■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ-
桜には桜の、梅には梅の生き方、努力のやり方がある。小さな目標をいろんな場所に入れていくことでそこに楽しみが起こる。要領や小手先のテクニックで弱点をカバーしたとしても、人としては弱いままである
人々の中に”希望”というものを取り戻したいのであれば、
人と人がもっと密接に繋がるようにしなければならないだろう。
他人にもっと関心を持つ。
損得など抜きにした、
人間として温かみのある関係をつくる。
そういったことを一人ひとりがしていかなければ、
人間関係は今よりもさらに薄れていくに違いない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
“努力”に関しても、
今の人たちは間違った努力をしている人ばかりである。
間違った努力をいくら続けたとしても、
その努力が報われることはない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
間違った努力を続け、
努力が報われないだけならまだいい。
間違った努力はその人自身を却って悪い方向に導くことがある。
“努力”というものにもセンスが必要である。
そのことを成すにはどういった努力を続ければいいのか。
しっかりとそれを見極めた上で努力を重ねていけば、
努力の報われる可能性は大分高くなる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
人間には一人ひとり、
それぞれ異なった”資質”というものがある。
一人ひとりが”違う木である”
と言い換えれば分かりやすいだろう。
桜には桜の、
梅には梅の生き方、
努力のやり方がある。
それなのに梅が桜になろうとするからギクシャクしたり、
悪い方向にいったり、
おかしなものが残ったり……。
自分を見失ってしまった”努力”
が実ることは決してないのである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
先のことを考えてもしょうがないのに、
未来に不安を感じて”今”
を疎かにしてしまっている人もたくさんいる。
「何のために生きているのか分からない」。
そんな風に思っている人も、
未来ばかりに囚われ、
“今”を見失ってしまった人たちといえよう。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
どうなるか誰にも分からない未来に不安を感じ、
そこで動きを止めてしまったらまさしく思ったとおりの不安な未来がやってくるだけだ。
しかし、そんな閉塞感を打開できるのは自分自身の力であって、
他の人の力を当てにしているだけではいつまでも時代の重苦しさに囚われたままである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
小さな目標をいろんな場所に入れていくことでそこに楽しみが起こる。
目標を達成するために、
あるいは何かを得るために目標を置くのではなく、
その過程を楽しむために目標を置くようにすれば自分自身で楽しみや喜びをつくり出していけるのだ。
とにかく小さな目標を立て、
その過程を楽しむことが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
誰かが目標に向かって進んでいるのなら、
それを手助けしてあげることだって立派な目標となる。
自分に関心を持ち、
まわりの人にも関心を持つ。
そうやって関心の輪を広げていけば、
目標というのはいくらでもつくれる事に気付くはずだ。
“関心”と”目標”というのは実はとても近いところに位置しているのだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
悲しみや寂しさをなるべく避けたいから、
私はその反対側にある楽しみや喜びといったものをつくるように心がけてきた。
「みんなと楽しさを共有できるように」
「みんなと笑い合えるように」。
言ってみればそれが私の目標なのである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
どの子どもにも輝ける可能性は秘められているのに、
その火を消すような教育をしているのだ。
その人がダメなのは、
勝負している種目が自分に向いていないだけのことなのかもしれない。
一生懸命がんばって、
がんばり過ぎるが故に視野が狭くなり、
目の前のことしか見えなくなってしまうことはよくある。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
“不向き”なものも対応次第でどうにでもなるものだし、
その”不向き”が自分の可能性を広げてくれることもある。
その種目が本当に自分に向いているのか、
それとも不向きなのかは自分自身では分からない場合も多い。
そんな時はまわりのの人間の中に向き、
不向きを指摘してやれる人がいればいいのだが、
今の社会ではそういったことを的確に指導することのできる大人が本当に少なくなってしまった。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
私が彼らに助言を与えるのは、
愛や優しさからではない。
「自分がいい気持ちになりたい」
から周囲の人間もいい気持ちにしたいだけなのだ。
自分を気持ちよくするために、
まわりの人も気持ちよくさせる。
それが結果として「思いやり」に繋がっていく。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
人間なら誰でも苦手なものがひとつやふたつはある。
苦手はその人の弱点であり、
人によってはその弱点をピンチにしてしまっている人もいる。
弱点を曝け出してしまえば何の問題もないのだが、
それを隠そうとするからピンチになる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
要領や小手先のテクニックで弱点をカバーしたとしても、
人としては弱いままである。
弱点を曝け出してこそ、
そこに変化が起こり人は成長していけるものなのだ。
苦手な人と接すれば、
いろんなことが見えてくる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
自分が”苦手”という気持ちを起こしているのか、
それとも向こうが起こすものによって”苦手”と感じているのか。
なぜ苦手なのか?
なぜ合わないのか?
そういうことを突き詰めて考えれば
「自分にとって都合が悪いから”苦手”としていた」
と気付く人もたくさんいるに違いない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