■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ-
勝負における”負け”の99%は自滅である。しかし、差し障りのある言葉は、物事の本質を突いていることが多い。勝負事に強い人は、勝負の中での切り替えや変換がとてもうまい
苦手にもいろんな形があるので、
それをひと括りにしてしまうのは自分の成長を妨げることにもなる。
勝負における”負け”の99%は自滅である。
同様に”苦手”の99%は自分から起こしているものだと私は思っているのだが、
ほとんどの人はそのことに気付いていない。
by. 桜井章一氏
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得意、不得意があるのは人間として当たり前のことだ。
大切なのはそれはそれとして謙虚に受け止め、
自分の”苦手”に触れていこうとする気構えを持つことである。
苦手に触れていけば、
それはその人の間口を広げていくことになる。
弱点を克服すれば当然人として強くなるだろうし、
結果としてピンチに対応する力も身についていくのだ。
by. 桜井章一氏
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幼少期の子どもに寂しい思いをさせると、
その寂しさはお化けみたいにずっとまとわりつき、
大人になっても取れることはない。
大人になった時、
お化けがくっついたままの人はどんなに明るく振る舞っていたとしても、
どこかに不安を感じさせるものだ。
by. 桜井章一氏
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“孤独感”は”不安”に拍車をかける。
人によっては、
孤独を自分から少しでも遠ざけるために
「みんなと合わせる」ことに必死になっている。
まわりとちょっと違っただけで不安になってしまう人は、
流行や常識といったものを必要以上に気にする。
by. 桜井章一氏
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しかしそれは「本当の自分」
を見失ってしまっている状態である。
まわりを気にしすぎるあまり、
「偽」の自分になってしまっているのだ。
「偽」の自分が何をしても、それは「偽」である。
偽の生活、偽の触れあい、偽の関係……。
そんな人が仮によいことをしたとしても、
それは「偽善」でしかない。
by. 桜井章一氏
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現代社会に生きる人たちはすぐに
「答え」を求めたがる。
この世に確かなものなど何ひとつないのに、
そこに「確証」を求める。
「答え」が見つからないと心配になり、
「確証」がないと不安になる。
そんな現代人特有の性があるために、
マニュアルに頼ったり、
保証や見返りを当てにしたり。
現代人はそんなことばかりに躍起になっている。
by. 桜井章一氏
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この世の中のあらゆる「関わり方」は、
「直接」と「間接」で成り立っている。
これは乾電池の繋ぎ方でいうところの
「直列」と「並列」に似ている。
現代社会で多いのは「並列」の関係である。
出る杭は打たれるからなるべく並列でいようとする。
場合によっては「太く短く」の生き方も必要なのに、
総じて「細く長く」いようとするから、
燃費の悪い直列よりも消費電力が少なくても済む並列の関係を多くの人が求めている。
by. 桜井章一氏
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直列の生き方をしていると、
どうしても差し障りが出てくる。
だから多くの人が差し障りのないように賢いふりをして、
並列的な生き方をしている。
直列的な人から発せられる声は、
当然差し障りのあることばかりとなる。
しかし、差し障りのある言葉は、
物事の本質を突いていることが多い。
by. 桜井章一氏
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並列的な関係ばかりを求める今の社会は私から見ればひどく歪である。
豊かさ、便利さを求めてきた社会の在り方が、
直列の関係を薄め、
その形を歪ませてきたのだ。
「便利さ」は人間を変え、
社会を変える。
「便利さ」を追求しすぎると間接的なことが増え、
人も社会も自然からどんどん離れ、
悪くなっていく一方である。
by. 桜井章一氏
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怒られているとき、
人はその怒りが治まるのをじっと待つ。
でも私の場合は怒られると
「もっと怒られること」をしたくなる。
それが私の性分なのだ。
ただ、そのような緊迫した瞬間にある種の陽気さを振りまくには、
普段から「やることはやる」
ということを徹底していなければならない。
普段ちゃんとやっていない人間が緊迫した場面でおちゃらけても、
それはただの悪ふざけに過ぎず、
怒りの火に油を注ぐだけとなる。
by. 桜井章一氏
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“暗さ”を好む人間はこの世にはほとんどいない。
自然の摂理に則れば誰もが陽気な方がいいに決まっている。
ならば自分がその”陽”になろう。
そんな人が増えれば、
社会全体のピンチもきっと乗り越えていけるはずである。
by. 桜井章一氏
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沖縄でバナナは採れるが北海道では採れない。
土壌が違えばそこで育まれるものもまったく異なるのに、
宗教はすべての場所でバナナを採ろうとしているようなもの。
収穫できるものは環境によって異なるのに、
それを一極化しようとすれば当然そこには矛盾が生じてくるのだ。
by. 桜井章一氏
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人間の心も有り様も、
当然育った場所で異なってくる。
人それぞれ生きる土壌が違うわけだから、
いろんな捉え方があって当たり前。
むしろそのほうが自然なのである。
by. 桜井章一氏
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人間ひとりひとりの姿形が異なるように、
思考や感覚も人それぞれなのだから、
それを一極化させようとすること自体が無理なのだ。
人間は多様で、すべてが自分と同じ人など、
この世にひとりとしていない。
自分には合ってもあの人には合わない、
自分は得意でもあの人は不得意。
そういった多様性を多くの人が認められるようになれば、
怪しい宗教などに駆け込む必要もなくなるに違いない。
by. 桜井章一氏
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勝負事に強い人は、
勝負の中での切り替えや変換がとてもうまい。
自分が劣勢に置かれているときも、
その状況に囚われず、
客観的に新たな判断を下せるから強いのである。
いつまでも同じところに立ち止まっていても次の展開は望めない。
by. 桜井章一氏
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