「運命」とは「宿命」以外の不確定要素全てのこと。運命はあくまで自由です

■見えない道の歩き方 -竹書房-

この世の中のすべてのものは、
連動して影響し合って生きています。

その結果、状況は変わり続けている。

弱く風が吹けば波は穏やかだし、
強く風が吹けば波が荒れるという、
自然の摂理です。

すべてのことはそうやって連動しているのであって、
必ずなにかの影響で起きているということを考えないといけない。

つまり自分も誰かになにがしかの影響を与えられ、
そして与えているということです。


by. 桜井章一氏

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この「すべてが繋がって連鎖している」という感覚が分かっていないと、
良くない方向に行ってしまいます。

「自分なんかどうでもいいんだ」という考え方の元になってしまう。

影響を受け合って生きていることが分かると、
感謝する気持ちが芽生える。

俺もふと「思い通りにいかないな」と思うことがありますが、
そういうときは「アイツはどうなんだよ」と考えていく。

そうすると俺よりも大きな問題を抱えた人はいっぱいいる。
結果、不満だったことがたいしたことじゃないと思えてくるのです。

また感謝だけではなくて、
「他人」という感覚が入ることにいよって「自分」だけではなくて、
相対感が得られる。

それによって「自分」もいれば「他人」もいるという、
感覚のバランスが出てくるはずです。

影響し合って生きていること、
そのことによって人も変わり続けること。

そのことを恐れないで受け入れていけば、
「自分」というものは良い方向へ広がっていくはずです。


by. 桜井章一氏

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人間関係において、
人が一番に求めているものは「安全」だと思います。

人間関係というものは、
継続的に、かつ積極的に、
お互いがギブしていこうという気持ちを保たないと続かないものです。


by. 桜井章一氏

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人はすぐに計算をしてしまう。

計算するということがいけないのではなくて、
計算優先の感覚が問題なのです。

計算なんか後ですればいい。

席に計算ありきでは、
その計算力ゆえに他にある大切なもの……

人間同士の心の付き合いとか、
損得抜きの素直な感情とか、
そういったものまでもなくしてしまいます。


by. 桜井章一氏

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どうせこの世に生まれ落ちたら危険は付き物です。

母親のお腹を出た瞬間から、
嫌でも危険と付き合っていかねばならない。

だったら「安全」ばかりを求めているよりも、
危険すらも自分の力で「安全」に収められるような人間を目指したほうがいい。

危ないことでも、
どうにかして解決していけば、
必ず自分の中になにかが生まれます。

それは「安定」ばかり求める人生では、
決して得ることのできないものです。

「安全」ばかり求めると、
心は不安になるもの。

むしろ、今の時代は「危険を楽しむ」くらいの心構えでいたほうが、
平常心を保てるような気がします。


by. 桜井章一氏

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■生き残るヤツの頭の働かせ方 ~20年間無敗の雀鬼が明かした本質洞察力~ -アスコム- 知識を否定しろということではない。...

実際「現場」は大事です。

よく「現場百回」と言いますが、
何度も現場に脚を運ぶことで、
今まで気付かなかったことが、
なにかのきっかけで見えてくることもある。

現場にいない人にはわからないことがたくさんあるのです。

現場で体験してないと、
妄想や想像といった方向にだけ膨らんでおかしくなる。

なんにしても現場で体験する「現場感覚」がないと、
ズレてしまうのです。


by. 桜井章一氏

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家庭は常に修理、修繕が必要な、
ある意味仕事以上に安泰のない現場かもしれません。

だから現場にいないことには、
荒れてしまう。

荒れないように手入れをしつつ、
仕事も糧も一生現場に立って、
現場感覚で動くことが大切なのです。


by. 桜井章一氏

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「宿命」は生まれながらに体に備わっている、
もう変えようのないもののこと。

性別だとか、親、または生まれ持った体質など、
どんなにそれが気に入らなくても
自分の力ではどうしようもないもののことです。

しかし、だからこそ「宿命」は気にしてもしょうがない。
それが「自分の宿命」と受け入れることです。


by. 桜井章一氏

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一方、「運命」はいくらでも変わります。

「運命」とは「宿命」以外の不確定要素すべてのことです。

振り返れば自分の「運命」という名の道ができている。
だからこそ「運命」には責任があるのです。


by. 桜井章一氏

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「運命」は自然の如きものです。

良くも悪くもいろいろなことが重なって変わるのですから、
「運命」はあくまで自由です。

1 + 1 =2 になり 2 + 2 = 4 である、
これが「宿命」です。

1 + 1 が 3 になったり、
2 + 2 が 1 になる、
そんな感覚が「運命」かも知れません。


by. 桜井章一氏

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■突破力 -講談社- 計算というのは、 数字が大きくなればなるほど狂ってくるものです。 政治や経済の上のほうで悪いこと...

