不安障害の人々達。不安の種・恐怖心を絶つには、自我を減らすことが先決だ!

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私が特に問題だと思うのは、
人間の自我が大きく膨れ上がってしまったということだ。

自我は誰にでもある。

自我があるのは人間として当たり前のことだ。
なくなってしまっては困る。

だが、それがあまりにも豊かに (大きく) なりすぎてしまうと、
自分の都合や自分の尺度だけで物事を捉えるようになってしまう。

自分勝手というやつだ。


by. 桜井章一氏

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人間関係が上手くいかないという悩みには、
実はこの自我が大きくなりすぎたということが
関係しているのではないかと思っている。

思った通りのことを相手がしてくれなかったり、
期待した言動を相手がとってくれなかったりしたときに、
悩みが発生すると考えられる。

自分はこうしたいのにさせてくれないという悩みも、
相手は自分にこうさせてくれるはずだという期待を
裏切られたことから生まれてくる。


by. 桜井章一氏

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たいした期待をかけていなければ裏切られてもたいしたことはない。
だが、大いなる期待をかけてしまうと、
裏切られたときの痛手も大きなものになる。

では、他人への期待とはどこから出てくるのか。
それがまさに、自我なのだ。

自我が大きくなりすぎると、
相手への注文も大きくなる。

そして、注文が満たされないと、
どうしても文句が多くなる。

人間関係に悩んでいる人は、
その関係に対する期待や注文が大きいのだ。


by. 桜井章一氏

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文句というのはどこから出てくるのかと言えば、
他人に対する注文だ。

相手に何か求める気持ちが強すぎると文句になる。
近くにいる人物とか、自分の人生、社会に注文しているのだ。

自我が膨らんで注文が増えると、
文句になるわけだ。


by. 桜井章一氏

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期待とか、希望なんていうのも注文の一種だ。

期待とか希望という言葉だけなら美しく聞こえるが、
その根っこの部分は、注文と同じことだ。

他への依存心、
自分のことは横に置いて他人に期待するというご都合主義、
もっと言ってしまえば、自分勝手な行為だ。

身勝手な行為を他人に押し付ければ、
裏切られて当然だ。


by. 桜井章一氏

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注文というのは将来に対する確証を求める行為のことでもある。
将来に対して確証がほしくて、みんな注文をつける。

ところが、その確証というのは、
実はどこにもない。

どうなるかわからないのが将来なのだ。

ないものを追いかけても、永久に手に入らない。
それに気がついた人だけが、文句を言わなくなるのだ。


by. 桜井章一氏

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では、なぜ人は将来への確証がほしいのか。
それは不安だからだ。

この不安がさらに膨らめば、恐怖になる。
不安とか恐怖を持っていない人はいない。

これはもう人間の性というものだ。


by. 桜井章一氏

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赤ちゃんは泣いて生まれてくる。
まあ、正しくは生まれたとたんに泣くわけだが、
ではなぜ泣くのか。

私の解釈は「不安だから」だ。
生まれてきた外の世界が不安だから泣くのだ。

つまり、人間は生まれたときから不安に苛まれながら
生きているわけだ。

だから、不安、恐怖を消し去ることはできない。


by. 桜井章一氏

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だが、生きていく中で体験、知識を積み重ねることで、
不安や恐怖を小さくすることはできる。

トラウマのように逆に大きくなることもあるが、
トラウマの逆をやれば小さくもできる。

そんなふうに、経験、知識によって一つ一つ恐怖や不安を小さくしていけば、
結果として文句も減っていくはずだ。


by. 桜井章一氏

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人間、生まれたときというのは何にも染まっていなくて、
純粋である。

しかし、大人になるにつれて、社会という現実に触れ合い、
少しずつ、自分を曲げながら社会に適応しようとする。

そうやって、社会人として成り立っていくわけだが、
個人として見た場合、なにか嫌な大人になってしまった
ということに気づかないだろうか。


by. 桜井章一氏

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初志というのは、最初の志のことだが、
誰でも最初の志はそれほど悪いものではない。

ところが、社会の現実と触れ合うと、
初志を曲げてしまうのだ。

「何か違うな」と思いつつも、
「いや、これが現実というものだ」などと
わかったようなことを言って、自分をごまかしてしまう。

そうやって自分を曲げ続けていくと、
どんどん嫌な大人になっていく。


by. 桜井章一氏

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最初の頃の状態が本当は一番いいのに、
社会に合わせて自分を捻じ曲げることを
成長したと勘違いしてしまう。

そして、必死に「成長」しようとして、
どんどん嫌な大人になっていってしまう。

自分が嫌な大人になっていっているのに、
他人のことを嫌なやつだなんて言っても仕方がない。

嫌なやつ同士がぶつかって、
それで「人間関係がうまくいかない」なんて言っているわけだ。

うまくいかなくて当たり前ではないか。


by. 桜井章一氏

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■男の器 ―――常識に囚われない生き方 -角川oneテーマ21- アバウトというと、曖昧であり、 いい意味ではあまり使われて...

相手の弱点を狙うというのは、
卑怯か正々堂々かと言えば、
明らかに卑怯の部類に入るだろう。

卑怯なことをして、
それで「勝った、勝った」と喜んでいるわけだ。

初志を思い出せば、
自分が嫌な大人になっていることに気がつくだろう。

それに気がつけば、修正することもできる。
早く、多くの人に気づいてほしいものである。


by. 桜井章一氏

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嫌な大人と嫌な大人が一緒になれば、
その人間関係は必ずぶつかることになる。

ぶつかるのを避けることは難しい。

どうしてもぶつかる運命であれば、
「お互いが柔らかければいい」というのが私の答えである。

何が柔らかければいいのかというと、
考え方とか信念とか意志といったものだ。


by. 桜井章一氏

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「かたい信念」「かたい意志」という、
一見、いいものに見えるもののほうが実は危険なのだ。

それよりもむしろ、
「柔軟な思考」とか「頭の柔らかさ」のほうがはるかに有益だ。

死んだらどうなるか。
みんな死んだら、かたくなる。

だから、かたい信念を持っているなんて、
すでに死に体みたいなものだ。

そんな死に体みたいな堅物と付き合ったって、
生きた心地がしないのは当然だ。

かたい信念はいらない。
みんな、もっと柔軟に生きたほうがいい。


by. 桜井章一氏

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