が取られることに文句を言う資格は本来無いはずだ。
死刑制度とは個人の代理人として国が復讐をする仕組みである。
そもそも復讐とはおそらく本能のレベルで息づいている感覚なのかもしれない。
恨みや妬みのような負の感情を人間は元々持っている。
by. 桜井章一氏
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復讐心という”怨念”、
この負の感情の連鎖には終わりがない。
人間の欲望には限りが無いように、
負の感情にも限りが無いのだ。
復讐心と暴力に満ちた社会にあるのは
“恐怖”だけ。
個人的な復讐が制度として認められると、
このような弊害が間違いなく生まれる。
by. 桜井章一氏
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いじめに遭い、
学校に行きたくないなら学校になど行かなければいい。
人には自分が
「居られる場所」が必要だ。
親がわかってくれないなら、
最近はいじめの相談に二四時間対応してくれる文部科学省の
「24時間子どもSOSダイヤル」
などもあるので、
そういったものを利用してみてもいいと思う。
とにかく、死ぬくらいなら、
他の道に進めばいい。
by. 桜井章一氏
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これは逃げではなく、
「Aか、Bか」
といった選択の問題である。
「Aという道が死ぬほどいやなんです」
という人は、
ならばBなり、
Cなりの道を探してそっちに進めばいいだけなのに、
それができない。
そのような逃げ方ができないのは、
どこかで
「学校に行くのは当たり前。
学校に行かないのはダメ人間だ」
という常識に洗脳されてしまっているからだ。
だから、周りも本人も、
そんな常識は社会が勝手に決めたことであって、
たいして価値があるものではないと考えるべきだろう。
by. 桜井章一氏
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