■見えない道の歩き方 -竹書房-
人は誰でも善と悪を持っています。
「善悪」といっても「善悪を分別している」という意味ではなく、
コインの裏表の話と同様に、
人というものは善と悪と、
どちらも持っているということです。
人生が「善の体験」ばかりでは分からないことがあるという意味でも、
「悪の体験」が悪いことばかりとは思いません。
「悪の体験」にも、
それを通してなにを受け取るかという質の問題があると思います。
by. 桜井章一氏
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できる者とできない者の相互関係の中で、
初めて「教え」というものがある。
その関係性の中で、
それぞれの立場から「教える喜び」「教えられる楽しみ」、
もしくは「伝える喜び」「伝えられる楽しみ」を感じて、
その喜びが二つ重なり合うのが、
一番いい形ではないでしょうか。
こうした「教える」「教えられる」の関係に限らず、
どんな関係でも基本は五分と五分だと思います。
by. 桜井章一氏
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「感謝」の気持ちがあれば、
人はみんな五分と五分の関係になるのです。
言い方を変えれば「持ちつ持たれつ」でもいいかもしれない。
これはあらゆる場面に当てはめて考えられることではないでしょうか。
立場の違うもの同士、
お互いに感謝し合える関係を築くことが大切なのです。
by. 桜井章一氏
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ちょっと逆説的ですが、
精神の活動が極まったとき、
「精神が無意識になって体が自然に動いている」という状態になることがあります。
あるいは、
考えることを止めて体そのもので対象や周囲を「感じる」とき、
精神は無になっている。
無の意識になれば、
自然に体は動きます。
それこそがまさに精神と肉体が一致している状態なのです。
by. 桜井章一氏
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親が子どもを「育てて」いるのではない。
人間は子どもであろうが、
自分で自分自身を育てて成長していくものなのです。
子どもが育とうとするのは「本能」なのです。
「育つ」ということは体の成長だけではなくて、
「学ぶ」ということにも繋がっていく。
by. 桜井章一氏
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本当に親が子どもを育てようと思ったら、
「育てよう」と意識するのではなく、
大人が自分自身を正しく磨いて、
粋な大人の見本になることです。
こういうときはどう決断して、
どう立ち振る舞うのか。
親が背中で教えていくことこそが教育なのです。
そういう日々の積み重ねが、
子どもを育てることになる。
親である自分自身が子どもなのに「育てよう」なんて
はなはだおこがましい話です。
by. 桜井章一氏
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人に何かを教えるということは、
「焼け石に水を撒く」ようなものです。
焼け石に何度水をかけてもすぐに乾燥します。
しかし「また乾くだろうな」ということを知った上で、
水をかけてあげるのが「教え」というものなのです。
by. 桜井章一氏
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そこで「きっといつかこの子も、濡れたままの石になるだろう」
なんていうふうには考えない。
焼け石が水の冷たさを感じるのは
瞬間だけなのですから期待してはいけない。
だから教える側、
水をかける側というのは半端じゃない苦労をします。
何度も何度も水をかけるその繰り返しの行為は、
本当に無駄なことのように思うでしょう。
水なんか撒いたってまた乾くんだから、
と空しくなるかもしれない。
しかしそれは違うのです。
焼け石が瞬間的に水の冷たさを感じて
「ああ、こういう感覚もあるんだ」と知ったり、
「水かけられるのって気持ちいいなあ」という感覚を知るだけで、
もうその子は「教わった」ことになる。
その後で乾いてしまっても、
そこには意味があるのです。
by. 桜井章一氏
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「焼け石」を作っているのは、
若い自分の育た環境、与えられた環境、
あるいはそのときに持ってしまった自分の感性だとか、
さまざまな要因があるでしょう。
長年堆積されて作られた地盤は、
よっぽどのことじゃないと変わらない。
一度は変わったように見えても、
重力のように引っ張られてしまって元に戻ってしまうのです。
by. 桜井章一氏
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優しさとか思いやりというのはそういうものであって、
自然と動いてしまうものです。
それを「善いことをした」と思うのも違うし、
そう受け取るのも違うと思う。
by. 桜井章一氏
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「時間」というのは、
その時時によって全く違う長さになるものです。
だから時間をどうとらえるかで、
人生は大きく変わります。
たとえばなにか作業をするときに60秒かかるとします。
しかし自分の中で時間の目盛りを変えて「30秒しかない」というつもりでやると、
最初から必死でやるし、
結果30秒早く住めば時間の余裕が生まれる。
その余裕が心の余裕に繋がる。
by. 桜井章一氏
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なにか嫌なことがあるときは、
とっとと早く片付けることです。
そうすると最小限の「とらわれ」ですむのです。
焦りだすと、
余裕を失い始める。
そうすると自分のことばかりに気をとられた人間になってくる。
by. 桜井章一氏
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私は「瞬間は愛」と思っていますが、
「瞬間は愛」という感覚はある意味、
時の「とらわれ」を超越することになる。
瞬間的にやってしまうということは、
頭で「この人には愛情を感じるから」と思ってやるのではなく、
また道徳的に考えて「こうするのが思いやりだ」と思ってやるのでもなく、
なにより体が先にフッと動いてしまう行為です。
つまりそこに理屈を超えた「愛」がある。
by. 桜井章一氏
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生命は連続性と、
そこから広がる循環で成り立っています。
連続して命が繋がっているから、
俺たちは今ここに生きている。
これはすごいことです。
「自分の才能を見つけよう」「なんのために生きているか考えよう」と言われると、
なんのために自分が生きているのか分からなくなってしまうこともあると思います。
しかし連続して生きていること自体が才能であるということを
忘れないで欲しいと思います。
そして命を循環させていくにはどうすればいいか、
ということを考えて行動することです。
それが「生きる」という才能にほかならないのですから。
by. 桜井章一氏
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エネルギーは出し惜しみしないで、
自分が「今、動きたい」と思ったら、
素直に従ったほうがいい。
別に「いつも100%の全力投球でいけ」という感覚ではなくて、
自分が動きたいと思ったことに従って素直にやっているだけのことです。
エネルギーは素直に出せば出すほど、
また新しいものが入ってきて「循環」するもので、
「温存」するものではありません。
by. 桜井章一氏
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自分のエネルギーをコントロールするということは、
自分自身の素材を素直に出せずに、
偽るところから始まるからです。
「世間とうまくやる」ために自分をコントロールして
プラスの部分しか見せないでいると、
やがて破綻が来る。
by. 桜井章一氏
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肝心なのはマイナス面もプラス面も全部ひっくるめて出すことです。
そして極力、
自分の中に持っている素材をいい形にするために、
ちょっとでもプラス面の割合を多くしておく。
そうするとマイナスはちゃんと存在しながらも、
全体で見れば認められる人間でいられる。
そう思えば自分自身も素直に自然で生きられる。
人はそういう生き様をしていったほうがいいのです。
by. 桜井章一氏
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もう一つとても大事なことは、
生身の「世間」と付き合うことです。
インターネットや掲示版といった「世間」は生身ではない。
相手は人間ではあるけど、
決して生身ではないのです。
そんな世界で、
「生き様」も「自然」も「エネルギー」もあったもんじゃありません。
生身の人間関係のほうがよっぽど面倒くさくて大変でしょうが、
そういう現実の中で鍛えていくしかないのです。
by. 桜井章一氏
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