正直であろうとすると、過大評価や過小評価をしてしまう余計な振れ幅に気付く

■見えない道の歩き方 -竹書房-

「悩む」ということは、
必ずなにかその元となる根本的な障害があるはずなのです。

樫の木には樫の実がなり、
イチョウの木にはには銀杏がなる。

決して樫の木に銀杏はならないのです。

自分は樫の木なのに銀杏がならないといって落ち込んだり、
相手はイチョウの木なのに樫の実がならないといって腹を立ててもしょうがありません。

しかし人は悩んだとき、
安易に解決しようとする。

それで、表面的に起きた問題や悩みだけを単体でとらえて、
ああでもない、こうでもないと解決策を考えるのですが、
それでは解決するはずもないのです。

たとえば人間関係の悩みにおいて「根本的」な解決法とは、
そもそも「人間関係とはなんだろうか?」という問いに対する答えを知ることです。


by. 桜井章一氏

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人間というのは元を考えれば誰しもが未熟者同士なのです。
未熟者同士が集まってなにかをやれば、
未熟なことが起こるに決っている。

つまり、最初から人間関係とは未熟なものだし、
理想的な人間関係なんてないわけです。

それをあると思うから、
「なんでこんなことになるんだろう」と腹も立つし悩みにもなる。

少しずつ力を出し合って事態が良くなっても、
気を抜いたり、安心したり、
それでいいやと思っているとまた関係はバラバラになってくる。

人間はいつまでたっても100%完璧な状態にはならない
という前提で付き合うべきなのです。


by. 桜井章一氏

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人間関係の悩みを本当に解決したければ、
他人に過剰に期待するのは止めて、
まず自分自身が思いやりを持って相手に当たることです。

その結果、上手く解決することもあれば解決しないこともあるでしょう。
でもそれでいいのです。

ちょっとずつでも歩み寄って努力したという経験こそが、
明日に繋がる財産となるのですから。


by. 桜井章一氏

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素直、自然が一番です。


by. 桜井章一氏

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悪い状態のものがいい方に動いた時に「感動」が起こるのです。

涙は単なる感情以上に、
「エネルギーの端くれ」であったり
「何かが生まれるところ」であると言えるかもしれない。

生きている我々はそういう感情をしっかりとらえていかないといけないのです。


by. 桜井章一氏

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■シーソーの「真ん中」に立つ方法 -竹書房- 自分の中の子どもがいつも見ていると思えば、 なるべくズルいことをしないよう...

目標も西へ行ったり東へ行ったり、
自分を中心軸にして、
放射線状にたくさん持っていたほうがいい。

そして目標は自分の前に置くのではなく、
横に置くことが肝心です。

両脇に目標があれば、
いつも目標と一緒にいることになりますから、
常に目標の中で生きていることになります。

必要以上に重荷になることもないし、
とらわれすぎることもない。


by. 桜井章一氏

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自分が持っている「価値観」は、
本当に自分で選んだものでしょうか?

一度そのことを疑ってみたほうがいい。

私たちは生まれたこの瞬間から、
生まれ落ちた国や民族の中で決められた都合に沿って生きています。

全世界的に揺るぎないものは、
そう多くあるものではないのです。

つまり、我々は知らず知らずのうちに決められた価値観を植えつけられていて、
それに影響されて生きているということです。


by. 桜井章一氏

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ではその自分にとっての「正」はなんなのか。

それが分かるためには植えつけられた「価値観」ではなく、
「自分の価値観」をしっかりと考えることがとても大事なのです。

世間が作り上げてきた「正」とか「常識」という価値観に、
まず疑問を持ってみる。

そして、自分なりに探ってみる。
すると、「おいおい、変だぞ」という「常識」や「正」が出てくることもあるでしょう。

しかし「自分の価値観」が分かったところで、
その「正否」を間違えずに行動していくことは、
とても難しいことです。


by. 桜井章一氏

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しっかりと自分を知った上で、
それでも常に自分の「価値観」なんてそんなもんだと疑っていく、
これで「間違いない!」と思い込むのではなく
「自分の都合で行っていないかな?」と問いかけることです。

間違えないために、
一番気をつけなくてはいけないことです。


by. 桜井章一氏

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■人を見抜く技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」~ -講談社+α新書- 視野を広げるトレーニングがもたらす...

