■ピンチの本質 ~絶体絶命を乗り切る技術~ -KKベストセラーズ-
不安というものは、常に人間の身近に存在している。
そんな不安を遠ざけるには、今いる場所から一歩踏み出せばいい。
それだけなのに、その一歩が踏み出せず不安に囚われてしまっている人が
あまりにも多い。
by. 桜井章一氏
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本当は谷から這い上がっていったほうが安全なのに、
山に恐怖を感じて谷でじっとしてしまっているだけなのだ。
不安から一歩を踏み出す勇気を得るには、自然の中で危険というものと接し、
“本当の危険”と”見かけだけの危険”を見極める力を養うのもひとつの方法といえるだろう。
by. 桜井章一氏
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“苦”というものは人を成長させてくれるものである。
そもそも、”苦”を”苦しいもの”として捉えるから”苦”を前にして
足踏みをしてしまうことになる。
私の考える”苦”とは”苦しいもの”ではなく、”厳しいもの”である。
常に自分の中に”厳しさ”を持っていれば、”苦”は苦しいだけの存在ではなくなる。
by. 桜井章一氏
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私は日々の生活の中で意識的に”厳しさ”を入れるようにしている。
苦しい時、その苦しさに負けたくない。
自然界の生き物たちが持っている”厳しさ”に立ち向かう力が、
人間から急速に失われつつある。
元々、”厳しさ”というものは人間の身近にあったはずなのに、
どうしてこうも人間は厳しさに弱くなってしまったのだろうか。
by. 桜井章一氏
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楽なところではなく、厳しいところで遊んだ方が、
その楽しさは倍増する。
“厳しさ”はリスクを伴うものであるが、
そのリスクを克服する過程にこそ本当の喜びがある。
“厳しさ”が大きければ大きいほど、
“楽しさ”も大きくなっていくのである。
by. 桜井章一氏
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相手への信頼が高ければ高いほど、
裏切られた後にやってくる絶望は深くなる。
私は普段から「”裏切り”ではなく、変化しただけ」
と思うようにしている。
世の中すべてのものが刻一刻と姿を変えているように、
人間の心も常に変化している。
by. 桜井章一氏
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人間は誰でも変化している。
あなたも、この私も日々変化を続けている。
自分を苦しめないためにも、
“世の中のものはすべて変化しているんだ”と普段から思うことが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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過去、今、未来のうち、人が生きているのは”今”である。
人は常に変化しているものであるから、
“過去”に信頼していた人が”今”も信頼できるとは限らない。
さらに”今”信頼している人が”未来”にどうなるかも分からない。
そうなのであれば、過去や未来に囚われることなく、
今この瞬間を気持ちよく生きればいい。
by. 桜井章一氏
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自分自身が少しでも気持ちよく生きたいのであれば、
そんな負の力は自分のところで留め、
他の人を気分よくさせるほうがいいに決まっている。
そんなネガティブな感情に囚われるのではなく、
自分の中からどのようにして消していくか。
それを考えた方が余程前向きに人生を歩んでいける。
by. 桜井章一氏
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ネガティブな感情が湧いてきたら「また来たな」と思って
正当性にしがみつかず、消しゴムで字を消すようにネガティブな感情を消していけばいい。
“絶望”という感覚は、そこで終わりだと思うから”絶望”となる。
“絶望”から次の一歩が始まると思えば、人はネガティブな感情に囚われることなく
生きていけるのである。
by. 桜井章一氏
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「耐える」という行為は人間を暗くする。
「耐える」だけでなく、「辛抱」や「苦労」といったものも人を暗くする要素を秘めている。
ところが日本では昔から「耐える」「辛抱する」といったことを美化する傾向がある。
どうしたって耐えることを続けていれば暗くなってしまうのに、
「いいことがある」「何かを得られる」と思ってたくさんの人が無理を重ねている。
by. 桜井章一氏
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どれだけ耐えても、どれだけ辛抱してもその先にいいことが待っているとは限らない。
それなのに「いいことがある」というまやかしに流されて耐えることを続けていたら、
いつか心も体も壊れてしまう。
「耐える」「辛抱する」ということを少しでも楽にしていくためには、
「いいことがある」という今までの風潮を根本から見直さなければならないだろう。
by. 桜井章一氏
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辛抱したり、耐えたりすれば「いいことがある」「何かを得られる」という考えではなく、
「辛抱」も「耐える」ことも自分を成長させてくれる「恵み」であると捉える。
そうやって先に何かを求めるのではなく、
自分自身を強くしてくれるものだと捉えればそれだけで人は救われる。
by. 桜井章一氏
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豊かになること、成長すること、広がっていくこと、
そういったことが「能力」とされる現代社会では
「誰よりも多く」分捕った人が「有能」とされる。
分捕り合戦は搾取する人と搾取される人がいなければ成り立たない。
つまり、現代社会は毎日犠牲者を生み出し続けている社会でもあるのだ。
「誰よりも多く分捕る」ことが常識であるという固定観念も
「全ては恵みである」と考えていけば、自ずと分け合ったり、
譲り合ったりする心も生まれてくるはずである。
by. 桜井章一氏
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本当の”学び”とは自分から求めていく”勉強”であったはずだ。
私は”学問”と”勉強”はまったく違うものだと考えている。
“学問”に染まってしまった人たちは見返りを求める。
人はすぐに愛や優しさを求めるが、
本当はそういったものは厳しさの中から見つけるものなのだ。
by. 桜井章一氏
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