不合理なものに遊びや余裕を見いだす。彼らが従っているのは、自然の摂理だけである。集中は継続させていく感覚ではなく、むしろ一瞬、一瞬を積み重ねていくという感覚を持ったほうがいい

■「人生を変えるシンプル思考」77 ~”20年間無敗の雀鬼”が明かす77の思考~ -宝島社-

不合理なものに遊びや余裕を見いだす。彼らが従っているのは、自然の摂理だけである。集中は継続させていく感覚ではなく、むしろ一瞬、一瞬を積み重ねていくという感覚を持ったほうがいい

麻雀は合理的に思考するほど有利になるゲームではない。

どんな牌が最初配られるかということからして、
不合理な運のようなものが支配している。

しかも、その運の流れは一瞬、一瞬で目まぐるしく変わっていく。

瞬間的な読みや直観を混ぜながら、
形勢が優利になったり劣勢になったりし、
最後に勝敗がきまる。


by. 桜井章一氏

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人生もそれと似たようなところがある。

ところが、経済的な価値観を至上のものとするこの社会で生きていると、
どうしても発想が計算ずくで合理的なものになっていく。

人は何をすれば得か、
何をすれば損か、
できるだけ得をしようと計算的な思考を習慣にするのである。

問題は合理的な思考や発想がふだんの生活や人間関係にまで与える影響である。


by. 桜井章一氏

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私は人が人らしく楽しく生きるには
「遊び」の感覚がとても大切だと思っているが、
この「遊び」こそ、
不合理な精神から生まれるものである。

合理主義に染まった生き方をしている人は、
生き方にしなやかさがなくなり、
伸びしろが短くなる。

不合理なものに遊びや余裕を見いだす。

そんな感覚を磨いている人は生き方にしなやかなバネのようなものがあり、
人間関係も自分の可能性を広げてくれる豊かなものになるのである。


by. 桜井章一氏

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しかし、私は「深い人間」より、
「浅い人間」になったほうがいいと思っている。

私のいう「浅い人」は、
世間一般のイメージとは反対に目に見えないしっかりとした根っこを持っている人のことをさしている。

考えを重ねるのでなく、
むしろ、ふと思ったり、
何かを射抜こうとする感覚から言葉が出てくるのだ。

前にも述べたが、
考えを重ねると思いが深くなって思い込みになり、
それにとらわれるようで息が苦しくなるのだ。


by. 桜井章一氏

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私にとって「浅い人」の格好のモデルは、
自然のなかに棲む魚や鳥たちだ。

彼らだったら、
こんなときどうするか?
何を感じるか?
そんなことを想像してみる。

彼らが従っているのは、
自然の摂理だけである。

お金も知識も何もないところで彼らの本能は自然が発する声に反応して動くだけだ。


by. 桜井章一氏

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「雀鬼」桜井章一氏が説く、人生における欲望との向き合い方。日常生活の質が勝負の鍵であり、自分との約束や「ゼロ地点」を持つことの重要性を語る。子育てから人生の目的まで、真の強さを得るための哲学を学ぶ。

私が大切にしたいのは、
そのような野生の本能である。

だが、実際は浅く生きると、
複雑な人間社会のなかで深刻に悩んだり、
迷ったりはしないと思う。

深い人間と比べて、
浅い人は本能や感覚という根っこがあるからふわふわと簡単に流されたりしないのだ。

たんにプライドが傷つくという理由ではなく、
確固たる信念があるのにそれに反するからといって意固地になる人もいる。


by. 桜井章一氏

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だが強い信念を持つのはそれほどいいことではない。

なぜなら信念とは自分の考え方や生き方をある固まった枠のなかに押し込めることだからだ。

実際は信念を持っているためにさまざまな失敗をしたり、
長い時間をかけて結局その信念を実現できなかったという人が大半なのである。

信念に固執して意地を張っている人の存在感は私から見ると四角い形をした立方体である。


by. 桜井章一氏

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四角い平べったい面でしっかり地面に接しているから、
じっとしていて安定感はある。

だが、条件や状況が変化してもそれに合わせて形を変えていくことはできない。

周りはどんどん変わっていくのにいつまでもそのままの姿で同じところにいる。

自分の存在感をこのように形でとらえるなら、
私はボールのような球体でありたい。


by. 桜井章一氏

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雀鬼・桜井章一氏の言葉から「危機」や「敗北」の捉え方を学ぶ。人生のピンチを乗り越え、真の強さを身につけるための考え方と現場感覚の重要性を解説します。

球体であれば状況が変化すればそれに応じて転がれるし、
条件が変わればその条件に合った場所へすぐ移動もできる。

きれいに丸い形をした球体のような人間はいるものではない。

たいていはどこか角があっていびつな形の立方体をしている。

だからこそ、
その角をできるだけ磨いて丸くしていくことが必要なのだ。


by. 桜井章一氏

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よくない流れが続いているときは往々にして、
意識がマイナスのものにとらわれていることが多い。

その流れから脱しようとして懸命に努力すること自体がますます
「とらわれ」の状態を強くしたりするのだ。

いってみれば、
これは悪い集中だ。

集中は一点に絞り込むようにするのではなく、
拡散するような感覚でするべきと私は思っている。


by. 桜井章一氏

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一点に集中することは視野を狭くし、
「とらわれ」の状態をつくりやすいからだ。

とらわれた心は硬くなり柔軟性を失う。

集中は継続させていく感覚ではなく、
むしろ一瞬、一瞬を積み重ねていくという感覚を持ったほうがいい。

スランプのときは、
そこから目を転じてまったく別のことを考えたり、
行動をするといいのは前にお話しした通りである。


by. 桜井章一氏

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自分を見失わず、孤独から脱するヒント。雀鬼・桜井章一氏の格言から、集団に流されず、裏切りや変化を受け入れ、固定観念を捨てて自分だけの道を歩む生き方を解説します。

それは結局、
悪い状態から自分を引き離し、
あえてそれを忘れさせていくれるからである。

つまり、忘れることで、
流れに「間」を置くのである。

それが流れを変えるきっかけをつくってくれるのだ。

何かにとらわれて悪い流れになっているときは、
それまでとは別のことをして流れをつくる。


by. 桜井章一氏

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そのためには「忘れ上手」になるのも一つの手なのだ。

節操があることは、
いってみれば自分の型をしっかり持つことに通じる。

節操が重んじられるのは、
節操がなければ生き方や生活といったものが秩序を失い無茶苦茶になるかもしれないと思うからである。

だが、無節操と評される人を見ていると、
意外とそうでなかったりする。


by. 桜井章一氏

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彼らは皆軽々と生きている印象すらある。

つまり節操なく生きている人は独自の強みを持っているのだ。

つまり、これは先ほどもいった自分の型を定めない強さだと思う。

それ(雀鬼流麻雀は型がない)は、
「変化を敏感に感じ取り、瞬時に対応できる」
感覚と動きを身につけるためだ。

型にこだわりすぎると、
型に縛られて変化に対して柔軟な対応ができなくなる。


by. 桜井章一氏

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