一方で壁は悪いものではなくて、
自分を守ってくれるものでもあるという考え方もできます。

壁があるから暴風や寒さが凌げることもある。

乗り越えた先にはもっと過酷な状況が待っていることもあるのです。

しかしそれでも壁の向こうへ行きたければ乗り越えて行けばいいし、
もう少し力を蓄えようと思えば留まればいい。

どちらもやり方の一つです。

こういう解決の方法を持っていれば、
壁もまた面白いものです。

そう思えばむやみに恐れることなく、
楽しみながら壁と付き合っていけるでしょう。


by. 桜井章一氏

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多くの悩みは、
「等身大の自分」というものを見誤ることから始まります。

だから、”等身大の自分”や”等身大の感覚”というものを
いつも的確に把握して持っておくことが大事なのですが、
しかしこれはなかなか難しい。

なぜなら人間には「欲」があるからです。

等身大の自分は一体どのくらいのものなのか、
どのくらいの価値があるものなのか。

その価値は他人が決める「他力の目」と、
自分で推し量る「自力の目」という視点があって、
二つのバランスで決められるものです。

しかし、どうしても自分の価値は少し多めに見積もりたいという欲があって、
目を曇らせるのです。


by. 桜井章一氏

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ではどうすればいいかというと、
簡単に言えば「極力正直でいたい、素直でいたい」
という気持ちを強く持つことです。

正直であろうとすると、
過大評価や過小評価をしてしまう余計な振れ幅に気付くでしょう。

そのときに目をつぶらないで、
ハッキリと見つめることです。

するとごまかしたところから、
自分のどこを過大評価したがっているのかが分かるはずです。

あるいは過小評価してしまっているところも。
それこそが自分が抱えている問題点でもある。

その問題を見つめ、
受け入れるところから、
新しい自分が始まるのです。


by. 桜井章一氏

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人間とは勝手なもので、
感謝心という結びつきがあって、
初めて向こう側に「血」を感じるものです。

親に対する感謝とは、
育ててくれたとか、
学校に行かせてもらったとか、
面倒を看てもらったとか、
そういうことではない。

自分の中に「俺も親から得たこんないいところがある」と感じる、
そういう「血」の部分ではないでしょうか。


by. 桜井章一氏

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しかし「血」というものは、
良いところだけが受け継がれるものではなく、
当然悪いところも全部入って来ているはずです。

だからこそ「血」を、
自分で洗い流さなきゃいけない。

「血」を洗い流すことはあらゆる人にとって、
人生の課題の一つでしょう。


by. 桜井章一氏

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■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫- 信念もあまりいいことではないと思います。 本当に不変なのは、 絶え間なく...

洗うことぐらいそう難しいことではありません。
ただ、洗ってもすぐまた汚れる。

人間の体と一緒で一度洗ったら終わりではないのです。

汚れては洗い、汚れては洗うという作業を繰り返すのです。

いろんな人と知り合う中で自分を見つめ直して「洗って」いくと、
結局は自分だけで洗っているのではなく、
人の力で「洗ってもらっている」ことに気付くでしょう。

つまり、汚れた人を見て初めて自分の汚れに気付くのです。

それでも洗い流し続けていくのが、
宿命の一つなのでしょう。


by. 桜井章一氏

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仲間というのは「輪っか」です。
仲間は「円」であり、
そして「縁」でもある。

1万円札はいつも万能な働きをするわけではないのです。

1万円札があったり、
5千円札があったり、
百円玉があったり、
5円玉があったりしながら仲間を作っていくと「ちょうど」になるのです。

ぴったり支払いができるわけだから「ちょうど」で済む。
そういう感覚を持っていると1円玉の意義が分かると思う。

1円玉があるからこそ1万円があるんだなということも分かるわけです。
1円玉と1万円札が別々にあったらまったく違う感覚があるけど、
一緒にすると平らに感じる。

さまざまな人間が一緒になることで円になり平らになり、
だからこそやっていけることもあるのです。


by. 桜井章一氏

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何事も「捨てちゃいけないもの」というのがあるはずです。

男で生まれたのだから、
男として生きる上で捨ててはいけないものと、
何かを得るためには、
自分のを捨ててまでも手に入れたいものがある。

なにを捨てて、なにを捨てないか。
それは生き様であり、
生きる指針に関わってくる大事なことです。


by. 桜井章一氏

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好きなことだけやって学びを深くする
「好きこそものの上手なれ」というやり方もあるでしょう。

もちろん好きだからこそ伸びていくことは大いにある。
そのことに専念すれば上達は早いかもしれないけど、
しかしそれだけだとどこかに「とらわれ」ができてしまうのもまた事実です。

俺は「とらわれない」ためにも、
あえて真逆のところへ行ってみる。

しかし真逆に染まるわけではなくて、
ちらっとそこに存在を置いて自分のことを振り返るのです。

そしてまた本流に戻ると「やっぱりこっちだな」という確信や
「ここはこうしたほうがいい」という学びが見える。

俺はそうやって自らの方向を修正しながら進んでいるのです。


by. 桜井章一氏

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