■人を見抜く技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」~ -講談社+α新書-
対人コミュニケーションにおいて、
相手の嘘や本心、人柄を見抜く技術があったら
どんなに良いだろうと思ったことはありませんか?
人は擬態する生き物です。
言葉を飾り、本心は全く別のところにある
ということも日常珍しくないのではないでしょうか?
仕事場において、家庭において、恋愛において、
相手の本心や嘘が分かれば、人との付き合い方が
ずっと楽になると思わないでしょうか?
勝負の世界で人を見抜く技術をずっと磨き、
鋭い人間観察力を身に付けてきたお方がおります。
それが今回ご紹介しております、
麻雀無敗の伝説の雀鬼こと桜井章一氏になります。
勝負の世界では、
相手の癖を見抜いたら、
相手の嘘を見抜いたら、
相手のイカサマを見抜いたら、
そこで勝負ありです。
相手の心が丸裸になり、
相手の心が読めるということは
事前に対処の仕方が分かってしまうということです。
相手の嘘も本心も体の動作となって、癖となって、習慣となって、
隠そうと思っても表舞台に出てしまうということです。
人を見抜く技術というのは、
人の動作から心を読み解くことができるということです。
ここでは、麻雀で20年間無敗の伝説の雀鬼こと桜井章一氏の
会得した人を見抜く技術についてご紹介しております。
是非、その人間観察の実践哲学に触れ、
あなたの日常に役立ててみてはいかがでしょうか!
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広い意味でいえば、
生物は擬態しないと生きていけない。
それは生きる知恵であって、
その知恵が遺伝子として受け継がれていく。
by. 桜井章一氏
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教育や”学ぶ”ということも一種の擬態かもしれない。
人間の擬態はといえば、
擬態することによって本当の自分を見失い、
それぞれがニセモノになっていく。
by. 桜井章一氏
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擬態すればするほど、
多くの人が自然の摂理に反した
ニセモノの人間になってしまっているのだ。
本来人間は、自然の摂理に則り、
あるがままに生きていかなければならないのに、
多くの人がそれとは正反対の生き方をしている。
by. 桜井章一氏
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今の世の中は、
ニセモノで儲ける人がたくさんいる。
善悪など無視して擬態を続け、
その擬態がやがて欲と結びつき、
ニセモノが氾濫する世の中を作り出した。
by. 桜井章一氏
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要は、人々の考え方の”加減”が悪くなっているのだ。
社会全体の加減が悪いから、
「いい加減にしろ!」と思わず
叫びたくなるようなことも増える。
by. 桜井章一氏
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人間には思い通りに動かせる、
働かせられる体というものが与えられている。
動く体があるというのは、
あらゆる動物に共通する自然の摂理でもある。
by. 桜井章一氏
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そして体は、その場、その場に応じて
必要な動きをとれるようにできている。
それは「生きていくために必要な動き」
といえるだろう。
by. 桜井章一氏
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しかし”加減”の悪くなった現代社会に生きる人々を見ていると、
じつに不必要な動きをしている人が多い。
その場に対応した適切な動きではなく、
不要な、違和感のある動きをしているのだ。
by. 桜井章一氏
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揺れや振れの根底にあるのは”震え”だったりする。
人間が震えるのは寒さや恐怖に対してだ。
生きとし生けるもの、
地球上の生物すべてが”自然の波長”、
あるいは”宇宙の波長”といってもいいかもしれないが、
その波長の中で生きている。
by. 桜井章一氏
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その中であまりに不必要な動き、
違和感のある動きをしていると波長を感じることができなくなり、
自然の波長とは遠く離れた無駄な動きばかりになってしまう。
地震の揺れも人間の揺れも同じ。
大きな揺れは危険だし、
小さな揺れでもそれが重なれば、
どんどん危険な状況へと陥っていく。
by. 桜井章一氏
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緊張や恐怖に由来した”揺れる”動作、
これは、心身の支点が外れてしまっている証拠でもある。
意味もなく動く人というのは、
意味のないことを突然してしまう危険性をも孕んでいる。
by. 桜井章一氏
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大きく揺れるということは、
人にもとてつもない揺れを与えてしまうのである。
逆に動かない人にも注意が必要だ。
その理由のひとつに、「失敗を過度に恐れている」
ということが挙げられるだろう。
by. 桜井章一氏
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彼らには、ミスなんてあって当たり前だという感覚、
ミスを教訓にそこからなにかを学ぶとか、
ミスをきっかけに修正するといった感覚が欠けている。
これには、
結果至上主義の影響も少なからずあるように思う。
by. 桜井章一氏
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地震に本震と余震があるように、
人の心にも「本震」と「余震」がある。
この場合本震=本心、余震=余心と理解してもらってもいい。
本心は表面に表れる揺れ。
余心はまわりの人がなかなか気づかない小さな揺れ。
しかしこの余震=余心にこそ、
まわりが気づいてやらなければいけないのだ。
by. 桜井章一氏
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