■究極の選択 -集英社-
死が”結果”であるならば、大切なのは「いかに死んだか」ではなく、「いかに生きたか」のプロセスのほうではないだろうか。不確定な部分を組み合わせて、新しいものを生み出していく
そんな真剣勝負を繰り返しながらも幸いにして私は一度も負けることが無かった。
現れる無数の選択において大きな誤りをしなかったからだろう。
“道”という漢字の成り立ちは、
中国古代、敵の首を道の両側に埋め、
敵に攻め込まれないようまじないをしたという説や、
危険に満ちた異界に通じるものであるため、
邪気を祓うために首を掲げて歩いたという説など、
いろんな説がある。
いずれにせよ、
そういった説を聞くと、
「何と人間は争いが好きな生き物なのか」
と思わずにはいられない。
by. 桜井章一氏
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私にとっての人生の”道”。
それは、誰も歩いたことのない未開の大地を切り拓くのに似ている。
誰も歩いたことのない場所だから、
当然道は無い。
だから私は自分なりに「こっちだな」
と思う方向を選び、
大地を切り拓き、
道をつくって歩を進めてきた。
by. 桜井章一氏
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文明によってつくられた「みち」
が”路”とするならば、
私たちが人生を歩む上で進んで行くのが
“道”である。
そしてその”道”は、
えてして権力や利益など人間の欲望にまみれた
“道”になりやすい。
私の切り拓いてきた”道”は、
目には見えない「潮の流れ」
に似ているかもしれない。
そこに確かに流れているのに、
目には見えない。
by. 桜井章一氏

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触れることはできるのに、
つかむことはできない。
何かを極めるわけでも、
どこかに辿り着くわけでもなく、
何かが残るわけでもない。
ただ、みんなで少しでもきれいな流れを上手から下手へと伝えていく。
それが”雀鬼流”の麻雀なのだ。
by. 桜井章一氏
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条件や立場の違い、
環境の変化によって、
そこで発せられる「問い」
にはそのときどきの答えがあるのだと思う。
つまりそれを考える過程にこそ、
また重要な意味があるのはないだろうか。
つまり安直に「正解」
を導いたりせず、
自分の頭と感覚をフルに使いながら確かな何かをつかんでいってほしい。
でも、たまにでいいから、
人生の岐路に立ったとき、
自分なりの道を選択してはどうだろう?
本当の人生は、
きっとそこから始まっていく。
by. 桜井章一氏
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羽生善治さん
「AIは”なぜその手を打ったのか”という根拠を説明してくれないのでプロセスが見えない」
「結果よければすべてよし」
という結果至上主義が幅を利かしているこの世の中においては、
成績や業績といった”結果”ばかりが重んじられ、
プロセスはあまりかえりみられることが無い。
人生とは”プロセス”そのものである。
死が”結果”であるならば、
大切なのは「いかに死んだか」ではなく、
「いかに生きたか」のプロセスのほうではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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人はやはり、
試合や競走の中に即興の閃き、
感情や思い、
情緒という”人間味”
を感じて感動するものだと思う。
味覚は他の動物たちにもあるのかもしれないが、
これほど味覚の領域を発達させた動物は人間をおいて他にはいない。
だからこそ、人は
“人間味”というものに惹かれるのだ。
by. 桜井章一氏
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人間は、動物には肉体的な力では勝てないが、
“知性””理性”では勝る。
私たち人間が「人類こそが万物の霊長である」
と信じてきたのはこの”知性”と”理性”があったからである。
でも、人類がもっとも誇ってきたこの利点も、
自らが生み出したAIに負けるとは、
何たる皮肉だろうか。
麻雀は形や流れが定まっていない。
by. 桜井章一氏
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自分のところに配られる牌も、
組み合わせがいいときもあれば悪いときもある。
“運”というものによってスタートの時点から差がつくのが麻雀である。
最初の配牌が悪ければ、
どうあがいても和了れないときもある。
この偶然性や不合理、
そういった不確定要素の多い麻雀をAIがクリアしていくことは難しいように思う。
by. 桜井章一氏
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不確定な部分を組み合わせて、
新しいものを生み出していく。
こういった力は人間独自のものである。
私はAIなどのデジタルマシンとはできる限り距離を置いて生きてきたし、
これからもそうしていきたいと思っているが、
今の政治を見ていると、
「AIに任せたほうがマシなんじゃないか?」
と思ったりもする。
面倒なことはできるだけ省き、
便利だけを追求しているから、
このままいくと人間関係が面倒くさくなってすべてをパソコンやスマホのようなデジタル機器ですませるようになっていくだろう。
by. 桜井章一氏
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そうすると会社の社員もいらなくなるし、
もしかしたら会社自体も、
会社の建物も無くなっていくかもしれない。
現在すでに”仮想通貨”
なるものが生まれ、
ネット空間でやりとりされているが、
巨大スーパーが登場したことによって地域の商店街が
「シャッター通り」になってしまったように、
このままいくと現実の世界から会社もお店も必要無くなり、
それももっと突き詰めていくと
「人間がいらない」ということにもなりかねない。
そう考えていくと
「AIは悪魔なのか」
と短絡的に考えてしまいがちだが、
私たちはもうすでに、
そういった「悪魔」無しでは生きていけない生活を送っている。
人間には人間にしかできないことがあり、
AIが絶対にできない領域があるからだ。
by. 桜井章一氏
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感情や本能的な感覚、
疑うという思考、
偶然や想定できない変化、
不合理な思考、
意味のない遊び……
そんな思考や行動、
感覚の動きをAIは学習できない。
AIは詰まるところ、
ゼロか一かの二進法の機能を原理としているから、
黒と白の間にある灰色の細かい襞が理解できない。
「量」を計算するスピードでは人の頭脳はかなわないが、
他方、人間の感覚がとらえる即興的に変化する「質」
をAIは判断することができない。
決まり切ったよくある行動や仕事の仕方は、
マニュアル的な方程式に変換できるから、
こうしたものも、
AIにとっては量の領域の計算対象になる。
by. 桜井章一氏
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AIは人間を遥かにしのぐ頭の良さを持ちながら、
その頭脳の中には決定的な空白が存在しているのだ。
その空白こそ、
人間の可能性と言えよう。
だから、AIの進化は皮肉っぽく言えば、
人間らしさや人間が生きている意義のようなものをはっきりさせてくれる効用もあると思う。
AIにできなくて、
人間しかできないこと。
by. 桜井章一氏
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それを正面から突き詰めていけば、
むしろ人間の可能性は広がっていくかもしれない。
AIの脅威を片目で見ながらも、
もう片方の目はそこをしっかり見失わないようにしたいものである。
大昔から、
権力者の欲望の行き着くところは
“不老不死”であった。
しかし、そんな(不老不死)方向に科学を進歩させることは、
自然の摂理からすれば極めて不自然である。
by. 桜井章一氏
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