そしてもう一つ、
人間には宿命の中に「質」というものを抱えています。

しかし自分の「質」を把握して、
どう伸ばすかは「運命の領域」になります。

自分の資質が合っている方向へ徹底的に伸ばすのか、
伸ばさないで頬っておくのか……

それは自由な「運命」の選択です。

「宿命」と「運命」というのは根本的に違うものですが、
この二つは螺旋のように絡まり合っているものです。

二つの要素が行ったり来たりするのが「宿命」と「運命」の関係なのです。


by. 桜井章一氏

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男と女は決して同じ人間ではありません。

同じ人間じゃないのに「人間はみな同じだ」
という教え方をするからいけない。

それは不自然な考え方です。

人というのは一人一人が違います。
そのことを知るためにも、
「男女」そいう大きな違いがあるのです。

この男女の差は必然的な役割の違いからきている。
その差を考えて生かし合い、
尊重して生活していくのが自然というものです。


by. 桜井章一氏

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それぞれが持つ特性を活かして付き合っていくこと。
それが個性を生かし合うことになる。

なんでもかんでも「平等」がいいわけではありません。

一人一人違う人間だからこそ面白いし、
学びがあるのです。


by. 桜井章一氏

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俺にはかけられた期待の量があるとすれば、
俺はその量よりも少しでも上回って返してやろうという思いがあります。

その根底には、
やっぱり「俺に頼んでくれた以上は、より多く喜んでもらいたい」
という思いがあるからでしょう。

「頼まれる」ということが、
どこかで自分にとって喜びなのです。

だからこそ多く返したい。


by. 桜井章一氏

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この荒んだ世界でもそんないい循環は作れます。

しかしそのためには人を好きになること。
いや、それ以前にまず自分を好きになることです。

自分で自分を嫌な野郎だと思っているやつが、
人を愛する余裕なんかあるわけがない。

愛を振りかざすつもりはありませんが、
これは間違いのないことです。

是非自分を愛して欲しいと思います。


by. 桜井章一氏

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便利になるということは必然的に「弱くなる」ということです。
弱くなってもやっていける社会がすでにできあがっている。

「止まる」ことはよくないけど、
「休む」ことはときには必要です。

タイミングを見て、
背中を押すような言葉を掛けてやると聴く耳を持つものです。

手間はかかりますが、
強さを押し付けるだけではなくて、
見守っている人がいることを知らせて、
ただ待ってあげるということも大事なことです。


by. 桜井章一氏

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■突破力 -講談社- いずれにしろ、そこで大事なことは、 壁を目の前にしたときに 「折れない心」を失わないことである。 ...

俺は仕事でもなんでも、
楽しくないとやる気がしません。

だからたいていのことは自分で楽しめるように面白くしてしまう。
遊び心がないとつまらないのです。

だから「仕事は仕事」とか「遊びは遊び」という感覚はあまりなくて、
自分の中で楽しいかつまらないかという、
その色分けしかないのです。

もっとも、「楽しくない苦手なこともあえてやってみる」
こともときには必要だと思います。


by. 桜井章一氏

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自由でいるということは、
ものすごく厳しいことです。

おのずとして楽なほうへは行けなくなる。

しかし、逆説的ですが、
俺にとってはその厳しい状態が楽しいのです。


by. 桜井章一氏

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残念ながら人間はみな平等ではありません。

しかし人は違うからこそ、
「平等にしよう」とか「公平にしよう」と思う気持ちが必要になる。

考えが公平になってくると、
どうしても弱い人に目がいくようになります。

すると穴を埋めてあげたくなる。

それは「譲ってあげる」ことや「分けてあげる」こと、
もしくは「認めてあげる」ことでしょう。

1しかできない子が3まで頑張ればすごく褒める努力だし、
5できる子は7を目指してやればいい。

そこで7できる人が3できた人をバカにしてはいけません。
努力の分量は一緒なのです。


by. 桜井章一氏

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やれることが増えれば喜びが増える。
なにか自分の中に新しい発見もあるかもしれません。

しかし手にしたものが増えたら、
ときには減らすことも大事です。

両手がふさがっていては、
新しいものを手にすることはできませんから。


by. 桜井章一氏

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身体的にも精神的にも、
なにかが終われば新しく生まれていくものがあって、
それを繰り返して私たちは生きているのです。

だから俺の中では何事も「終わり」という感覚がありません。

たとえば俺が死んだとしても、
それは「終わり」ではなく「始まり」なのです。

俺が死んだことによって、
新たな環境の中でなにかが始まっていく。

そうやっていつもなにかが始まっているような気がするのです。


by. 桜井章一氏

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