■究極の選択 -集英社-
私はバカだから、社会の流れには乗らず、自分の軸の中で生きてきたのである。大きなものは偽物。真実は小さなものの中にある
“利”を嗅ぐ力の優れた人が、
社会の中でトップにのし上がっていく。
本来は自分の中の”軸”
をもとにすべてを判断していくべきなのに、
損得勘定ばかりを優先させる人は”利”
ばかりを追って”軸”
で判断しようとしない。
そして結局は周囲の流れに飲み込まれ、
自分を見失うことになる。
私は幼いころからなぜか、
周囲の大人たちの言うことに
「本当にそうなのかな?」
という疑いをよく持って接してきた。
by. 桜井章一氏
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「自分にとって何が正しくて、
何が間違っているのか?」
物心ついたころから、
いつも半信半疑という感覚でものごとに接していたと思う。
その上でさまざまな取捨選択を自然と繰り返す中で、
何が本当で何がウソか、
何が自分らしいかそうでないかを見極め、
自分の”軸”をつくり上げてきたのだと思う。
私はバカだから、
社会の流れには乗らず、
自分の軸の中で生きてきたのである。
by. 桜井章一氏
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そのためにはまず、
世の中の常識や世間体といったものを疑いもなく正しいものとは思わないことだ。
たとえば成功することやお金持ちになることが幸せだという価値観を信じ込んで生きているなら、
そこには自分の独自の人生は無いと思ったほうがいい。
だから、まずそうした外から得た価値観を自分から外していかないといけない。
でも、そんな”大きなもの”や”広がったもの”
にはなるべく近づかず、
もっと小さいものに目を向けていくようにするのだ。
by. 桜井章一氏

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「大きなものは偽物。
真実は小さなものの中にある」
そのくらいの意識を持って生きていけば、
「何が間違っていて、
何が正しいのか」
が感覚でわかるようになってくる。
自分らしい生き方、
心の底から納得できる生き方は、
借り物の価値観を脱ぎ捨て内側から自然と湧いてくるものに従うことによって初めて可能になるのではないだろうか。
今、世の中の人々が生きづらさを感じているのだとしたら、
それは思考の問題だと思う。
by. 桜井章一氏
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でも、みなさんが追い求めてきた
“便利”さというものが、
自分自身を苦しめているかもしれないと考えたことはあるだろうか?
そういった”便利なモノ”
があふれる一方で、
人間関係にも”便利な関係”
が横行している。
利害の人間関係が会社だけならいいが、
そんな刺々しく冷たい関係性が今は家庭の中にも入り込んでいる。
相手を「便利だ」「使える」
などと表現するのは、
人として最低の物言いだと思う。
by. 桜井章一氏
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でも、残念ながらそのような思考の人のほうが多いのが、
現代社会の実情であり、
そんな考え方が家庭にも入り込んでしまっているからたくさんの人が苦しむことになるのだ。
この社会は利害関係で成り立っている。
またそれと同じように、
人間には”欲”
があるものだから、
欲をすべて無くすようなこともできやしない。
でも、利害も欲も無くすことはできないが、
できる限り減らしたり、
ちょっと離れてみたり、
距離を置いたりすることは可能である。
by. 桜井章一氏
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今、どっぷりと経済社会や便利さに浸かってしまっている人は、
ちょっとそこから離れ、
距離を置いて客観的に今の社会と自分の置かれている状況を見てみるといい。
自分は誰かに「便利なやつ」
として使われてはいないか?
あるいは自分は誰かを
「便利なやつ」
として使ってはいないか?
自分がもらうことばかりの生き方をしている人に対し、
そんなことでは心が貧しいからもっと他人に
「与えなさい」
と無理強いすることはできない。
by. 桜井章一氏
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でも、「与える」
ことができる人が増えれば、
社会の風通しはよくなり、
もっとみんなが気持ちよく暮らしていけることは確かだろう。
頭でわかっていても、
それを行動に移せない。
この原因は、
今の人の生き方に余裕が無いせいもあるだろう。
ここで言う”生き方”とは、
日々の生活ぶりや振る舞いといったものであり、
今の世の中を見渡すと、
生き方に余裕の無い人が本当に多い。
by. 桜井章一氏
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時間の余裕、
お金の余裕、
気持ちの余裕、
そういったあらゆる”余裕”が無くなってしまっているから、
「誰かに譲ろう」
「捧げよう」
「与えよう」
という感覚が薄れてしまっているのだ。
都市ではそんな感覚が希薄なのは、
何でもかんでも経済の尺度で生活をしすぎているからだろう。
お金にしろ、
モノにしろ、
自分が持っているものは、
努力して手に入れたものである。
たくさんのコストをかけてせっかく手にしたものを手放したくないという気持ち。
by. 桜井章一氏
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自分の努力をあげてしまうようでそれまで費やした苦労が無駄になるような気分。
経済一辺倒の社会で生きていると、
そういった感覚が強くなって
「譲る」「与える」
ということができなくなってしまうのだろう。
日々の生活の中で「譲る」とか「与える」
といった”余裕”を持てるようにするには、
ほどほどのところで「これで十分です」
という感覚を常に持つようにするといいと思う。
そんな満足の仕方をやめて、
コップ七分目くらいで「十分」
と感じることができれば、
残りの三割を余裕として取っておける。
by. 桜井章一氏
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その余裕が思考や行動に柔軟性をもたらし、
困難なことに直面したときなどに自分を助けてくれるのである。
もっとも口では簡単にそう言えるが、
人の心は実際には「七分で十分」
とはなかなか感じられないものだ。
そのためには、今、
自分が持っているもののありがたさを深くかみしめるように味わうことだと思う。
そんな状態に比べると、
体を自由に動かせることは、
それだけで喜びにあふれるものだということに気づくだろう。
by. 桜井章一氏
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もし寝たきりの状態から奇跡的に回復すれば、
病気になる前は退屈でいやな家事だった掃除や皿洗いですら、
こんなに自由に手を動かせる、
指を動かせる、
足を動かせる、
とひとつひとつの動きが奇跡のようにありがたいものだと思うはず。
すでに自分にそなわっているもの、
手にしているものはたいてい当たり前に思って、
その価値を蔑ろにしているものだ。
だが、当たり前のことができないという状態を想定してみると、
蔑ろにしたり、
無自覚だったりするさまざまなことがものすごい輝きを持っていることがわかる。
それをじっくりと味わう感覚こそが、
「七分で十分」
という気持ちにさせ、
生き方に余裕を生むのだと思う。
by. 桜井章一氏
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「与える」という行為も、
そうした中からきっと自然と出てくるのではないだろうか。
私は生きることに意味を見出すのはあまり意味の無いことだと考えている。
見出された意味といったものは、
たいがい世間の常識や価値観がどこかで絡んでいて、
その人ならではのオリジナルが感じられないことのほうが多いというのも理由のひとつだ。
ただ、あえて答えるなら、
私がこの世に生きているのは、
「私にしかできないことがあるから」
となる。
by. 桜井章一氏
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by. 桜井章一氏
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