■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ-
死とは無になることである。納得感のある生き様は生にしがみつかない
ひとつのミスに囚われ、
引きずってしまうのは思考の「癖」のようなものだ。
体の動きに癖があるように、
思考の癖として”ミスを引きずる”ようになってしまっている。
物事を引きずりやすい人は、
幼いころから何かにしがみついて生きてきた。
それは親の愛かもしれないし、
社会の価値観、
あるいは主義のようなものかもしれない。
by. 桜井章一氏
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そういった何かにしがみついて生きてきた人は、
固定観念のようなものが出来上がってしまっている。
だから切り替えるということもなかなかできない。
社会の常識や価値観といったものを疑うこともなく、
それにどっぷりと使った生き方をしていると
“引きずる”ことを繰り返すことになり、
やがてそれが思考の癖となってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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“引きずる”思考の癖から脱するには、
「自分は何にしがみついているのか」
というところから考えていく必要がある。
何かが足りずにしがみついていたなら、
新たに何かを生み出していけばいい。
何かが済んでいなかったのなら、
それを済ませて次の一歩を踏み出せばいい。
そうやって過去に一旦戻ることで、
切り替えや変換は少しずつできるようになるはずである。
by. 桜井章一氏
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次の変化に対応できるように心も体も柔軟な姿勢を保つ。
何事にも柔軟でいようとすれば、
それだけで引きずりやすい思考の癖を徐々に直していくことができるはずだ。
by. 桜井章一氏
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日本は物質的には豊かになったかもしれないが、
人間の心は決して豊かになっていないように感じる。
私には、そんな氾濫したモノの中で多くの人が溺れてしまっているように見える。
「みんなが持っているから私も」
という時代の潮流に合わせてほとんどの人が生きているから、
すっかり自分を見失ってしまっている。
by. 桜井章一氏
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時代の進歩とともに、
潮の流れもますます加速している。
そんなきつい潮の流れに人間が巻き込まれたら溺れてしまうのも当然である。
人工的な潮の流れは闇よりも怖い。
時代の潮流の中で溺れずに泳ぎきるには、
社会のやり方に沿った生き方をするしかない。
社会に沿った生き方とは、
“自分”を捨て、
ひとつの歯車として機械的に生きていくことである。
by. 桜井章一氏
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“豊かさを求める気持ち”を消すより、
私たちはなぜ”豊かさ”を求めるようになったのか?
そのことを考えた方が解決の糸口となるように思う。
現代社会をひっくり返せば、
そこには人間の飢えや欲望を刺激するシステムが巧みに埋め込まれている。
人としての豊かさを取り戻す道は、
あまりにも険しく、長い。
by. 桜井章一氏
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人は必ず誰かと関わり、
誰かに迷惑をかけて生きている。
妥協という言葉にマイナスの響きがあるのなら、
シンプルに”譲り合う”という言葉を使えばいい。
“譲る”という精神は人間関係においてとても大切なものである。
by. 桜井章一氏
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何かことが起こってから譲ろうとするから「仕方ないなぁ」
というマイナスの感情が生まれるのであって、
常日頃から譲る感覚を持っていれば平時と同じ気持ちでいられる。
「得ること」がいいこととされてきた世の中で育ってきた若者たちは、
“捨てる”感覚はあっても”譲る”感覚は希薄である。
by. 桜井章一氏
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騙しや欺きといったものを排し、
“素の自分”で勝負する。
知識や能力、
技術といった世間で”いいもの”
とされるものは雀鬼会の麻雀にはまったく必要ない。
コップの水を飲むにしても、
次の人のために半分残しておく。
そんな感覚を普段の生活の中に少しずつ取り入れていくだけでも、
“譲る”気持ちは育んでいけるのである。
by. 桜井章一氏
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現実を見つめ、
“今”というこの一瞬を大切にする。
なにか問題が起こったらひとつひとつ、
クリアしていく。
そんな”今”を積み重ねていくことが人生というものなのだ。
今日やれることを「明日やればいいだろう」
と引き伸ばしてしまう人はよく見かける。
でもこのような考え方を持っている人は、
どうしたって生き方がいい加減になってくる。
いい加減な生き方をしていると仕事にしろ、
プライベートにしろ”間に合わない”ことが多くなる。
by. 桜井章一氏
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“間に合わない”とは
“済んでいない”状態のことである。
済んでいないから”済みません”
と謝らなければならなくなる。
済んでいないことによって迷惑を被る人だってもちろん出てくるだろう。
そんな”済みません”という状況にならないように、
「”また”はないんだ」と思って今日できることは今日やる。
そういう習慣をつくっていけば必然的に
“済んでいる”ことが多くなり、
物事が”済む”ことによってその人の人生も
“澄んだ”状態になっていくのである。
by. 桜井章一氏
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「病は気から」という言葉があるが、
私の中での解釈は「病は”知”から」である。
多くの人は”健康でありたい”と思うが故にいろんな
「値」を知りたくなるのだろう。
知らないなら知らないままでいたほうがいい場合も、
多々あるのだ。
by. 桜井章一氏
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この地球上に生きる生物すべてが常に変化をしている。
変化するのが生物であり、
私も自分の変化、
まわりの変化、
すべての変化を楽しみながら今まで生きてきた。
“死”というものに近づきながらも、
私が生にしがみつかずにいられるのは、
“変化は楽しい”という気持ちを持ち続けているからだろう。
もちろん、年をとればできなくなる変化も多くなる。
でも、私は今まで充分に変化を楽しんできたから不満はまったくない。
by. 桜井章一氏
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“生”に対しては”しがみつく”のではなく、
“触れている”くらいの感覚でいるのが丁度いい。
しがみついているから、
手放すのが怖くなったり、
力んで疲れてしまったりするのだ。
しがみついているのは何かを掴んでいる状態である。
何かを掴もうとするから、
逃げられた時、
逃した時に落ち込むことになる。
何事に対しても”掴もう”とせず、
“触れる”くらいの感覚を持っていれば落ち込むこともかなり少なくなる。
by. 桜井章一氏
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私は自分の生きざまに納得している。
納得しているから何かを妬んだり、
羨んだり、恨んだりすることもない。
人生というものはそうやって”満足”するのではなく、
“納得”していくことがとても大切なような気がする。
“死”とは”無”になるということである。
思い残すことも、
悔やむことも何もなく、
私はただ”無”となるのだ。
by. 桜井章一氏
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