■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ-
人それぞれ誰も持っている”個性”は、そんな幾多の部品の使い方が人によってちょっとずつ異なっているのだけであって、人の違いなど所詮その程度のものなのだ
私たちが普段当たり前にやっている”動ける、
何かができる”ということは、
とてもありがたいことである。
ただ寝ているだけ、
ただ与えてもらっているだけ。
そういう生活を長く続けていれば体の動きも心の動きもだんだんと鈍くなっていく。
動きとは生命そのものと言ってもいい。
by. 桜井章一氏
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動くのは体だけではない。
心、精神といったものも、
体と同じように動き続けている。
体と精神が動くからこそ、
生きている実感を得ることができる。
by. 桜井章一氏
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精神が動けば、そこに自ずとして”気付き”が生まれる。
勝負の場面でもこの”気付き”は重要な役割を果たす。
勝負事は”気付き”
の多さによって勝敗が決するといっても過言ではない。
by. 桜井章一氏
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自分を捨ててしまっては個性、
あるいは人間味というものが出てこないのだ。
自分の味はとても大切なものだから、
それはしっかりと持っておかなければいけない。
だから自分の味を出しつつも、
決して「出すぎない」
感覚を持つことが大切だ。
by. 桜井章一氏
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「出すぎない」感覚。
それは自分を二の次、
三の次に置く感覚である。
自分が一番でなく、
自分はあくまでも二番目、三番目。
そうやって自分以外のものを大切にする観念を持てば、
結果として余裕が生まれてくる。
by. 桜井章一氏
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勝負事であろうが、
人生であろうが、
余裕がなければピンチを乗り切ることはできない。
自分を二の次、
三の次に置ける人は、
結果として自分を自分で救うことができるのである。
by. 桜井章一氏
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私の考える運には
「天運、時運、地運、人運」の4つがある。
そんな”運”の存在に気付くには、
とにかく感じる力を磨くしかない。
人間には五感というものが備わっている。
さらに”勘”に代表されるような
“第六感”もあると言われているが、
私はそういった感じる力を昔から大切にしてきた。
その結果、運の流れも感じることができるようになった。
by. 桜井章一氏
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便利なものに触れてしまうと、
それだけで自分の感じる力が薄れていくような、
消されるような気がする。
運というものは「どうしたら運を掴めるか」
と考えて手にできるようなものではない。
運はそこらじゅうに漂い、
ある瞬間に”ペタッ”と人間にくっついてくる。
運は掴み取るものではなく、”感じる”もの。
その存在に気付けるかどうかが鍵なのだ。
by. 桜井章一氏
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人間というのは浅薄な生き物であるから、
何かことが起きないと分からない。
被害を受けて初めて、
自分の至らなさに気付いたりする。
最近、都市の中で増加傾向にある人災は”孤立化”である。
引きこもりという孤立化、孤独死という孤立化……。
社会の中でそれなりに活躍している人であったとしても、
その心のうちに外からは決して見えない
“孤独”を抱えている場合もある。
by. 桜井章一氏
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人が”がんばる”のは、
何かやることがあるからがんばれるのであって、
やることが何もなければどうしようもない。
“がんばる”には肉体だけでなく、
がんばろうとする気持ちも必要である。
さらにがんばるための”道”
もなければがんばりようがない。
by. 桜井章一氏
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“がんばる”ということの意味を考えたとき、
“がんばる”とは何かを犠牲にして成り立っていることに気付かされる。
突き詰めて考えていくと、
犠牲を生まない”がんばり”
というのはあり得ないのではないかとも思う。
by. 桜井章一氏
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成功の規模が大きければ大きいほど、
犠牲の数も多くなっていく。
豊かになることを目指し、
今までやってきた日本の”がんばり”
は数えきれないほどの犠牲の上に成り立っているのである。
by. 桜井章一氏
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救いを他に求めている限り、
その人が救われることは決してない。
なぜなら、自分を救えるのは”自分自身”でしかないからだ。
結局のところ、人が”変わる”ことができるのは、
その人自身が変わったからであって、
他の力によるものではない。
by. 桜井章一氏
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人それぞれ誰も持っている”個性”は、
そんな幾多の部品の使い方が人によってちょっとずつ異なっているのだけであって、
人の違いなど所詮その程度のものなのだ。
by. 桜井章一氏
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今の社会でほとんどの人間関係は損得勘定や利害関係だけで結ばれている。
表面だけいくら取り繕ったとしても、
人間関係の根っこの部分は薄いままだ。
by. 桜井章一氏
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