■究極の選択 -集英社-
“思い”や”願い”も、言葉として発していけば、それはつながっていく可能性は大いにある。いい言葉も、悪い言葉も、すべてつながっている。それを忘れてはいけないと思う
言霊と表現していいのかどうかは別にして、
「冗談のつもりで言ったことが現実になる」
ということはあると思うし、
私はそのような経験をいくつもしている。
言葉は目に見えるものではないから、
言葉を発したらその場で消えてしまう。
言葉は自分自身の中だったり、
あるいは話をした相手、
周囲の人たちの中で行き続けている。
つまり、発せられた言葉は目には見えないが、
いろんなものとつながっていっている。
by. 桜井章一氏
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最初は冗談だったのが、
いろいろな人に伝わっていく過程で、
オセロのように真実味を帯びたニュアンスにひっくり返ることはいくらでもありうる。
私たちの”命”は”生”の連続性である。
その”生”から発せられる言葉も、
連続性となって周囲のものに伝播しながらつながっていく。
言葉が世界をつくり出すのであれば、
言葉のつながり、
周りの人たちとの会話を大切にしていれば、
いろんなことを予測する力もついてくると思う。
by. 桜井章一氏
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言葉や人のつながりを大切にしている人と話すと、
会話も盛り上がる。
ひとつの言葉をきっかけに、
そこから会話がどんどんと広がっていく。
冗談にしろ、
本気にしろ、
あるいはいいことにしろ、
悪いことにしろ、
言葉はすべてこの現実世界とつながっている。
だから、できる限り「悪いこと」
を言葉として発していくことは控えたほうがいい。
by. 桜井章一氏

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“思い”や”願い”も、
言葉として発していけば、
それはつながっていく可能性は大いにある。
いい言葉も、
悪い言葉も、
すべてつながっている。
それを忘れてはいけないと思う。
日本の社会は、
会社組織などを見てもわかるように、
軍隊のような管理制度が未だに根深いところで残っている。
by. 桜井章一氏
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人を管理しているのは会社だけではない。
学校でも、
親子関係でも、
上の立場にある者が下の者を精神的に支配する構図は至るところに見られる。
そんな構図は普遍的にあるものなのでみな当たり前に思っているが、
世界の中では異質ではないだろうか。
だが、実際は上から押さえつける教育は、
その人が持っている能力を十分に開発することができないのだ。
by. 桜井章一氏
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私は、人間の生きる上で
「厳しさ」も必要だと思っているから、
暴力を全面的に否定する気はまったくない。
ただ、日本の教育や指導においてしばしば目にするのは、
「厳しさ」の正体が力を持つ者の単なる
「支配欲」だったりすることだ。
強い支配による抑圧の中では本当の
「自立心」は育たないから、
伸びしろが小さくなってしまうのである。
私は山菜が好きなのだが、
厳しい冬の寒さを経て、
春に芽吹いた山菜はしっかりした強さを持っているから味わいよりも一層深い。
by. 桜井章一氏
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人間も、厳しさを知らない人より、
いくつもの苦難を克服して生きてきた人のほうが、
人としての”強さ”を持っている。
自ら険しさや困難さの中に身を置き、
技術や精神力を高める。
これが厳しさを味わうということであり、
それを繰り返すことで人は本当の強さを身に付けていくのである。
あくまで自発的な意志で自ら進むべき道を選ぶことが大事なのだ。
by. 桜井章一氏
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間違った厳しさを与え続けられた人たちは、
生きることに否定的になったり、
精神を病んでしまったりと、
やがて必ずその副作用が現れる。
間違った厳しさをいくら与えたとしても、
本当に自立した強さが身に付くことは決して無い。
多くの人が「本当の厳しさとは何か?」
に気づけば、
きっとその厳しさを楽しむことができるようになるだろうし、
「本当の強さ」や「自立から得る真の自由」
というものを肌で実感できるようになるだろう。
by. 桜井章一氏
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でも、人間には食べ物が必要だし、
寝る場所も必要である。
そうすると、おのずと行動を律する決まりごとが必要になる。
魚を獲るにはいつの時間帯にどこの場所ですればいいか。
農作物を育てるとなると土をつくることから始まって、
水をやる時間や害虫の駆除、
収穫のタイミングなど細かい決めごとをしてせっせと動かなくてはいけない。
by. 桜井章一氏
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そうやってたったひとりで暮らしていたとしても、
毎日の生活の中に何らかの決まりごとみたいなものはひとつ、
またひとつと増えていくはずである。
自由な環境であるほど自分を律し、
生活を律するためにルールをつくっていかなくてはならない。
それに対して現代の管理社会は無人島に比べて自由度は断然下がるが、
あらかじめ決められたルールに従っていればけっこう楽に生きられる。
つまり、本当の自由とは厳しさの中にあるということだろう。
by. 桜井章一氏
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人が多数集まって形を成す共同体のルールの中には、
必ず「暗黙の掟」
といったものがある。
だが、その「掟」
は自分たちが快適に過ごすための
「決まり」であり、
決して自分たちを不自由にしたり、
縛り付けたりするものでは無かったはずである。
でも私が考える麻雀において、
世間一般の麻雀における自由さは
「ただの勝手」でしかない。
だから雀鬼会の掟は、
その「勝手」と「自由」の違いがわかるような決まりとなっている。
by. 桜井章一氏
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麻雀には東南西北という方角と上手、
下手の流れがあり、
上からきれいな水を流せば下は清流となるし、
汚い水を流せば下の流れはどんどんと汚れていく。
だから私は道場生たちに
「できるだけきれいな水を流していくようにするんだよ」
「もし”汚いな”と思ったら各自できれいにしていくんだよ」
と教えている。
政治や経済の色を除いた麻雀は見ていてきれいで気持ちがいいのだ。
「自由」と「勝手」は違う。
そう解釈すれば、
自由の中にも「ルール」や「掟」
が必要なことがみなさんにもきっとわかってもらえると思う。
by. 桜井章一氏
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しかし、私は一部の会社だけを取り上げ、
「ブラック企業だ!悪い会社だ!」
と責め立てる今の社会的風潮には違和感を覚える。
そもそも、今の社会のどこに
“ホワイト企業”と呼べるような善良な会社があるのだろうか。
私から見たら、
今の世の中のほとんどの企業は
“ブラック企業”である。
どの企業もたいがい黒い部分を持っている。
by. 桜井章一氏
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でも、ずる賢い会社ほどそんな黒い部分を隠す術に長けている。
自分の中にブラックな部分はないだろうか?
上司が間違ったことを言っていたとしても
「そうですよね」
と媚びへつらっていないだろうか?
会社が間違ったことをしているのがわかっているのに、
見ぬ振り、
知らぬ振りをして何もせず、
流されるままに生きてはいないだろうか?
by. 桜井章一氏
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